名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年02月

よる波も 匂ふ入江の 梅柳 いづれのかげに 
舟はとどめむ
           村田晴海(むらたはるみ)
             (琴後集)

(よるなみも におういりえの うめやなぎ いずれの
 かげに ふねはとどめん)

意味・・波は梅と柳の匂う入江のほとりに打ち寄せて
    いる。そのどちらの木陰に舟を泊めようか。

作者・・村田晴海=1746~1811。干鰯問屋の家業の没落
     により歌人・国学者としの生活を送る。


生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は
楽しくをあらな
           大伴旅人(おおとものたびびと)
             (万葉集・349)

(いけるもの ついにもしぬる ものにあれば このよに
 あるまは たのしくをあらな)

意味・・命ある者は遂には死ぬものであるから、この世に
    生きている間は楽しくありたいものだなあ。

    酒を讃(たた)える歌13首のうちの1首です。
    陶淵明の下記の詩も参照してください。    

作者・・大伴旅人=665~731。大宰師(だざいのそち)を
     経て大納言・従二位となる。山上憶良と親交。

参考です。
陶淵明の詩。

己酉(つちのととり)の歳(とし)九月九日
               陶淵明

靡靡(びび)として秋已(すで)に夕(く)れ
淒淒(せいせい)として風露(ふうろ)交(ゆきか)ふ
蔓草(まんそう)復(ま)た栄えず
園木(えんぼく)空しく自(おのづか)ら凋(しぼ)む
清気(せいき)余滓(よし)を澄まし
杳然(えうぜん)として天界高し
哀蝉(あいせん)響きを留(とど)むる無く
叢雁(そうがん)雲霄(うんせう)に鳴く
万化(ばんくわ)相(あひ)尋繹(じんえき)す
人生豈(あ)に労せざらんや
古(いにしへ)より皆没する有り
之(これ)を念(おも)へば中心焦(こが)る
何を以てか我が情を称(かな)へん
濁酒(だくしゆ)且(しば)し自(みづか)ら陶(たのし)まん
千載(せんざい)知る所に非(あら)ざれば
聊(いささ)か以て今朝(こんてう)を永くせん

【通釈】
力なく秋は衰え、既に暮れようとし、
さむざむと風が草木の露に吹きつける。
蔓延っていた草が再び栄えることはなく、
庭の樹々は裸になり自ずと生気を失った。
秋風が大気に残っていた汚れを清め、
天を見上げれば遥々と高い。
哀しげに啼いていた蝉の余響は消え、
代りに雁の群れが大空に鳴いている。
万物は次々に入れ替わってゆく。
人の命もまた疲弊せずにおろうか。
昔から生ある者は必ず死ぬさだめ。
それを思えば心中じりじりと焼かれるようだ。
何をもって我が心をなだめればよいか。
濁り酒を飲み、自ら楽しもう。
千年の寿命など知るところではないから、
とりあえず今朝をのんびり過ごすとしよう。

【語釈】
◇靡靡 衰え、滅びゆくさま。
◇雲霄 大空。
◇尋繹 次々につらなる。推移する。

【補記】
義熙五年(409)、作者四十五の年、重陽の節日の
感慨を詠む。郷里に帰って四年目の秋である。


ほほゑみて うつつごころ に あり たたす くだらぼとけ に
しく ものぞ なき
             会津八一(あいづやいち)
               (鹿鳴集) 

意味・・その顔に飛鳥時代の仏特有の微笑をたたえ、うつら
    うつらとした気持で、お立ちになっている、この
    百済観音の姿に匹敵するものは、他にない。なんと
    美しいことか。

    仏像の優しい顔だちの表情をとらえて百済観音を賛美した歌
    です。

 注・・ほほゑみて=飛鳥時代(七世紀)の仏像特有の微笑
     を浮かべた表情。
    うつつこごろ=うつつとも夢ともなき心地。うつ
     らうつら。
    ありたたす=お立ちになっている。「あり」は接
     頭語。「たたす」は「立つ」の尊敬語。
    くだらぼとけ=法隆寺の観音菩薩像。一般に百済
     観音と呼ばれている。楠材の一木から成る長身
     (197CM)の立像。国宝。
    しくものぞなき=他に及ぶものがない。

作者・・会津八一=1881~1956。早稲田大学卒。文学博士。
     奈良文化・美術史研究家。
   

人もさぞ 我をおろかに 思ふらむ 我も人をば 
おろかにぞ見る
            二条良基(にじょうのよしもと)
             (後普光院殿百首・91)

(ひともさぞ われをおろかに おもうらん われも
 ひとをば おろかにぞみる)

意味・・世の人もさぞや私を愚か者だと思っているだろう。
    私もまた世の人を愚か者に見えることだ。    

作者・・二条良基=1320~1388。北朝の天皇に仕える。
     太政大臣。「後普光院殿百首」。


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
            紀内侍(きのないし)
            (拾遺和歌集・531)

(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

作者・・紀内侍=生没年未詳。紀貫之の娘。


参考です。
「大鏡」の昔話。

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば 
いかが答へむ

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。

どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。

色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。

受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。

色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。

何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。

美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
  いかが答へむ」

『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。

慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。

それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。


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