名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年10月

こととはば ありのまにまに 都鳥 みやこのことを 
我にきかせよ
            和泉式部(いずみのしきぶ)
              (後拾遺和歌集・509)

(こととわば ありのまにまに みやこどり みやこの
 ことを われにきかせよ)

意味・・私がものを尋ねたならば、都鳥よ、ありのままに
    都のことを私に聞かせておくれ。

    夜、都鳥が鳴いたので詠んだ歌です。

    参考歌です。

    名にし負はばいざこととはむ都鳥我が思ふ人は
    ありやなしやと  (意味は下記参照)

 注・・ありのまにまに=あるままに。
    都鳥=シギ目ちどり科の鳥、30cm程の大型の鳥。

作者・・和泉式部=生没年未詳。1000年前後に活躍した人。
     「和泉式部日記」「和泉式部集」。

参考歌です。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は 
ありやなしやと
            在原業平(ありはらのなりひら)
              (古今集412、伊勢物語・9)

(なにしおわば いざこととはむ みやこどり わがおもふ
 ひとは ありやなしやと)

意味・・都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、
    都鳥よ。私の思い慕っている人は生きているのか、
    いないのかと。

    流浪の旅をする業平らが隅田川に着いて、舟の
    渡し守から見知らぬ鳥の名を聞いて詠んだ歌です。
    都鳥という名に触発され、都にいる妻への思いが
    急激にに高まったものです。

 注・・あり=生きている、健在である。

作者・・在原業平=~825。六歌仙の一人。伊勢物語の
     主人公。


月かげに 夜わたる雁の つらみても わが数たらぬ
友ぞかなしき
          下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)
           (晩花集)

(つきかげに よるわたるかりの つらみても わがかず
たらぬ ともぞかなしき)

意味・・月の光によって、夜を飛んで移動する雁のつら
    なった群れを見るにつけ、自分と親しかった友
    達が一人二人と欠けて数が足りないのは悲しい
    ものだ。

    夜空の雁の群れはすでに一羽二羽と仲間を失っ
    ているかも知れないが、身近な人に死なれて、
    雁より自分の方が悲しみがつのる、という気持
    を詠んでいます。

    参考歌です。

    北へ行く雁ぞ鳴くなるつれてこし数はたらでぞ
    帰るべらなり (意味は下記参照)

 注・・つら=列・連。連なること、行列。
    わが数たらぬ=親しい仲間のうちに死んで欠け
     た者がいて数が足りなくなる。

作者・・下河内長流=1628~1686。尾崎共平。下河内は
     母方の姓。万葉集の書写や注釈に励む。

参考歌です。

北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ
帰るべらなる
                  読人しらず
             (古今集・412、土佐日記)

(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずは
 たらでぞ かえるべらなる)

意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえて
    くる。あの悲しそうな鳴き声は、日本に来る時
    には一緒に来たものが、数が足りなくなって帰
    るからなのだろうか。

    この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が
    夫婦ともどもよその土地に行った時、男のほう
    が到着してすぐに死んでしまったので、女の人
    が一人で帰ることになり、その帰路で雁の鳴き
    声を聞いて詠んだものだ」と書かれています。

 注・・べらなり=・・のようである。

世の中の うけくに秋の 月を見て 涙くもらぬ 
よはぞすくなき
         花山院師兼(かやまいんもろかね)
            (新葉和歌集・12)

(よのなかの うけくにあきの つきをみて なみだ
 くもらぬ よわぞすくなき)

意味・・世の中のつらさに秋の月を見て、悲しみの
    為に涙が曇らぬ夜半の少ないことだ。

    南北朝時代の対立で、敗者の思うにまかせ
    ぬ世の憂さを月をからめて詠んだ歌です。

    憂さ(つらさ)もいろいろ、その一つ。

    長き夜や心の鬼が身を責める  一茶
     (意味は下記参照)

 注・・うけく=憂けく。憂きこと、つらさ。
    よは=夜半。夜中。

作者・・花山院師兼=生没年未詳。1370年頃の人。
     南北朝期の歌人。

参考句です。

長き夜や 心の鬼が 身を責める   
                 一茶(いっさ)

