名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年11月

(11月25日)

逢坂の 嵐の風は 寒けれど ゆくへ知らねば
わびつつぞぬる
             読人知らず
             (古今和歌集・988)
(おうさかの あらしのかぜは さむけれど ゆくえ
 しらねば わびつつぞぬる)

意味・・逢坂の風は寒いが、どうすればよいのか。
    つらいけれどもこのように侘しくしている
    のである。

 注・・逢坂=山城国(京都府)と近江国(滋賀県)との
     境。逢坂の関で名高い。
    ゆくへ=行くべき方。
    ぬる=完了の助動詞「ぬ(・・した)」の連体形。
     なお、「ぬる」は「ふる」「経る」「寝る」と
     なっている本もある。

雁なきて 菊の花さく 秋はあれど 春の海辺に 
住吉の浜
           在原業平(ありはらのなりひら)
           (伊勢物語・68段)
(かりなきて きくのはなさく あきはあれど はるの
 うみべに すみよしのはま)

意味・・雁が鳴き菊の花が咲きかおる秋もよいが、この
    住吉の浜の春の海辺は実に住み良いすてきな浜
    だ。

 注・・秋はあれど=秋は面白くあれど、の意
    住吉の浜=大阪市住吉区の浜。地名に「住み良
     い浜辺」を掛けている。

作者・・在原業平=825~880。美濃権守・従四位上。六
     歌仙の一人。「伊勢物語」。

あざみ草 その身の針を 知らずして 花とおもいし
今日の今まで
                 作者未詳
                 (続鳩翁道話)
(あざみぐさ そのみのはりを しらずして はなと
 おもいし きようのいままで)

意味・・針があって他を傷つけているとも知らずに、
    今日の今まで善人であると思っていた私は、
    あざみ草と同じであった。

浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 
人の恋しき         
          源等(みなもとのひとし)
          (後撰和歌集・577百人一首・39)

(あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりて
 などか ひとのこいしき)

意味・・浅茅に生えている小野の篠原のしの、そのしの
    ではないが、忍びに忍んできたけれど、どうし
    てあの人のことがこうも恋しいのでしょう。

    人目を忍ぶ恋ではあるが、その思いが抑えきれ
    ず恋の思いの激しさを詠んでいます。

 注・・浅茅生=「浅茅」は丈の短い茅(ちがや)、「生」
     は草や木が生える所。
    小野の篠原=「小」は調子を整えるための接頭語。
     「篠原」は細い竹の生えている原で荒涼とした
     状態を表している。初句からここまで「忍ぶ」
     にかかる序詞。
    あまりてなどか=自分ながらどうしようもない。
     「あまり」は度を越すこと。「などか」は疑問
     の意を表す、なぜか。

作者・・源等=880~951。正四位下・参議。


世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる    
          藤原俊成(ふじわらのとしなり)
         (千載和歌集・1151、百人一首・83)

(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
 おくにも しかぞなくなる)

意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
    隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
    にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

    俗世の憂愁から逃れようと入った奥山
    にも安住の地を見出せなかった絶望感
    を、哀切な鹿の鳴き声に託して詠んで
    います。

 注・・道こそなけれ=逃れる道はないのだ、
     の意。「道」には、てだて、位の気持
     がこめられている。

作者・・藤原俊成=1114~1204年没。正三位。
      皇太后大夫。「千載和歌集」の選者。


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