名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年11月

山がつと いひなくたしそ よにふれば たれも嘆きを
こる身なりけり
               村田晴海(むらたはるみ)
                 (琴後集・1179)

(やまがつと いいなくたしそ よにふれば たれも
 なげきを こるみなりけり)

意味・・山住まいの下賎な者と見下して、けなさないで
    ください。、投木を樵(こ)る身の上なのですか
    ら、長くこの世で生きていると私だってこの世
    の嘆きくらい知っていますよ。

    「嘆きを知る」は風流な心をもつということで、
    和歌も詠めることを言っています。    

 注・・山がつ=山賎。木こりなど、山里に住む身分の
     低い人。
    いひなくたしそ=言ひな腐しそ。「くたし」は
     物を腐らす、気持を損なう、けなす。「な・
     ・・そ」は動作を禁止する意を表す。
    よにふれば=世に経れば。この世に生き続ける。
    嘆き=「投木(薪のこと)」を掛ける。
    こる=伐る、樵る。木を切る。「凝る(熱中する・
     深く思い込む)」を掛ける。

作者・・村田晴海=1746~1812。賀茂真淵門下。国学者。
     

田の雁や里の人数はけふもへる
                一茶(いっさ)
                 (七番日記)

(たのかりや さとのにんずは けふもへる)

意味・・めっきり寒くなり、刈田に雁がおりる頃、そろそろ
    冷たい雪がちらつき始める。男達は仕事を求めて、
    二人三人と村を去って行く。北の空から雁が続々と
    渡ってきて、田の面がにぎやかになるのにひきかえ、
    里の人数は日に日に減って行く。

    前書きは「信濃雪ふり」。
    信濃は昔から出稼ぎの本場であった。後に残されて、
    これから長い冬を過ごさねばならぬ家族達の心細さ
    も言外に感じさせられます。

作者・・一茶=1763~1827。小林一茶。信濃(長野県)の農民
     の子。3歳で生母に死別、15歳で江戸に出る。
     「七番日記」「おらが春」。

和歌の浦の 松に六十の 老の浪 かけてぞなれぬ
道をしぞ思う
             藤原雅世(ふじわらのまさよ)
               (仙洞歌合・121) 

(わかのうらの まつにむそじの おいのなみ かけてぞ
 なれぬ みちをしぞおもう)

意味・・和歌の浦の松に波が寄せ掛けるように、和歌の
    道に六十年もの間かかわりながら、老いてなお
    成就しがたい遙(はる)けさを思うことだ。

 注・・和歌の浦=紀伊国の歌枕。和歌・歌道家を意味。
    老の浪=寄る年波、老齢。「和歌(若)」と老い
     は対。
    し=上接する語を強調する副詞。

作者・・藤原雅世=1390~1452。正二位権中納言。新続
     古今和歌集の撰者。

わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に 
わが立ち濡れし
             大伯皇女(おおくのひめみこ)
               (万葉集・105)

(わがせこを やまとにやると さよふけて あかとき
 つゆに わがたちぬれし)

詞書・・大津皇子、ひそかに伊勢の神宮に下りて、上り
    来る時に大伯皇女の作らす歌。

意味・・私の弟が大和に帰るのを見送ろうとして、夜が
    更けてからも立ち続け、明け方の露に私はすつ
    かり濡れてしまったことだ。

    わが弟を大和へ送り帰さなければならないと、
    夜も更けて明け方近くまで立つくし、暁の露に
    私はしとどに濡れた。

    弟の大津の皇子がひそかに訪ねて来て、重大な
    事(謀反の意志)を聞かされて見送る時に詠んだ
    歌です。    

 注・・背子=女性が兄または弟を呼ぶ語。
    遣る=行かせる。「帰る」とか「行く」という
     のと違って、自分の意志が働いている。名残
     惜しいけど帰らせるという意志。
    さ夜更けて=夜更けて。12時から午前1時頃。
    暁(あかとき)=明時。午前3時から午前4時頃。
    大津皇子=686年に草壁皇太子への反逆を企て、
     それが発覚して殺された。仕組まれた罠とも
     いう。
    伊勢の神宮=大伯皇女が伊勢の斎宮として居た。

大伯皇女=674年14歳で伊勢の斎宮。大津皇子の姉。


いつの間に 紅葉しぬらん 山桜 昨日か花の 
散るを惜しみし
             具平親王(ともひらしんのう)
               (新古今集・523)

(いつのまに もみじしぬらん やまざくら きのうか
 はなの ちるをおしみし)

意味・・いつの間に紅葉したのだろうか。山桜よ。
    花の散るのを惜しんだのは昨日であった
    かと思われるのに。

作者・・具平親王=1009年没。46歳。村上天皇の
     第七皇子。

瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に 
とどかざりけり
               正岡子規(まさおかしき)
                 (竹の里歌)

