名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年05月

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の
荒れまく惜しも
           柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)
           (万葉集・168)

(ひさかたの あめみるごとく あおぎみし みこの
 みかどの あらまくおしも)

意味・・大空を見るように仰ぎ見ていた草壁皇子の御殿が
    荒れてゆくのは悲しいことだ。

    草壁皇子は父が天武天皇、母は持統天皇。天武天皇
    崩御後、ライバルの大津皇子に争い勝ち、持統天皇
    と供に天下を取ったが28歳の若さで亡くなった。
    その後の宮殿の荒れて行く姿を詠んだ歌です。

 注・・御門=宮殿。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。万葉時代の最大の歌人。


あかねさす 日は照らせど ぬばたまの 夜渡る月の
隠らく惜しも
             柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)
             (万葉集・169)

(あかねさす ひはてらせど ぬばたまの よわたる
 つきの かくらくおしも)

意味・・日は照っているが(持統天皇はおられるが)夜空を
    渡る月が隠れてしまう(草壁皇子が亡くなった)のは
    つくづく惜しまれる。

    草壁は父は天武、母は持統で、天武崩御後、ライバ
    ルの大津皇子を謀反の罪で除き、持統と供に政治を
    執っていた。草壁皇子は689年28歳で亡くなった。
    草壁即位の期待が空しくなり、嘆きを詠んだ歌です。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。万葉時代の最大の歌人。


香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し
印南国原
          中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
          (万葉集・14)

(かぐやまと みみなしやまと あいしとき たちて
 みにこし いなみくにはら)

意味・・ああ、ここが、香具山と耳成山とが争った時、
    阿菩大神(あぼのおおかみ)が立って、見に来た
    という印南国原だ。

   大和三山の妻争いの伝説を歌ったもの。大和平野
   には香具山(男山)・畝傍(うねび)山(女山)・耳成
   山(男山)が向い合い、この三山が妻争いをしたと
   いう伝説。阿菩大神が仲裁に来たという。
   神代の時代からこんなふうであり、昔もそうだか
   ら、今の世でも妻を求めて争うものだと嘆いた歌。

作者・・中大兄皇子=後の天智天皇。

信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましなむ
沓はけ我が背
           信濃の国の東歌      
           (万葉集・3399)

(しなのじは いまのはりみち かりばねに あし
 ふましなん くつはけわがせ)

意味・・信濃道は、最近通じたばかりの道だから、鋭い
    切り株がほうぼうにあります。きっと踏むでし
    ようから、足を痛めないように沓をはいて行っ
    て下さいね、あなた。

    713年信濃と美濃に開通した時に詠んだ歌で、
    一般庶民の多くは裸足だった。沓は正式なも
    のは革製で、普通は布や藁(わら)、木などで
    作った。

 注・・信濃の国=今の長野県。
    墾(は)り道=開墾したばかりの道。
    刈りばね=切り株。

心爰になきか鳴かぬか郭公

              西鶴(さいかく)
              (西鶴全句集・2)

(こころここに なきかなかぬか ほとどぎす)

意味・・私がついうっかりして他の事を考えていた為に、
    お前が折角よい声で鳴いたのに、それを聞かなか
    ったのだろうか、それともお前が鳴かなかったの
    だろうか、郭公よ。今度しっかり聞くから鳴いて
    くれないか。
   
    中国の古典「大学」の次の語句を参考にして詠ま
    れています。
    心焉(ここ)に在らざれば視れども見えず、聞けど
    も聞えず。

 注・・爰(ここ)に=ここに、すなわち。
    焉(ここ)に=いずくんぞ、これより、ここに。

作者・・西鶴=1642~1693。西山宗因に入門。談林派。
    「浮世草子」。


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