名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年04月

(4月29日)

ほとどぎす 空に声して 卯の花の 垣根も白く
月ぞ出でぬる
          永福門院(えいふくもんいん)
          (玉葉集・319)

(ほとどぎす そらにこえして うのはなの かきねも
 しろく つきぞいでぬる)

意味・・ほとどぎすが空で一声鳴いて過ぎ、地上には
    卯の花が垣根に白く咲きこぼれている。折し
    も垣根の向こう、中空を見ると、月がちょう
    ど出てきた所である。

    この歌を基にして佐々木信綱は「夏は来ぬ」
    の唱歌を作っています。

    卯の花の匂う垣根に 時鳥早やも来鳴きて
    忍び音もらす 夏は来ぬ

作者・・永福門院=1271~1342。京極派の代表歌人。


(4月28日)

田や沼や よごれた御世を 改めて 清く澄ませよ
白河の水

(たやぬまや よごれたみよを あらためて きよく
 すませよ しらかわのみず)

意味・・今の政治は田や沼のように汚れてしまった。
    奥州白河藩主の定信さんよ、あなたが早く
    田沼を追放して汚れた政治を白河のように
    清く澄まして欲しい。

    田沼意次(おきつぐ)は士農工商を廃止して
    重商主義をとった。その結果商人の賄賂が
    はびこる世になった。松平定信は当時白河
    藩主であった。


友ほしく 何おもひけむ 歌といひ 書という友
ある我にして
           橘曙覧(たちばなのあけみ)
         (志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集・805)

(ともほしく なにおもいけん うたといい ふみ
 というとも あるわれにして)

意味・・寂しくなり、どうして友達が欲しいと思った
    のだろう。私には、歌詠みとか本という友達
    がありながら。

 注・・何おもひけん=どうして思ったのだろう。
    にして=・・でありながら。


作者・・橘曙覧=1812~1868。越前国福井(今の福井
     市)の紙商の長男。家業を異母弟に譲って
     隠棲。歌集「志濃夫廼舎」。

信濃路の おぎその山の やま桜 またも来て見む
ものならなくに
               賀茂真淵(かものまぶち)
               (賀茂翁家集)

(しなのじの おぎそのやまの やまざくら またも
 きてみん ものならなくに)

意味・・信濃のお木曽の山に咲いている山桜よ、私は
    再びここへ来て見るということはないことで
    あろう。

    よい景色を見るとそれを惜しむ心から、こう
    した景色は生涯にまたと見られるかどうか分
    からない、それが家遠い旅であればいっそう
    のことだ、という気持を詠んでいます。

 注・・信濃路=信濃に行く路。ここでは信濃の意。
    おぎそ=地名で木曽または小木曽。
    ならなくに=・・でないのだから。

作者・・賀茂真淵=1697~1769。本居宣長をはじめ多
     くの門人を育成。「賀茂翁家集」。
    

信濃路の おぎその山の やま桜 またも来て見む
ものならなくに
               賀茂真淵(かものまぶち)
               (賀茂翁家集)

(しなのじの おぎそのやまの やまざくら またも
 きてみん ものならなくに)

意味・・信濃のお木曽の山に咲いている山桜よ、私は
    再びここへ来て見るということはないことで
    あろう。

    よい景色を見るとそれを惜しむ心から、こう
    した景色は生涯にまたと見られるかどうか分
    からない、それが家遠い旅であればいっそう
    のことだ、という気持を詠んでいます。

 注・・信濃路=信濃に行く路。ここでは信濃の意。
    おぎそ=地名で木曽または小木曽。
    ならなくに=・・でないのだから。

作者・・賀茂真淵=1697~1769。本居宣長をはじめ多
     くの門人を育成。「賀茂翁家集」。
    


み餐する 物こそなけれ 小瓶なる 蓮の花を 
見つつしのばせ
               良寛(りょうかん)
               (良寛歌集・1107)

(みあえする ものこそなけれ こがめなる はちすの
 はなを 見つつしのばせ)

意味・・おもてなしする物は何も無いけれど、せめて、
    瓶に挿しておいた蓮の花を見ながら、それを
    私のもてなしだと思って、美しさをほめて下
    さい。