(かめにさす ふじのはなぶさ みじかければ たたみの
 うえに とどかざりけり)

意味・・机の上の花瓶にさした藤の花は今を盛りの美しさ
    だが、その垂れ下がっている花ぶさが短いので、
    ほんの少しの所で畳の上に届かないでいることだ。

    前書きには、仰向けに寝ながら左の方を見れば机
    の上に藤が活けられ、今が盛りの有様なり、と書
    かれています。
    正岡子規が詠んだ時の健康の状態は、死の前年に
    当り、結核の喀血で寝たきりの状態です。
    「みじかければ」は自分の健康状態を暗示して、
    「とどかざり」は「その結果何も出来ない」事を
    暗示しています。山岳の荘厳にも海洋の怒涛にも
    全く接触する事の不可能になった作者が、枕もと
    の瓶の花ぶさに対し自分の思いを述べた歌であり、
    作者のしみじみした寂しさを詠んでいます。

 注・・みじかければ・・とどかざり=短いから届かない
     というような因果的条理を述べているのでなく、
     寝たきりなので歩くことさえ全く出来ない、と
     いうような気持を詠んでいます。
    瓶=花瓶。

作者・・正岡子規=1867~1902。35歳。東大国文科中退。
     俳句・短歌の革新運動を推進。写生による句・
     歌を主張。歌集に「竹の里歌」。
     
 
    

さそはれて おぼえず月に 入る野辺の 左は小萩
右は松虫
         木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)
           (挙白集)

(さそわれて おぼえずつきに いるのべの ひだりは
 こはぎ みぎはまつむし)

意味・・月の光に誘われて思わず分け入った野辺の、
    左には萩の花が咲き、右では松虫が鳴いて
    いる。

 注・・さそわれて おぼえず月に=月に誘われて
     おぼえず、の語順を変えて表現。この事
     により「さそわれて」が強調されている。

作者・・木下長嘯子=1569~1649。豊臣秀吉に仕える。
     和歌は細川幽斎に学ぶ。家集「挙白集」。


春は花 秋には月と ちぎりつつ けふを別れと 
おもはざりけり
          藤原家経(ふじわらのいえつね)
            (後拾遺和歌集・482)

(はるははな あきにはつきと ちぎりつつ けふを
 わかれと おもわざりけり)

意味・・春は花見に、秋は月見にというように、あなた
    と親交を結んで来ましたが、まさか今日の日が
    別れの日だとは思いもしませんでした。

    能因法師が伊予に下向する時に別れを惜しんで
    詠んだ歌です。

 注・・ちぎり=契り。約束、言い交わすこと。

作者・・藤原家経=1001~1058。讃岐守・正四位下。
     家集「家経朝臣集」。

ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる
一ひらの雲
           佐々木信綱(ささきのぶつな)
             (新月)

(ゆくあきの やまとのくにの やくしじの とうの
 うえなる ひとひらのくも)

意味・・秋がもう終わりをつげようとしている頃、
    大和の国の古い御寺、薬師寺を訪ねて来て
    みると、美しい形相を誇って高くそびえる
    宝塔の上には、一ひらの雲が静かに浮かん
    でいて、その幽寂な感じをいっそう強くし
    ている。ああその白い雲よ。

    うるわしい大和(奈良)の逝く秋を惜しむ気
    持と、1300年の歴史を刻んだ古典的な味わ
    いのする高塔と、その上にある一片の雲を
    通して感触する旅愁を詠んでいます。    

 注・・ゆく秋=晩秋。秋の暮れ行くのを惜しむ心
     がこもっている。四季の中で春と秋とは
     過ぎ去るのが惜しい季節なので「行く春」
     「ゆく秋」と詠まれる。
    大和=日本国、ここでは奈良県。
    薬師寺=奈良市西の京にある古寺。730
     年に建造。塔は高さ38m。各階に裳階(も
     こし)があるので六重塔に見えるが三重塔。
     塔の上には相輪が立ち、さらにその上部
     に水煙の飾りがある。

作者・・佐々木信綱=1872~1963。国文学者。歌集
     に「思草」「新月」の他「校本万葉集」。

春雨の あやをりかけし 水のおもに 秋はもみぢの
錦をぞ敷く
           道命法師(どうみょうほうし)
             (詞花和歌集・134)

(はるさめの あやおりかけし みずのおもに あきは
 もみじの にしきをぞしく)

意味・・春雨が綾を織り懸けていた水面に、秋には
    紅葉が錦を敷いており、これまた美しい。
 
    春雨の綾織物と紅葉の錦との見立ての対比
    の面白さを詠んでいます。

 注・・春雨のあや=雨の降りそそぐ波紋を綾織物
     の文様に見立てた。
    錦=川面の紅葉を錦に見立てること。

作者・・道命法師=974~1020。比叡山天王寺別当。
     中古三十六歌仙。

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