名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年11月

さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ
秋の夕暮れ        
          良暹法師(りょうぜんほうし)
          (後拾遺和歌集・333、百人一首・70)

(さびしさに やどをたちいでて ながむれば いずくも
 おなじ あきのゆうぐれ)

意味・・堪えかねる寂しさによって、住まいを出て
    あたりをしみじみと眺めて見ると、慰める
    物もなく、どこもかしこもやはり同じよう
    にわびしい、秋の夕暮れであるよ。

    人気のない山里の草庵をつつむ寂寥(せきり
    ょう)の世界が描かれ、求める相手もいない
    寂しさを詠んでいます。

作者・・良暹法師=生没年未詳。1048頃の人。雲林
      院の歌僧。


鶉鳴く 真野の入江の 浜風に 尾花なみよる
秋の夕暮れ 
          源俊頼(みなもとのとしより)
          (金葉和歌集・239)
(うずらなく まののいりえの はまかぜに おばな
なみよる あきのゆうぐれ)

意味・・鶉が悲しげに鳴いている真野の入江に吹く
    浜風によって、尾花が波うつようになびい
    ている秋の夕暮れよ。

    薄の尾花に鶉の声を配して、秋の夕暮れの
    物寂しい情景を詠んでいる。

 注・・鶉鳴く=万葉時代の表現で、恋人に捨てら
      れて泣く女性を暗示し、寂しさが伴う。
    真野=滋賀県大津市真野町。
    尾花=薄の異名。

作者・・源俊頼=1055~1129。左京権大夫・従四位上。

岩がねに 流るる水も 琴の音の 昔おぼゆる
しらべにはして
           細川幽斎(ほそかわゆうさい)
           (衆妙集・658)
(いわがねに ながるるみずも ことのねの むかし
 おぼゆる しらべにはして)

詞書・・日野という所に参りましたついでに、鴨長明
    といった人が、憂き世を離れて住居した由を
    申し伝えている外山の庵室の跡を尋ねてみま
    すと、大きな石の上に、松が老いて、水の流
    れが清く、清浄な心の底が、それと同じだろ
    うと推量されました。昔のことなどを思い出
    して。

意味・・岩に流れている水も、琴の音の澄んで奏でて
    いた昔が偲ばれるような調べとなって聞えて
    くる。

    眼前の風景を、「方丈記」と重ね合わせて詠
    んだ歌となっています。

    「方丈記・序」です。

    ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの
    水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ
    消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
    世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの
    ごとし。   

 注・・鴨長明=1216年没。「方丈記」。
    外山(とやま)=人里近い山。
    岩がね=大地に根を下ろしたような岩。
    琴の音の昔おぼゆる=鴨長明が琴を奏じた昔。

作者・・細川幽斎=1534~1610。織田信長に仕え丹後
    国を拝領。豊臣秀吉・徳川家康に仕える。家
    集「衆妙集」。

   

村雨の 露もまだ干ぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる
秋の夕暮れ      
        寂蓮法師(じゃくれんほうし)
        (新古今集・491、百人一首・87)

(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きり
 たちのぼる あきのゆうぐれ)

意味・・ひとしきり降った村雨が通り過ぎ、その雨
    の露もまだ乾かない杉や檜の葉に、早くも
    霧が立ちのぼって、白く湧き上がってくる
    秋の夕暮れよ。

    深山の夕暮れの風景。通り過ぎた村雨の露
    がまだ槙の葉に光っている。それを隠すよ
    うに夕霧が湧いて来て幽寂になった景観を
    詠んでいます。

 注・・村雨=にわか雨。
    露=雨のしずく。
    まだ干ぬ=まだ乾かない。
    槙(まき)=杉、檜、槙などの常緑樹の総称。

作者・・寂蓮法師=1139~1202。俗名は藤原定長。
      新古今集の撰者の一人。従五位上。


真菰草 つのぐみわたる 沢辺には つながぬ駒も
はなれざりけり
            俊恵法師(しゅんえほうし)
            (詞花和歌集・12)
(まこもぐさ つのぐみわたる さわべには つながぬ
 こまも はなれざりけり)

意味・・真菰草が一面に角のような芽を出した沢辺に
    馬を放しても、馬はその場を逃げ去らない。
    そこには草があり、そこが居よい所であるか
    らだなあ。

