名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年11月

朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦
着ぬ人ぞなき
          藤原公任(ふじわらのきんとう)
            (拾遺和歌集・210)

(あさまだき あらしのやまの さむければ もみじの
 にしき きぬひとぞなき)

意味・・朝がまだ早く嵐山のあたりは寒いので、山から
    吹き降ろす風のために紅葉が散りかかり、錦の
    衣を着ない人はいない。

    紅葉の名所の嵐山の晩秋の景観を詠んでいます。

 注・・嵐の山=京都市右京区にある嵐山。嵐に山風を
     掛ける。

作者・・藤原公任=966~1041。権大納言・従五位。漢詩
     文・和歌・管弦の三才を兼ねる。清少納言や
     紫式部らと親交。和漢朗詠集の編者。

人しれず わがすみそむる 白河の ながれを月は
たづね来にけり
             香川影樹(かがわかげき)
               (桂園一枝)

(ひとしれず わがすみそむる しらかわの ながれを
 つきは たずねきにけり)

意味・・人に知られることなく私が住み始めた白河
    の澄んだ流れを、月は訪ねて来たことだ。

    白河の川面に映る月を唯一の来客と見立て
    て詠んでいます。

 注・・すみ=「澄み」と「住み」を掛ける。
    白河=京都し左京区・東山区を流れる川。

作者・・香川影樹=1768~1843。因幡国鳥取藩の
     荒井小三次の次男。香川影柄の養子に
     なる。家集「桂園一枝」。

あづま路の 浜名の橋を きて見れば 昔恋しき 
わたりなりけり
            大江広経(おおえのひろつね)
              (後拾遺和歌集・516)

(あずまじの はまなのはしを きてみれば むかし
 こいしき わたりなりけり)

詞書・・父の共に遠江の国に下って、年がたって後、
    下野守(しもつけのかみ)となって下向しまし
    た時に、浜名の橋のたもとで詠みました歌。

意味・・東海道の浜名の橋を再び来て見ると、父の共
    として下った昔が恋しくしのばれ、橋は渡し
    場となっていた。

 注・・浜名の橋=浜名湖から流れる川に架けた橋。
     当時は橋が壊れていた。
    わたり=渡船場。
    なりけり=橋が壊れていて気がついたら、
     渡し場になっていたことだ、の意。
    遠江(とうみ)の国=今の静岡県。
    下野(しもつけ)=今の栃木県。

作者・・大江広経=生没年未詳。1090年頃に活躍
     した人。加賀・下野・伊勢守を歴任、
     従四位上。

こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて
死なむと思ふ
             石川啄木(いしかわたくぼく)
               (一握の砂)

(こころよく われにはたらく しごとあれ それを
 しとげて しなんとおもう)

意味・・自分は本当に気持ちよく本心を投げ込んで仕事
    がしてみたい。けれども今の自分には徹底的に
    力を注いでやるだけの仕事が与えられない。もし
    そんな仕事があるのならば、それこそ思う存分
    働いて、満足感を抱きつつ安らかに死んでいき
    たい。

作者・・石川啄木=1886~1912。26歳。中学を中退後、
     地方の新聞記者や新聞の校正係りの職をする。
     歌集「一握の砂」「悲しき玩具」。

見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の
錦なりけり
               紀貫之(きのつらゆき)
                (古今和歌集・297)

(みるひとも なくてちりぬる おくやまの もみじは
 よるの にしきなりけり)

意味・・はやす人もいないままに散ってしまう山深い
    紅葉は、まったく夜の錦である。

    この奥山の紅葉は誰にも見てもらえないで、
    自然に散ってしまうが、それは人にたとえ
    れば、都で立身出世したにもかかわらず、い
    っこうに故郷に帰って人々に知らせないよう
    なもので、はなはだ物足りない。

 注・・夜の錦=「史記」の「富貴にして故郷に帰ら
     ざるは錦を着て夜行くが如し」を紅葉を惜
     しむ意に転じる。
     (いくら立身出世しても、故郷に帰って人々
     に知ってもらわなければ、人の目に見えな
     い夜の闇の中を錦を着て歩くようなもので
     つまらない)

作者・・紀貫之=866~945。土佐守・従五位。「古今
     集」の中心的撰者。土佐日記」の作者。


おもひたつ なには堀江の みおつくし しるしなくては
あはじとぞ思ふ
           木下幸文(きのしたたかふみ)
       (類題亮亮遺稿・るいだいさやさやいこう)

