名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年01月

ふるさとの 雪は花とぞ 降り積もる ながむる我も
思ひ消えつつ
              読人しらず
             (後撰和歌集・485)

(ふるさとの ゆきははなとぞ ふりつもる ながむる
 われも おもいきえつつ)

意味・・今では思い出の場所となってしまったこの里の
    雪は、まるで花のように降り積もっている。
    物思いにふけりながらぼんやりとそれを眺めて
    いる私も、雪が消えるように、思いが消沈して
    ゆくことだ。

 注・・ふるさと=なじみの土地、思い出があるが今で
     は古くなった里。
    ながむる=物思いに沈みながらぼんやり見やる。
    思ひ=恋慕う気持、恋の気持。
    思ひ消えつつ=花だと消えないが、雪だから眺
     める自分も消え入る思いだ、の意。

老いぬとて 松は緑ぞ まさりける わが黒髪の
雪の寒さに
           菅原道真(すがわらのみちざね)
             (新古今和歌集・1694)

(おいぬとて まつはみどりぞ まさりける わが
 くろかみの ゆきのさむさに)

意味・・老いてしまったというので、松は、ますます緑を
    深くしていることだ。私は、自分の黒髪が雪のよ
    うに白くなって、寒々とした思いでいるのに。

 注・・わが黒髪の雪の寒さに=自分の黒髪が、嘆きの為
    に雪のように白髪に変り、寒々とした思いでいる
    のに。

作者・・菅原道真=845~903。贈正一位太政大臣。藤原時平
     の讒言(ざんげん)で太宰権師(だざいごんのそち)
     に左遷され、大宰府に配流される。配所で2年後
     に没する。当代随一の漢学者。


ながめつる 今日は昔に なりぬとも 軒端の梅は
われを忘るな
           式子内親王(しょくしないしんのう)
             (新古今和歌集・52)

(ながめつる きょうはむかしに なりぬとも のきばの
 うめは われをわするな)

意味・・もの思いをしながら見入っていた今日という日は、
    私が亡くなって昔になってしまっても、軒端の梅
    の花だけは、私を忘れないでおくれ。

 注・・ながめつる=眺めつる。物思いに沈んでいること。
    今日=もの思いをしながら梅を見入っていた今日。
    軒端=軒に近い所。

作者・・式子内親王=~1201没。後白河上皇の第二皇女。
     歌集に「式子内親王集」。

思はじと 思へばいとど こひしきは いづちが我が 
こころなるらん
            読人知らず
            (詞花和歌集・204)

(おもわじと おもえばいとど こいしきは いずちが
 われが こころなるらん)

意味・・思うまいと思うといよいよ恋しくなるのは、
    一体どちらが自分の本当の心なのだろう。






源氏をば 一人となりて 後に書く 紫女年若く
われは然らず
           与謝野晶子(よさのあきこ)
             (白桜集)

(げんじをば ひとりとなりて あとにかく しじょ
 としわかく われはしからず)

意味・・源氏物語を良人宣孝(のぶたか)を亡くして
    独り身となってから書いた紫式部は、その
    年はまだ若かったけれども、良人の寛(ひ
    ろし)を失って寡婦となった私はそうではな
    い。もう60歳近くになっていることだ。

    夫を亡くした悲しみを、若くして夫を亡く
    した紫式部を思いやることにより、忘れさ
    せ気を取り直し自分を励ませた歌です。
    
 注・・源氏=源氏物語。
    紫女=紫式部。973年頃の生まれ。
    年若く=20歳後半で夫の宣孝を亡くす。
    宣孝=藤原宣孝。950~1001。
    寛=与謝野鉄幹の本名。1873~1935。晶子
     の夫。

作者・・与謝野晶子=1878~1942。与謝野鉄幹は夫。
     昭和13年頃「新々訳源氏物語」を刊行。
     その途中に夫の寛を亡くす。歌集は「み
     だれ髪」「舞姫」「白桜集」など。


夕べ食す ほうれん草は 茎立てり 淋しさを遠く
つげてやらまし
           土屋文明(つちやぶんめい)
             (ふゆくさ) 

(ゆうべほす ほうれんそうは くくたてり さびしさを
 とおく つげてやらまし)

意味・・夕餉の副食に食べるほうれん草は紅色に茎立って
    いる。私は一人しみじみと夕食をしている。この
    やるせない寂しさを遠く恋い思う人に告げてやり
    たいものだ。