    この歌には、湯浅常山の「常山紀談」に逸話
    が載っています。

    細川幽斎の子の忠興(ただおき)が何事によらず
    諸事厳正に過ぎて家臣の面々やりにくく、多少
    の不服もあると、これを幽斎に告げる者がいた。
    幽斎は忠興の長臣を呼び、古歌二首を書き与え
    た。
   「逢坂の 嵐の風は 寒けれど ゆくへ知らねば 
    わびつつぞぬる」
    この歌の心を察せよ。
    次の一首が「真菰草・・・」の歌。
    「馬が沢辺を離れないように、人の心もまた同じ。
    情愛深い主人のもとには、つなぎとめることなく
    人は落ち着くものである。去れといっても去るも
    のではない」
    この歌の心を思慮せよと忠興にいえと教訓した。

 注・・真菰草=水辺に生えるイネ科の多年草。
    つのぐみ=角ぐみ。角のような状態。

作者・・俊恵法師=1113~1195。東大寺の僧。


(11月25日)

逢坂の 嵐の風は 寒けれど ゆくへ知らねば
わびつつぞぬる
             読人知らず
             (古今和歌集・988)
(おうさかの あらしのかぜは さむけれど ゆくえ
 しらねば わびつつぞぬる)

意味・・逢坂の風は寒いが、どうすればよいのか。
    つらいけれどもこのように侘しくしている
    のである。

 注・・逢坂=山城国(京都府)と近江国(滋賀県)との
     境。逢坂の関で名高い。
    ゆくへ=行くべき方。
    ぬる=完了の助動詞「ぬ(・・した)」の連体形。
     なお、「ぬる」は「ふる」「経る」「寝る」と
     なっている本もある。

雁なきて 菊の花さく 秋はあれど 春の海辺に 
住吉の浜
           在原業平(ありはらのなりひら)
           (伊勢物語・68段)
(かりなきて きくのはなさく あきはあれど はるの
 うみべに すみよしのはま)

意味・・雁が鳴き菊の花が咲きかおる秋もよいが、この
    住吉の浜の春の海辺は実に住み良いすてきな浜
    だ。

 注・・秋はあれど=秋は面白くあれど、の意
    住吉の浜=大阪市住吉区の浜。地名に「住み良
     い浜辺」を掛けている。

作者・・在原業平=825~880。美濃権守・従四位上。六
     歌仙の一人。「伊勢物語」。

あざみ草 その身の針を 知らずして 花とおもいし
今日の今まで
                 作者未詳
                 (続鳩翁道話)
(あざみぐさ そのみのはりを しらずして はなと
 おもいし きようのいままで)

意味・・針があって他を傷つけているとも知らずに、
    今日の今まで善人であると思っていた私は、
    あざみ草と同じであった。

浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 
人の恋しき         
          源等(みなもとのひとし)
          (後撰和歌集・577百人一首・39)

(あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりて
 などか ひとのこいしき)

意味・・浅茅に生えている小野の篠原のしの、そのしの
    ではないが、忍びに忍んできたけれど、どうし
    てあの人のことがこうも恋しいのでしょう。

    人目を忍ぶ恋ではあるが、その思いが抑えきれ
    ず恋の思いの激しさを詠んでいます。

 注・・浅茅生=「浅茅」は丈の短い茅(ちがや)、「生」
     は草や木が生える所。
    小野の篠原=「小」は調子を整えるための接頭語。
     「篠原」は細い竹の生えている原で荒涼とした
     状態を表している。初句からここまで「忍ぶ」
     にかかる序詞。
    あまりてなどか=自分ながらどうしようもない。
     「あまり」は度を越すこと。「などか」は疑問
     の意を表す、なぜか。

作者・・源等=880~951。正四位下・参議。


世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる    
          藤原俊成(ふじわらのとしなり)
         (千載和歌集・1151、百人一首・83)

(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
 おくにも しかぞなくなる)

意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
    隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
    にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

    俗世の憂愁から逃れようと入った奥山
    にも安住の地を見出せなかった絶望感
    を、哀切な鹿の鳴き声に託して詠んで
    います。

 注・・道こそなけれ=逃れる道はないのだ、
     の意。「道」には、てだて、位の気持
     がこめられている。

作者・・藤原俊成=1114~1204年没。正三位。
      皇太后大夫。「千載和歌集」の選者。


このページのトップヘ