名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年06月

むさし野を 霧の晴れまに 見わたせば ゆく末とほき
心ちこそすれ
             平兼盛(たいらのかねもり)
             (後拾遺和歌集・427)

(むさしのを きりのはれまに みわたせばゆくすえ
 とおき ここちこそすれ)

詞書・・屏風に武蔵の国の絵を描いてありましたのを
    詠んだ歌。

意味・・武蔵野を霧の晴れ間にずっとながめ渡すと、
    野がはるばると続いて、行く末の遠い心地が
    します。あなた様もこの絵のように、行く末
    長くご長命なさることと存じます。

 注・・むさし野=武蔵の国一体に広がる平野。今の
     関東平野の一部。

作者・・平兼盛=~990。駿河守。三十六歌仙の一人。

道とほみ いでへもゆかじ この里も 八重やは咲かぬ 
山吹の花
             藤原伊家(ふじわらのこれいえ)
             (後拾遺和歌集・157)

(みちとおみ いでへもゆかじ このさとも やえやは
 さかぬ やまぶきのさと)

意味・・道が遠いので井手には行くまい。井手は山吹の
    名所だが、この里だって八重の山吹の花は咲か
    ないことはないのだから。

 注・・いで=京都府綴喜(つづき)郡井手町。井手の玉
     川は山吹の名所として歌枕。
    やは=反語。八重が咲かないだろうか、いや咲く。
    山吹の花=バラ科の落葉低木、春に黄色の花が
     咲く。一重と八重がある。

作者・・藤原伊家=1041~1084。少納言、従五位下。


妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙
いまだ干なくに
            山上憶良(やまのうえおくら)
            (万葉集・798)

(いもがみし おうちのはなは ちりぬべし わが
 なくなみだ いまだひなくに)

意味・・妻が好んで見ていた楝(おうち)の花は、いくら
    奈良でももう散ってしまったに違いない。妻を悲
    しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。

    咲くのも散るのも奈良より早い筑紫の楝を眺めつ
    つ、妻にちなむ物がここもかしこも消えてしまう
    のを嘆いた歌です。

 注・・楝(おうち)=現在は栴檀と呼ばれている。高木
     落葉樹。6月に紫色の花が咲く。

作者・・山上憶良=660~733。筑前守。遣唐使として三年
     唐に滞在。


逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものも 
思はざりけり
          藤原敦忠(ふじわらのあつただ)
          (拾遺和歌集・710、百人一首・43)

(あいみての のちのこころに くらぶれば むかしは
 ものも おもわざりけり)

意味・・逢ってみてから後のこの私のせつない恋心に
    比べると、逢う前の恋しさなどはないも同然
    であった。

 注・・逢ひ見ての・・=相手と関係を結んだ後の自
     分の切ない恋心。

作者・・藤原敦忠=906~943。従三位中納言。



来めやとは 思ふものから 蜩の 鳴く夕暮れは
立ちまたれつつ
             読人知らず
             (古今和歌集・772)

(こめやとは おもうものから ひぐらしの なく
 ゆうぐれは たちまたれつつ)

意味・・来てくださるだろうか、いや期待はしないほうが
    いい。そう思いながらも、蜩の鳴き出す夕暮れに
    なると、じっと座っていられなくなる、私は。

    和泉式部の参考歌です。

   「なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは
    ものぞかなしき」

    私には、あなたという誇らしい恋人があります。
    この世に、あなたのやさしさを超えるなぐさめが
    あろうとは思いません。それなのに、夕暮れとも
    なると、どうにもならない悲しみにうつむいてし
    しまうのです。いったいどこから湧いてくる悲し
    みなのでしょうか。

    当時は通い婚であったので、夫は妻の家に行って
    いた。

 注・・来めや=来るだろうか。「めや」は反語。



ときは今 あめがしたしる 五月かな 水上まさる 
庭の松山
             明智光秀(あけちみつひで)

(ときはいま あめがしたしる さつきかな みなかみ
 まさる にわのまつやま)

