名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年01月

きのふこそ 秋はくれしか いつのまに 岩間の水の
うすこほるらむ
             藤原公実(ふじわらのきんざね)
               (千載和歌集・387)

(きのうこそ あきはくれしか いつのまに いわまの
 みずの うすこおるらん)

意味・・つい昨日秋は暮れたと思っていたのに、いつのまに
    か岩間の水がうす氷を張るようになってしまった。

作者・・藤原公実=1053~1107。正二位権大納言。「堀河
     百首」。

夜ならば 月とぞ見まし 我がやどの 庭白妙に
降り積もる雪
        読人知らず
        (後撰和歌集・496)

(よるならば つきとぞみまし わがやどの にわしろたえに
 ふりつもるゆき)

意味・・夜であれば月の光だと思って見るだろう。
    我が家の庭を真っ白にして降り積もって
    いる雪は。


冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは
春にやあるらむ
           清原深養父(きよはらのふかやぶ)
             (古今和歌集・330)

(ふゆながら そらよりはなの ちりくるは ゆきの
 あなたは はるにやあるらん)

意味・・冬なのに空から花が降ってくるよ。そうすると、
    雲の向こうはもう春なのではなかろうか。

 注・・冬ながら=冬でありながら。
    花=雪を花と見たもの。次の句に「雲」とある
     ので分かる。

作者・・清原深養父=910年頃活躍した人。清少納言の
     曾祖父。

思ふぞよ 故郷遠き 旅寝して 霰降る野に
あられける身を
          後水尾院(ごみずのおいん)
            (御着至百首・66)

(おもうぞよ ふるさととおき たびねして あられふる
 のに あられけるみを)

意味・・思うことだよ、故郷を遠く離れて旅寝をして、
    霰の降る野にもいる事の出来る我が身を。

    過酷な旅にも耐えられる自分を再発見した気持
    を詠む。

作者・・後水尾院=1596~1680。108代天皇。

ほがらかに をさなき吾が児が 笑ふなべ 笑はむとすれば 
咳いでむとす
               古泉千樫(こいずみちかし)
                 (青牛集)

(ほがらかに おさなきわがこが わらうなべ わらわんと
 すれば せきいでんとす)

詞書・・病床雑詠。

意味・・安静して寝ているものにとっては、子供の声は唯一
    のなぐさめである。なにが原因で笑うのか知らない。
    ただもうおかしくておかしくて笑いこけている。無心
    にほがらかなその声を耳にすると、自分までがつい
    つり込まれて笑い出したくなってしまう。しかし
    その刺激はすぐに咳を誘発してしまう。一瞬にして
    深い悲しみがわきあがって来る。

作者・・古泉千樫=1886~1927。42歳。伊藤左千夫門下。
     小学校教員。歌集「川のほとり」「青牛集」。
 

はかなしな 窓のくれ竹 うつ声に 夜はのあらしを
さとるばかりは
            心敬(しんけい)
            (寛正百首・87)

(はかなしな まどのくれたけ うつこえに よわの
 あらしを さとるばかりは)

意味・・思えばはかないことだ。窓の呉竹を打つ音に
    せいぜい夜更けの嵐を知るくらいで、誠の道
    を悟り得ないとは。

    竹の打つ音を聞いて、香厳(きょうげん)禅師
    は撃竹の悟りを開いたのだが、自分はただ、
    強い風が吹いているだけしか感じ得ず、寂し
    い思いだ、という気持です。

 注・・竹うつ声=撃竹の悟りのこと。香厳(きようげ
     ん)禅師が自分の非力を知り山で修業中、道
     を掃除していて小石が竹に当たる音を聞き、
     忽然(こつぜん)として大悟したという。

作者・・心敬=1406~1475。十住心院の僧。権大僧都。

是も又 都のつとと 小原女が 薪のゆきを 
はらはでやこし
            伴蒿蹊(ばんこうけい)
              (閑田詠草)


(これもまた みやこのつとと おはらめが たきぎの
 ゆきを はらわでやこし)

意味・・これもまた都への土産だとして、大原女が薪の
    上に積もった雪を払わないで来たのだなあ。

 注・・つと=みやげ。
    小原女=大原女と同じ。京都市左京区大原付近
     から薪を頭に乗せて売りに来る女性。

作者・・伴蒿蹊=1733~1806。近江八幡の豪商の生まれ。
     文章家として有名。著作に「近世奇人伝」、
     歌集に「閑田詠草」がある。


新しき 年の始めは いや年に 雪踏み平し
常かくにもが
          大伴家持(おおとものやかもち)
            (万葉集・4229)

(あたらしき としのはじめは いやとしに ゆきふみ
 ならし つねかくにもが)

意味・・新しい年の初めには、来る年も来る年も、雪を
    踏みならして、いつもこのように賑(にぎ)わしく
    集まりたいものだ。

    正月の賀宴や新年会が催されるのは喜ばしい
    ことだ、という気持を詠んでいます。

 注・・いや年=弥年。毎年。年毎に。
    雪踏み平(なら)し=雪を踏みつけて平らにして。
     多くの人が訪れることをいう。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の長男。
     中納言・従三位。万葉集後期の代表的
     歌人。


なべて世に ふるや霰も あら玉の 年の光を
しくかとぞ見る
              正徹(しょうてつ)
              (正徹詠草・1)

(なべてよに ふるやあられも あらたまの としの
 ひかりを しくかとぞみる)

意味・・庭に降った霰の白い玉を見ると、まるでこの世の
    隅々まで、新しい年の光を敷き詰めたようだ。

    白い霰の玉を新年の白光に比喩している。

 注・・なべて=並べて。一面に。
    ふる=「降る」と「経る」を掛ける。
    あら玉=「年」の枕詞。「霰」を「白玉」に比喩。

作者・・正徹=1381~1459。字は清岩。34歳で出家。家集
     「草根集」。

おそろしき とらの年の尾 ふみこえて 光のどけき
玉の卯の春
            花道つらね(はなみちつらね)
              (徳和歌後万載集)

(おそろしき とらのとしのお ふみこえて ひかり
 のどけき たまのうのはる)

意味・・聞くさえ恐ろしい虎(寅)の年の瀬を、危うい
    目にあいながらもやっと乗り越えて、明るい
    のどかな光のさす卯年の春を迎えた。

    上の句の動、下の句の静の対照があざやか。

 注・・とらの年の尾=危険なことをあえてする意の
     諺「虎の尾を踏む」に「寅の年」を掛けて
     困難な年の瀬を乗り越える意を効かせる。
    玉の卯=月の中のうさぎをいう。ここでは卯
     の美称。

作者・・花道つらね=1741~1806。五代目市川団十郎。

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