(ながきよや こころのおにが みをせめる)

意味・・いたらない自分の醜態(しゅうたい・恥ず
    べく事)が自己嫌悪となって、一人になっ
    た夜、心の中から小さな鬼が立ち上がって
   「お前バカだなあ、なぜあんなアホウな事を
    するのだ」と攻め立てる。
 
    一茶は「心ない自分の行いによって人が傷
    ついた」と感じ、その傷ついた相手の身に
    なって「なぜ傷をつけたのだ」と加害者に
    なった自分を責めて詠んだ句です。

 注・・心の鬼=良心。

    

いかるがの さとのをとめは よもすがら きぬはたおれり 
あき ちかみかも
                会津八一(あいづやいち)
                  (南京新唱)

意味・・斑鳩(いかるが)の里の娘は、一晩中、機を織って
    いる、その音が聞えてくるが、もう秋が近いのだ
    なあ。

    明治41年に大和(奈良)へ旅行した折の作です。
    古への憧(あこが)れや懐かしさなど、特別な思い
    がこもる斑鳩。その里の娘が織る機の音が、静ま
    り返った夜の村をあちこちから明け方近くまで聞
    えてくる。もう秋が近いことを感じ、しみじみし
    た気持です。

    参考歌です。

    み吉野の山の秋風さ夜更けて故郷寒く衣打つなり
     (意味は下記参照)

 注・・いかるが=斑鳩。奈良県生駒郡斑鳩町。法隆寺の
     ある町。
    よもすがら=夜通し。
    きぬはた=衣機。衣服を織る機械。
    ちかみ=近み。「み」は理由や原因を表す接尾語。

作者・・会津八一=1881~1956。文学博士。美術史研究家。
     歌集「鹿鳴館」、「南京新唱」。

参考歌です。

み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて 古里寒く
衣打つなり
          藤原雅経(ふじわらのまさつね)
           (新古今・483、百人一首・94)

(みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさと
 さむく ころもうつなり)
 
意味・・吉野山の秋風は夜更けて寒く吹き、かって都の
    あった里では寒々と衣を打つ音が聞こえて来る。

    古京の秋の夜寒のわびしさを、山の秋風の音と
    里の砧(きぬた)を打つ音とにより、流麗な音楽
    的な調べで詠っている。

注・・古里=吉野は古代の離宮の地であることから、古く
    都があった土地(古京)の意で、「古里」と呼ぶ。
    人に忘れ去られ、荒れ果てた地のイメージがこめ
    られている。
   衣打つ=砧(きぬた)のこと。衣を柔らかくしたり
    光沢を出すため木槌で打つこと。女性がする夜
    なべ作業であった。

作者・・藤原雅経=1170~1221。「新古今集」の撰者の一人。

雨隠り 心いぶせみ 出で見れば 春日の山は 
色づきにけり
           大伴家持(おおとものやかもち)
             (万葉集・1568)

(あまごもり こころいぶせみ いでみれば かすがの
 やまは いろずきにけり)

意味・・雨に閉じ込められて、気持がうっとうしいので、
    外に出てみると、春日の山はもう見事に色づい
    ていた。

    長雨の間に山がすっかり紅葉したことを見出し、
    雨ごもりの鬱情から開放された気持を詠んで
    います。

 注・・いぶせみ=気が晴れない、うっとうしい。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の子。万葉の
     代表的な歌人。万葉集の編纂もする。

時ありて 花も紅葉も 一さかり あはれに月の 
いつも変らぬ
             藤原為子(ふじわらのためこ)
              (風雅和歌集・159)

(ときありて はなももみじも ひとさかり あわれに
 つきの いつもかわらぬ)

意味・・ある決まった時節があって、花も紅葉も
    ひとときの盛りを見せるものだが、あわ
    れ深いことに、月はいつもかわらぬ姿で
    空にかかっていることだ。

    参考句です。

   「樫の木の花にかまわぬ姿かな」 芭蕉
    (意味は下記参照)

 注・・あはれ=情趣が深い、しみじみと心を
     打つさま。
    時=季節。

作者・・藤原為子=生没年未詳。鎌倉時代の歌人。

参考です。

樫の木の 花にかまはぬ 姿かな  
               芭蕉(ばしょう)