意味・・五月(太陽暦六月末)の梅雨の季節に、強い雨足が
    降り、庭に流れ込む水も溢れんばかりになっている。

    歌の上句は「土岐は今天が下知る五月かな」を意味
    し、光秀の決意が秘められているといわれています。

    土岐氏の流れをくむ明智光秀は、信長に替わって天
    下に号令する統治者たらんと宣言しょう。この事は
    朝廷も待ち望んでいることだ、の意になる。

 注・・したしる=滴しる。水が垂れ落ちる。
    まさる=増さる。増える、多くなる。
    下知る=指図をする、命令する、号令する。
    庭=ここでは朝廷を意味する。
    松山=松が植わった築山。ここでは待望しているの意。

作者・・明智光秀=1528~1582。土岐氏一族の出身。従五位
     日向守。本能寺の変・・1582年秀吉の毛利征伐の
     支援に出陣の時、「敵は本能寺にあり」と言って
     本能寺にいる主君織田信長を討った。その後すぐ
     豊臣秀吉に討たれた。


いたづらに 過ぐす月日は 多かれど 花見て暮らす
春ぞすくなき
             藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
             (和漢朗詠集・49、古今集・351)

(いたずらに すぐすつきひは おおかれど はなみて
 くらす はるぞすくなき)

意味・・何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれども、
    いざ春となって花を見るとなると、楽しい春の日
    というものは本当に短いものだ。
 
    参考です。

    人無更少時須惜  年不常春酒莫空   小野篁
 
    人更ねて少きことなし 時すべからく惜しむべし
  (ひとかさねてわかきことなし ときすべからくおしむべし) 
   
    年常に春ならず酒を空しくすることなかれ  小野篁
  (としつねにはるならずさけをむなしくすることなかれ や)

意味・・少年時代は二度と来ないから寸陰を惜しんで学ばな
    ければいけない。
    年に春は二度と巡って来ないから、暮春を惜しんで
    酒の楽しみを尽くせよ。

作者・・藤原興風=生没年未詳。890年頃活躍した六歌仙の
     一人。


年月の くれぬと何か をしみけむ 春にしなれば
春ぞたのしき
            賀茂真淵(かものまぶち)
            (賀茂翁家集)

(としつきの くれぬとなにか おしみけん はるにし
 なれば はるぞたのしき)

意味・・年が暮れたと思って、何故にそれを惜しんだ
    のだろうか。春となれば、春がいつにもまし
    て楽しい。

 注・・年月=ここでは年の意。
    春にし=「し」は上接する語を強調する副詞。

作者・・賀茂真淵=1697~1769。本居宣長(もとおりの
     りなが)ら門人を多数育成。「賀茂翁家集」。

年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 
佐夜の中山
             西行法師(さいぎょうほうし)
             (新古今和歌集・987)

(としたけて またこゆべしと おもいきや いのちなりけり
 さやのなかやま)

意味・・年老いて再び越える事が出来ると思っただろうか、
    思いはしなかった。命があったからなのだ。佐夜
    の中山よ。

    老いて再び懐かしい佐夜の中山を越えた感動と、
    ああ、よくぞ生きて来たという感慨を詠んでいます。

 注・・年たけて=年老いて。
    思ひきや=思ったか、思いはしない。
    命なりけり=命があったからなのだ。
    佐夜の中山=静岡県掛川市佐夜。「さやかにも」
     の意を含ます。

おもふこと かくてや終に やまがらす 我がかしらのみ
しろくなれれば
             小沢蘆庵(おざわろあん)
               (六帖詠藻)

(おもうこと かくてやついに やまがらす わがかしら
 のみ しろくなれれば)

意味・・思うことも実現しないまま、こうして終わって
    しまうのか。山烏よ、お前の頭は白くならない
    で、私の頭ばかりが白くなっていく。

 注・・やまがらす=「終にやまむ」を「やまがらす」に
     掛ける。

作者・・小沢蘆庵=1723~1801。和歌の指導のみで生活を
     送ったので貧しかった。「六帖詠藻」。


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