 注・・茎(くく)立てり=茎(くき)立つ。茎が伸びて立つ。

作者・・土屋文明=1890~1990。東大哲学科卒業。明治大
     学教授。「アララギ」を編集。「ふゆくさ」。


物として はかりがたしな 弱き水に 重き舟しも
浮かぶと思へば
           京極兼為(きょうごくのかねため)
             (風雅和歌集・1727)

(ものとして はかりがたしな よわきみずに おもき
 ふねしも うかぶとおもえば)

意味・・物というものは量りがたいものである。力の無い
    水に重い舟が浮かぶことを思うと。

    「表面的な形だけでは物事の本性は量りがたい」
    ということで、「荀子」の次の言葉によってい
    ます。
    「君者舟也、庶人者水也、水則載舟、水則覆舟」
    により(意味は下記参照)、舟と水との相関関係を
    通して、外見の強弱・軽量でなく、物それぞれの
    本性とその相互の微妙な均衡によって宇宙の調和
    が保たれているという真理を歌っています。
    舟と水ー君と臣ー伏見院と兼為、と連想し、軽い
    臣(兼為)が重い君(伏見院)を支えてきた自負、舟
    も水を信じて歌壇、政界に正しい道を求めてきた
    相互の均衡への感動を詠んでいます。

 注・・伏見院=1265~1317。弟2代天皇。鎌倉期の歌人。

作者・・京極兼為=1254~1332。伏見院の近臣として活躍
     するが、排斥を受け土佐に流される。鎌倉期の
     歌人。「玉葉和歌集の選者」。

荀子の言葉です。

君なる者は舟なり、庶人(しょじん)なる者は水なり、水は
則(すなわち)舟を載せ、水は則(すなわち)舟を覆(くつがえ)
す。

たとえば君主は舟であり、民衆は舟である。水は舟を浮かべ
もするし、転覆させもするのである。民衆が政治を不満とし
て騒ぐ時には、君主は安穏とその地位にいることなど出来ない。

今はとて 宿離れぬとも 慣れ来つる 真木の柱は
我を忘るな
            源氏物語・真木柱の巻

(いまはとて やどかれぬとも なれきつる まきの
 はしらは われをわするな)

意味・・今となってはもうこれまでと、私が家を出て
    行っても、平素なじんで来た真木の柱は私を
    忘れないでいて下さい。

    父と母が別れる事になり、母の実家に移る時
    に、柱の割れ目に、紙に書いて挟んだ歌です。

 注・・今はとて=今となっては、もはや。
    真木の柱=「真木」は杉や檜の良材をいう。
     柱は乾きすぎて、ひびや割れ目が入る。

わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 
降らまくは後
           天武天皇(てんむてんのう)
             (万葉集・103)

(わがさとに おおゆきふれり おおはらの ふりにし
 さとに ふらまくはのち)

意味・・こちらの里には今日大雪が降った。まことに綺麗
    だが、おまえの居る大原の古びた里に降るのはも
    っ後だろう。さすがに私の居る所はたいしたもの
    だろう。

    戯れで藤原夫人(ぶじん)に贈った歌です。

    同音の繰り返しが心地よい歌となっています。
    「大雪・大原」「降れり・古りにし・降らまく」。

 注・・大原=奈良県高市郡明日香村小原の地。
    古りにし里=藤原夫人の住んでいる所をふざけて
     わざっと悪く言ったもの。
    降らまくは=降るであろうことは。「ま」は推量
     の助動詞「む」の未然形。「く」は名詞化する
     接尾語。
    藤原夫人=鎌足の娘。「夫人」は天皇に仕える職
     の名で、妃に次ぐもの。

作者・・天武天皇=622~686。第40代天皇。壬申の乱を起
     こし弘文天皇を滅ぼして都を大和の飛鳥に移す。

此木戸や 錠のさされて 冬の月
               宝井其角(たからいきかく)
                 (猿蓑)

(このきどや じょうのさされて ふゆのつき)

意味・・夜も更けてほとんど人通りの絶えた刻限である。
    大木戸の門はすでに閉ざされており、空には寒々
    とした冬の月が冴えわたっている。

    孤独感やわびしさを感じさせられます。

 注・・木戸=城戸・城門で、城や柵に設けた門である
     が、ここでは江戸時代市街地の通路に警備の
     ために設けた門。夜十時以降はこれを閉ざし
     て一般の通行を禁じた。

作者・・宝井其角=1661~1707。榎本氏のちに宝井氏。
     医術・儒学を学ぶ。15歳頃芭蕉に入門。
  

このページのトップヘ