(かしのきの はなにかまわぬ すがたかな)

意味・・春の百花は美しさを競っているが、
    その中であたりにかまわず高く黒々
    とそびえる樫の木は、あでやかに
    咲く花よりもかえって風情に富む
    枝ぶりであることだ。

    前書きは「ある人の山家にいたりて」、
    山荘の主人が世の栄華の暮らしに混
    じることなく、平然として清閑を楽
    しんでいるさまを樫の木の枝ぶりに
    例えて挨拶として詠んだ句です。

折ふしよ 鵙なく秋も 冬枯れし 遠きはじ原 
紅葉だになし
               正徹(しょうてつ)
                (正徹物語・32)

(おりふしよ もずなくあきも ふゆがれし とおき
 はじはら もみじだになし)

(お・・・よ も・・・・・も ふ・・・し と・・
 ・・・ら も・・・・・し)

詞書・・「おもふともよもしらじ」(私が思っていて
    も相手は決してそれを知るまい)の題で。

意味・・今の季節は、鵙の鳴く秋も過ぎ、冬枯れて
    しまって、遠くのはじ原の紅葉まで見えな
    くなっている。

    沓冠(くつかむり)の折句の歌で、十の文字
    を歌の各句の頭と末に入れて詠む技法的な
    歌です。この歌では「おもふともよもしら
    じ」で題と歌の内容は関わらない。

 注・・折ふし=折節。その時々、季節。
    はじ原=ハゼの生えている原。ハゼは美し
     く紅葉する。

作者・・正徹=1381~1459。字は清巌。東福寺の書
     記を勤める。歌集に「草根集」、「正徹
     物語」。

    

秋さびし もののともしさ ひと本の 野稗の垂穂
瓶にさしたり 
             古泉千樫(こいずみちかし)
               (川のほとり)

(あきさびし もののともしさ ひともとの のびえの
 たりほ かめにさしたり)

意味・・もはや全く秋となってしまい、情趣も深く
    心にひかれてくる。何となく一本の野稗の
    垂穂を花瓶にさしたことだ。

    野稗の垂穂を瓶にさし、静けさの中に気持
    が安らいでいくことを詠んでいます。

 注・・さびし=然し。「さぶ・然ぶ」の過去形。
     それらしくなった。
    ともし=羨し。慕(した)わしい。
    野稗=禾本科(かほんか)キビ属の一年草。
     秋に褐色のすすきをそなえた小穂が出る。
    瓶=花瓶。

作者・・古泉千樫=1886~1927。42歳。伊藤左千夫
     門下。小学校教員。歌集「川のほとり」。

防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るがともしさ
物思いもせず
            昔年(さきつとし)の防人
              (万葉集・4425)

(さきもりに ゆくはたがせと とうひとを みるが
 ともしさ ものおもいもせず)

意味・・「防人に行くのは誰の主人なの」、と尋ねて
    いる人を見るのが何ともうらやましい。何の
    気兼ねも心配もしないで。

    自分の夫を防人に出さねばならない立場と、
    そうでない人の立場。人の持つ運命的な悲し
    みは当事者以外に分からない。無遠慮に「ど
    このだれ」と尋ねている人の言葉に胸の張り
    裂けるような辛さと悲しみが湧いてくる。

 注・・誰が背=誰の夫。「背」は女性から親しい
     男性、夫をさす。
    ともしさ=「ともし」はうらやましいの意。
    物思いもせず=問うている人が、物思いを
     しない。
    昔年(さきつとし)=755年より昔年、の意。

大方の 秋の別れも 悲しきに 鳴く音な添えそ
野辺の松虫
               源氏物語・賢木
               (風葉和歌集・1122)

(おおかたの あきのわかれも かなしきに なくね
 なそえそ のべのまつむし)

意味・・一般的な秋との別れも悲しいのに、そのうえ
    私はあなたと別れねばならない。野辺の松虫
    よ、鳴き声を加えていっそう悲しませないで
    ほしい。

 注・・大方=一般的に、だいたい。

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