名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年09月

手に取れば 袖さへにほふ 女郎花 この白露に 
散らまく惜しも
             読人知らず
             (万葉集・2115)
(てにとれば そでさえにおう おみなえし この
 しらつゆに ちらまくおしも)

意味・・手に取ると袖まで染まる色美しい女郎花なのに、
    この白露のために散るのがはや今から惜しまれる。

 女郎花=秋の七草の一。黄色い花が粟に似ているから粟花」
  の別名がある。

秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 
七種の花 (その一)          
            山上憶良(やまのうえのおくら)
            (万葉集・1537)
(あきののにさきたるはなを およびおり かき
 かぞうれば ななくさのはな)

意味・・秋の野に咲いている花を、指折り数えて見ると、
    七種の花がある。


萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし
また藤袴 朝顔の花 (その二)
             山上憶良(やまのうえのおくら)
             (万葉集・1538)
(はぎのはな おばなくずばな なでしこのはな おみなえし
 またふじばかま あさがおのはな)

意味・・萩の花、尾花、葛の花、なでしこの花、おみなえし
    それから藤袴、朝顔の花。

    秋の七草は山上憶良が選定して今に至っている。

注・・朝顔=今の桔梗のこと。

作者・・山上憶良=660~733。遣唐使。筑前守。

梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと
葵花咲く
         読人知らず
         (万葉集・3834)
(なしなつめ きみにあわつぎ はうくずの のちも
 あわんと あおいはなさく)

意味・・梨・棗・黍(きび)・粟と次々に実のっても、私は
    早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続け
    る葛のように後には逢えようと、葵の花が咲いて
    いる。

    植物六種の取り合せと掛詞の面白さを詠む。

 注・・梨棗=字音の等しい「離・早(りそう)」を掛ける。
    黍(きみ)に粟つぎ=「君に逢わず」を掛ける。
    延(は)ふ葛=「後は逢はむ」の枕詞。
    葵(あふひ)=アオイ科の草。「逢う日」を掛ける。


朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 
咲きまさりけれ
             読人知らず
             (万葉集・2104)
(あさがおは あさつゆおいて さくといえど ゆうかげに
 こそ さきまさりけれ)

意味・・朝顔はその名のように朝露を浴びて咲くものだと
    聞いていたが、夕方の淡い光の中でこそ、ひとき
    わ見事に咲きにおうものである。

    名と違って、夕方の見事さに気づいて詠んだ歌。

 注・・あさがお=今の朝顔、槿(むくげ)、桔梗など。
     ここでは桔梗。

     

人皆は 萩を秋と言ふ よし我は 尾花が末を
秋とは言はむ
           読人知らず
           (万葉集・2110)
(ひとみなは はぎをあきという よしわれは 尾花が
 うれを あきとはいわん)

意味・・世間の人は皆、萩こそが秋を告げる花と言う。
    よしそれならば、私は尾花の穂先だって秋ら
    しいのだと言おう。

    萩の花に秋の到来を喜ぶ一方、尾花に秋の風情
    の深まりを期待する歌です。

 注・・よし=縦。不満足ではあるがしかたがないと
     許容・放任する意を表す。ままよ。
    尾花=薄のこと。


野辺見れば なでしこの花 咲きにけり 我が待つ秋は 
近づくらしも
             作者不詳
             (万葉集・1972)
(のべみれば なでしこのはな さきにけり わがまつ
 あきは ちかづくらしも)

意味・・野辺を見やると、なでしこの花がもう一面に
    咲いている。私が首を長くして待っている秋
    は、もうそこまで来ているようだ。

我が背子を いつぞ今かと 待つなへに 面やは見えむ
秋の風吹く
             藤原宇合(ふじわらのうまかい)
             (万葉集・1533)
(わがせこを いつぞいまかと まつなえに おもやは
 みえん あきのかぜふく)

意味・・あの人はいつ来るだろうか、今にでもすぐに
    来ると待っているが、ひょっとしてらお顔を
    見せないのではなかろうか。いたづらに秋の
    風が吹いてくる。

    女の立場に立って宴席で詠んだ歌。

 注・・背子=妻が夫を女性が恋人を呼ぶ語。
    なへに=・・とともに、・・すにつれて。

作者・・藤原宇合=694~737。遣唐使。陸奥守。正三位。



風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば
何か嘆かむ
            鏡王女(かがみのおおきみ)
            (万葉集・489)
(かぜをだに こうるはともし かぜをだに こんとし
 またば なにかなげかん)

意味・・風の音さえ恋心がゆさぶられるとは羨ましい
    ことです。風にさえ胸ときめかして、もしや
    おいでかと待つというのなら、何を嘆く事が
     ありましょう。
  
    自分には訪れてくれる人のあてもない嘆きを
    詠んでいます。

    万葉集の488に額田王の次の歌が並べられてい
    ます。

   「君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
    秋の風吹く」

作者・・鏡王女=生没年未詳。額田王の姉か。舒明天皇(640
年頃の人)の娘または孫。

参考歌です。

君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く
             額田王(ぬかたのおおきみ)
             (万葉集・488)       
(きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれ
 うごかし あきのかぜふく)

意味・・あの方のおいでを待って恋しく思っていると、
    家の戸口の簾をさやさやと動かして秋の風が
    吹いている。

    夫の来訪を今か今かと待ちわびる身は、かす
    かな簾の音にも心をときめかす。秋の夜長、
    待つ夫は来ず、簾の音は空しい秋風の気配を
    伝えるのみで、期待から失望に思いは沈んで
    行く。

 注・・屋戸=家、家の戸口。

作者・・額田王=生没年未詳。万葉の代表的歌人。


    

とまるべき 宿をば月に あくがれて 明日の道行く 
夜半の旅人
            京極為兼(きょうごくのためかね)
            (玉葉和歌集・1142)
(とまるべき やどをばつきに あくがれて あすの
みちゆく よわのたびびと)

意味・・泊まるはずの宿を、美しい月に心が誘いだされて、
    明日行くはずの道を歩み始めた、夜更けの旅人よ。

 注・・あくがれて=心がうかうかと落ち着かない。

作者・・京極為兼=1254~1332。伏見院の近臣であったが
     土佐に流される。鎌倉期歌人。「玉葉集」の選者。


吹く風の 色こそ見えね 高砂の 尾の上の松に
秋は来にけり
            藤原秀能(ふじわらひでよし)
            (新古今和歌集・290)
(ふくかぜの いろこそみえね たかさごの おのえの
 まつに あきはきにけり)

意味・・吹く風の色は秋とは見えないが、高砂の峰の松に、
    秋は来たことだ。

    本歌は、
   「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
    おどろかれぬる」

 注・・高砂=兵庫県加古川市尾上町。松の名所。

作者・・藤原秀能=1284~1240。正五位上・出羽守。
     承久の乱に破れて出家。


本歌です。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる
          藤原敏行(ふじわらのとしゆき)
          (古今和歌集・169)

(あききぬと めにはさやかに みえねども かぜの
 おとにぞ おどろかれぬる)

意味・・秋が来たと目にははっきり見えないけれど、
    風の音にその訪れを気ずかされることだ。

    見た目には夏と全く変化のない光景ながら、
    確実に気配は秋になっていると鋭敏な感覚で
    とらえている。とくに朝夕の風にそれがいち
    早く感じられるが、歌の調べも、その秋風を
    聞いているような感じです


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