(おもいたつ なにわほりえの みおつくし しるし
 なくては あわじとぞおもう)

意味・・難波の堀江に澪標(みおつくし)が立つように思い
    立って、澪標の目印ならぬ身を尽くした成果が無いままでは、
    故郷の人々には二度と逢うまいと思う。

    月性の詩の志と同じです。

    男児志を立てて郷関を出づ
    学もしならずんば死すとも帰らず
    骨を埋む何ぞ墳墓の地を期せんや
    人間いたるところ青山あり

 注・・おもひたつ=決意する意。
    なには=難波。現在の大阪市の一帯。
    みおつくし=澪標。海や川に立て、通う船に水路
     や位置を示した杭。「身を尽くす」を掛ける。
    しるし=航路の標識の「しるし」に成果の意の
     「しるし」を掛ける。

    月性=1817~1858。尊王攘夷派の僧。吉田松蔭と
     親交。
    郷関=郷里。
    墳墓の地=祖先の墓のある地、故郷。
    青山=墓となる地。

作者・・木下幸文=1779~1821。農民の出身。香川香樹の
     門人。家集「貧窮百首」「類題亮亮遺稿」。

心あてに 折らばや 折らむ 初霜の 置きまどはせる
白菊の花
           凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
             (古今集・277、百人一首・29)

(こころあてに おらばやおらん はつしもの おき
 まどわせる しらぎくのはな)

意味・・もし折るのなら、あて推量で折ることにしょうか。
    初霜が置いて、その白さの為に区別もつかず、紛ら
    わしくしている白菊の花を。

    冬の訪れを告げ、身を引き締めるようにさせる初霜
    の厳しさと、白菊の花のすがすがしい清楚な気品が
    詠まれています。

 注・・心あてに=あて推量で。
    置きまどはせる=置いて、分からなくしている。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。895年頃活躍した人。
     三十六歌仙の一人。古今集の撰者の一人。

紅葉みむ のこりの秋も すくなきに 君ながいせば 
たれとをらまし
            恵慶法師(えぎようほうし)
             (後拾遺和歌集・461)

(もみじみん のこりのあきも すくなきに きみ
 ながいせば たれとおらまし)

意味・・紅葉を見る残りの秋も少ないのに、あなたが
    田舎で長居したら、私は誰と紅葉狩りをしよ
    うか。

    友が田舎へ行く時に詠んで贈った歌です。
    紅葉を手折って賞する風流のある友はあなた
    しかいない、早く田舎から帰ってきて下さい、
    と言う気持であり、同好の友がいなくなる寂
    しさを詠んでいます。

 注・・をらまし=折ら・居らまし。

作者・・恵慶法師=生没年未詳。播磨国分寺の僧。
     家集「恵慶法師集」。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の
身もこがれつつ
           藤原定家(ふじわらのさだいえ)
            (新勅撰集・849・百人一首・97)

(こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくや
 もしおの みもこがれつつ)

意味・・いくら待っても来ない人を待ち続け、松穂の
    浦の夕凪の頃に、焼けこがれる藻塩のように、
    私の身もずっと恋こがれていることです。

    待ってもあなたは来ないけれど、やっぱり私
    はいつまでも、あなたを想い胸をこがしてい
    ます。

    消えては立ちのぼる煙のように、止むことの
    ない恋心を詠んでいます。

 注・・まつほの浦=松穂の浦(淡路島の最北端)。
     「まつ」は「松・待つ」の掛詞。
    夕なぎ=夕凪。夕方風がやみ、波が穏やかに
     静まった状態。藻塩を焼く煙が立ち上る静
     かな光景である。
    藻塩=海水から採る塩。海水を注いだ海藻を
     日に干し、それを焼いて水に溶かし、煮詰
     めて塩を精製した。

作者・・藤原定家=1162~1241。「新古今集」「新勅
     選集」の撰者。

秋風の 色はと問はば 吹くからに 照りそふ月の
影をこたへん
        三条西実隆(さんじょうにしのさねたか)
           (再唱草・168)

(あきかぜの いろはととわば ふくからに てりそう
 つきの かげをこたえん)

意味・・秋風は何色と尋ねられたらば、風が雲を
    吹き払うままに照り添う皓々たる月光の
    白さをそれと答えよう。

    風に流される雲の間から顔を出す月の光
    の白さを詠んでいます。

作者・・三条西実隆=1454~1537。52歳で内大臣。
     62歳で出家。「再唱草」。

このページのトップヘ