    良寛の留守中に来訪した貞心尼が詠んだ歌
    「来てみれば 人こそ見えね 庵守て 匂ふ
     蓮の 花の尊さ」に応えて詠んだ歌です。 

 注・・み餐(あえ)=飲食のもてなし。
    しのばせ=賞美する。
    貞心尼=長岡藩士の娘。夫と死別後尼になり
     良寛に禅の指導を受ける。

作者・・良寛=1758~1831。

すぎぬるか 夜半のねざめの 郭公 声はまくらに
ある心地して
            藤原俊成(ふじわらのとしなり)
            (千載和歌集・165)

(すぎぬるか よわのねざめの ほとどぎす こえは
 まくらに あるここちして)

意味・・過ぎて行ったのだろうか、夜半の寝覚めに聞いた
    時鳥は。声はまだ枕元に残っているように思われ
    るのだが。

作者・・藤原俊成=1114~1204。定家の父。「千載和歌集」
     の選者。

葛城や 久米の岩橋 神かけて 契りし中の 
いつ絶えにけん
            宗尊親王(むねたかしんのう)
            (文応三百首・249)

(かづらきや くめのいわばし かみかけて ちぎりし
 なかの いつたえにけん)

意味・・葛城の久米の岩橋を一言主(ひとことぬし)の神が
    架け渡そうとして中断したように、神に誓いを立
    てて約束した二人の仲が、いつ絶えてしまったの
    だろうか。

    昔、役行者が葛城山の一言主の神に命じて葛城山
    から吉野の金峰山まで岩橋を架けさせようとした
    が、夜が明けてきたため、顔の醜さを恥じて鬼神
    達は働かず、岩橋が中断したままになったという
    伝説に基づいて詠んだ歌です。

 注・・葛城や久米の石橋=葛城の久米路に渡した岩橋。
     奈良県葛城山の一言主の神が葛城山から金峰山
     (きんぷせん)に架けようとした石橋。

作者・・宗尊親王=1242~1274。33歳。後嵯峨天皇の第二
     子。鎌倉幕府大6代将軍。


たのしみは 百日ひねれど 成らぬ歌の ふとおもしろく
出できぬる時
           橘曙覧(たちばなのあけみ)
           (志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集・557)

(たのしみは ももかひねれど ならぬうたの ふと
 おもしろく いできぬるとき)

意味・・私の楽しみは、何日も何日も苦労しながら
    思うように歌えなかった歌が、ふとなにか
    のきっかけで面白く出来上がったときだ。
    歌詠みにとって、苦吟のはてに生れた一首
    ほど喜ばしいものはない。

 注・・百日(ももか)=多くの日数。
    ひねる=苦吟する。和歌や俳句を苦心して
     作る。

作者・・橘曙覧=1812~1868。越前国福井(今の福井
     市)の紙商の長男。家業を異母弟に譲って
     隠棲。歌集「志濃夫廼舎」。

夜もすがら 嘆きあかして ほとどぎす 鳴く音をだにも
聞く人もなし
             狭衣物語(さごろもものがたり)
             (物語二百番歌合・55)

(よもすがら なげきあかして ほとどぎす なくねを
 だにも きくひともなし)

意味・・夜通し嘆いて夜を明かして、ほとどぎすは、鳴く
    声をだけでも聞いて欲しいのに、聞いてくれる人
    もいない。

    物語の主人公の狭衣が自分をほとどぎすに擬して
    詠んだ歌です。

 注・・狭衣物語=平安後期の1075年頃の成立。狭衣大将
     と源氏宮との恋の物語。全四巻。


明けばまた 秋のなかばも 過ぎぬべし かたぶく月の
惜しきのみかは
             藤原定家(ふじわらのさだいえ)
             (新勅撰和歌集・261)

(あけばまた あきのなかばも すぎぬべし かたぶく
 つきの おしきのみかわ)

意味・・この十五夜の夜が明けたら、また今年の秋も
    半ばが過ぎてしまうであろう。傾く月が惜し
    いだけであろうか。秋が半ばを過ぎてしまう
    のも惜しいのだ。

 注・・かは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。

作者・・藤原定家=1162~1241。「新古今集」「新
     勅撰和歌集」の選者。

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