名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年06月

駿河路や花橘も茶の匂ひ
               芭蕉
               (炭俵)
(するがじや はなたちばなも ちゃのにおい)

意味・・江戸から東海道を通って、駿河国あたりに来ると、
    この街道筋は暖かい地方なので、白い橘の花があ
    ちらにもこちらにも咲いてよい香りを放っている。
    だが、それにもましてこの地方は製茶が盛んで、
    さすが香気の高い橘の花までも、茶の匂いに包み
    こまれてつまうようだ。

 注・・駿河路=駿河(静岡県)を通る東海道筋。
    花橘=橘の花を賞美している語。橘は一種の蜜柑。

作者・・芭蕉=1644~1695。「奥の細道」「野ざらし紀行」。

熊坂が死んでも国に鼠有
               作者 不明
               (出典・裏若葉)
(くまさかが しんでもくにに ねずみあり)

意味・・石川五右衛門は「石川や浜の真砂は尽きるとも
    世に盗人のたねはつきまじ」と詠んだというが、
    かの有名な熊坂長範が牛若丸に殺されても、広
    い日本には、鼠賊(そぞく)が出没、盗人の隠れ
    家など、どこにもできるものだ。

 注・・熊坂=熊坂長範。盗賊の首領。1174年美濃赤坂
     で牛若丸を襲って討たれた。
    鼠=鼠賊(そぞく)、こそどろ。

われのみや 世を鶯と なきわびむ 人の心の 
花と散りなば
             読人知らず
             (古今和歌集・798)
(われのみや よをうぐいすと なきわびん ひとの
 こころの はなとちりなば)

意味・・もしもあの人の心が、花が散るように私から
    すっかり離れてしまったら、私だけが世を憂
    きものとはかなんで、鶯のように泣くのだろ
    うか。

 注・・鶯=「うぐいす」に「憂く」が掛けられている。

髪あげて 挿さむと云ひし 白ばらも のこらずちりぬ 
病める枕に
             山川登美子(やまかわとみこ)
             (恋衣)
(かみあげて ささんといいし しろばらも のこらず
 ちりぬ やめるまくらに)

意味・・髪を結って挿しましょう、と言った、あの白ばらの
    花もみんな散ってしまった。病んでいる私の枕許で。

    病気中の枕許にきれいに活けられてあった白ばらの
    花を、やがて病が治ったら結い上げた髪に挿そうと
    思っていた。ところがいつのまにか花は散ってしま
    った。
   「白ばら」に希望を託していたのだが、それは叶わぬ
    状態にあることを歌っています。

 注・・髪あげて=髪を結って。

作者・・山川登美子=1879~1909。31歳。与謝野昌子・増田
    雅子・山川登美子の共著の歌集「恋ごろも」を出版。


子の為に 残す命も へてしがな 老いて先立つ
否びざるべく
          藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)
          (兼輔集)
(このために のこすいのちも へてしがな おいて
 さきだつ いなびざるべく)

意味・・我が子の為にしてやれる残りの命も少なくなって
    しまった。年老いて子に先立つ事は逆らいようの
    ない事だ。我が亡き後、子供たちはどのようにし
    て生きていくことか。

 注・・へて=経て。時がたつ。
    否び=承知しない。断る。

作者・・藤原兼輔=877~933。紫式部の曽祖父。中納言。

波の上ゆ 見ゆる小島の 雲隠り あな息づかし 
相別れなば
            笠金村(かさのかなむら)
            (万葉集・1454)
(なみのうえゆ みゆるこじまの くもがくり あな
 いきづかし あいわかれなば)

詞書・・733年に遣唐使が立つ時に贈った歌。

意味・・あなたの船が出帆して、波の上から見える小島
    のように、遠く雲がくれに見えなくなって、い
    よいよお別れということになるなら、ああ吐息
    の衝かれることだ、悲しいことだ。

 注・・波の上ゆ=「ゆ」は動作の時間的・空間的起点
     を表す。
    息づかし=息衝(づ)く、溜息が出るようにせつ
     ない。

作者・・笠金村=伝未詳。朝廷歌人。

引き植えし 二葉の松は ありながら 君が千歳の
なきぞ悲しき
            紀貫之(きのつらゆき)
            (後撰和歌集・1411)
(ひきうえし ふたばのまつは ありながら きみが
ちとせの なきぞかなしき)

意味・・正月の子(ね)の日に引いて来て植えた二葉の松は
    このようにここにあるけれども、この松に象徴さ
    れるあなたの千歳の命がもう無くなったのが悲し
    ことです。

    紀貫之が5年ぶりに土佐から都に帰って来た時に
    兼輔中納言が亡くなっていたので詠んだ歌です。

 注・・引き植えし・・=正月の子(ね)の日に小松を根
     から引き抜き、長寿を祝って植えた松。
    二葉の松=「二葉」は芽を出したばかりの若い
     植物。この場合は「小松」のこと。
    兼輔中納言=藤原兼輔。紫式部の祖父。933年
     57歳で没した。貫之が土佐から帰国したのは
     その2年後。

作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的な撰者。
     「土佐日記」の作者。

まつほどに 夏の夜いたく ふけぬれば おしみもあへぬ 
山の端の月
             源道済(みなもとのみちなり)
             (詞花和歌集・77)
(まつほどに なつのよいたく ふけぬれば おしみも
 あえぬ やまのはのつき)

意味・・月の出を待っているうちに短い夏の夜はひどく
    更けてしまったので、東の山の端に月は出たけ
    れど、その月を十分に愛惜するひまがない。

    夏の夜の短さを強調した歌。

 注・・ふけぬれば=「夜ふく」は、夜中を過ぎて明け
     方近くなること。

作者・・源道済=~1019没。筑前守。従五位下。中古
     三十六歌仙。

荒き風 防ぎしかげの 枯れしより 小萩が上ぞ
静心なき
        桐壺の更衣の母(きりつぼのこういのはは)
          (源氏物語・桐壺)

(あらきかぜ ふせぎしかげの かれしより こはぎが
 うえぞ しずこころなき)

意味・・荒い風を防いでいた木陰が枯れてしまって以来、
    小萩の上は心静かでありません。
    世間のきびしい風当りを防いでいた桐壺の更衣
    が亡くなってから、若宮の上が心配で、落ち着
    きません。

    桐壺の更衣が亡くなって、幼子の事を心配して
    詠んだ歌です。

 注・・小萩=ここでは幼子、源氏の君、若宮の意。
    更衣=女御につぐ宮廷に仕える女官。
    女御=天皇の配偶者。

百姓の 多くは酒を やめしといふ もっと困らば
何をやめるらむ 
            石川啄木(いしかわたくぼく)
            (悲しき玩具)

(ひゃくしょうの おおくはさけを やめしという もっと
 こまらば なにをやめるらん)

意味・・農民の多くは生活に困窮して好きな酒をやめた。
    もっと困ったら次に何をやめるだろうか。

    明治44年に詠んだ歌です。

作者・・石川啄木=1886~1912。26歳。地方の新聞記者を
     経て朝日新聞校正係りをする。「一握の砂」「
     悲しき玩具」。


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