名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年11月

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 
瀬々の網代木        
             藤原定頼(ふじわらさだより)
             (千載和歌集・420、百人一首・64) 
(あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれわたる
 せぜのあじろぎ)

意味・・明け方、あたりがほのぼのと明るくなる頃、宇治川の
    川面に立ち込めていた霧がとぎれとぎれになって、そ
    の絶え間のあちらこちらから点々と現れてきた川瀬の
    網代木よ。

    冬の早朝の美しい風景を詠んでいます。

注・・あさぼらけ=夜明け方、あたりがほのぼのと明るくなる頃。
   瀬々 =「瀬」は川の浅い所。
   網代木=「網代」は川に竹や木を組み立て網のかわりにし、
        魚をとるしかけ。木はその杭。

作者・・藤原定頼=995~1045。藤原公任(きんとう)の子。正二位
     権中納言。小式部内侍(こしきぶのないし)をからかって
     「大江山いく野の道の遠ければまだ文もみず天の橋立」
     の歌を詠ませたのは有名。

      

憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の
力試さん
             熊沢蕃山(くまざわばんざん)
(うきことの なおこのうえに つもれかし かぎり
 あるみの ちからためさん)

意味・・つらいことがこの身に降り掛かるなら降り掛かれ。
    限りある身だけれど、自分の持てる限りの力で、
    どこまで出来るか試してみようではないか。

作者・・熊沢蕃山=1619~1691。陽明学者。岡山藩主の池田
     光政に仕える。「源氏外伝(源氏物語の注解書)」。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 
天の橋立
            小式部内侍(こしきぶのないし)
            (金葉和歌集・550、百人一首・60)
(おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず
 あまのはしだて)

意味・・大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは
    遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
    また、母からの手紙も見ていません。

    詞書きに詠作事情が書かれています。
    母の和泉式部が丹後国(京都府北部)へ赴いていた頃、
    作者が歌合に召されることになった。そこへ藤原定
    頼がやってきて、「歌はどうなさいます、丹後には
    人をおやりになったでしょうか。文を持った使者は
    帰ってきませんか」などとからかった。当時、世間
    には、小式部の歌の優れているのは、母の和泉式部
    が代作をしているという噂があった。ここで小式部
    は定頼を引き止めて、この歌をたちどころに詠んで、
    母に頼っていない自分の歌才を証(あか)してみせた。    

 注・・大江山=京都市西北部にある山。
    いく野=「生野」京都府福知山市にある地名。
        「行く」を掛ける。
    ふみ=「踏み」と「文(手紙)」を掛ける。
    天橋立=丹後国与謝郡(京都市宮津市)にある名勝で
     日本三景の一つ。
    藤原定頼=995~1045。藤原公任(きんとう)の子。

作者・・小式部内侍=1000?~1025。若くして死去。母は和泉
     式部。


秋風の 吹き裏返す 葛の葉の うらみてもなほ 
うらめしきかな
             平貞文(たいらのさだふみ)
             (古今和歌集・823)
(あきかぜの ふきうらがえす くずのはの うらみても
 なお うらめしきかな)

意味・・秋風が吹き裏を見せる葛の葉のごとく、私を飽き
    去って行ったあの人は恨んでもなお恨みきれない。

 注・・葛=山野に自生する蔓草。葉の裏側は白ぽい。
     風が吹き裏を見せると目立つので「裏」の掛詞。 
    うらみ=「恨み」と「裏見」を掛ける。

作者・・平貞文=871~923。従五位上・三河権介。

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の
影のさやけさ         
          藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)
          (新古今和歌集・413、百人一首・79)
(あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずる
 つきの かげのさやけさ)

意味・・秋風によってたなびいている雲の切れ間から、
    漏れさしてくる月の光の、なんとくっきり澄
    みきっていることだ。

    月光が雲間から漏れ出た一瞬をとらえた叙景
    歌です。

 注・・絶え間=切れ間。とぎれたすき間。
    月の影=月光。「影」は光のこと。
    さやけさ=くっきりと澄みきっていること。

作者・・藤原顕輔=1090~1155。「詞花和歌集」の撰者。


秋は来ぬ 年も半ばにすぎぬとや 荻吹く風の 
おどろかすらむ            
           寂然法師(じゃくねんほうし)
           (千載和歌集・230)
(あきはきぬ としもなかばに すぎぬとや おぎ
 ふくかぜの おどろかすらん)

意味・・ほら秋がきたよ、この一年も、はや半分以上
    過ぎてしまったよ、と荻の葉を吹く風が昨日
    までと違った音をたてて警告しいてるのかな。

    一年の推移の速さを思う人生的な味わいの歌
    となっています。

 注・・荻=稲科の多年草、ススキに似てそれより高い。
      1.5mほどになる。
    おどろかす=はっと気づかせる。

作者・・寂然法師=1120年頃の生まれ。唯心房と称す。
     従五位下・壱岐守に至るが出家。西行と交流。


すみだ川 舟呼ぶ声も うづもれて 浮霧深し 
秋の夕浪
          清水浜臣(しみずはまおみ)
           (泊?舎集・さざなみのやしゅう) 
(すみだがわ ふねよぶこえも うずもれて うきぎり
 ふかし あきのゆうなみ)

意味・・舟を呼ぶその声もその中に埋もれてしまうほどに、
    川波の上に一面にかかる霧が深い、隅田川の秋の
    夕暮れの景色は。

 注・・浮霧=空中に浮いているように見える霧。

作者・・清水浜臣=1776~1824。江戸の医家に生まれ、医
     を継ぐ。

秋風に あへず散りぬる もみじ葉の ゆくへさだめぬ 
我ぞ悲しき                 
               読み人知らず
               (古今和歌集・286)            
(あきかぜに あえずちりぬる もみじばの ゆくえ
 さだめぬ われぞかなしき) 

意味・・秋風に耐え切らないで散っていった紅葉の行方が
    定まっていないように、行く末のわからないわが
    身が悲しいことだ。

    風に舞い散る紅葉は自分の運命の象徴と思って詠
    んだ歌です。

 注・・あへず=耐え切れない。

夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 
深草の里
          藤原俊成(ふじわらのとしなり)
          (千載和歌集・259)
(ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずら
 なくなり ふかくさのさと)

意味・・夕暮れになると野辺を吹き渡ってくる秋風が
    身にしみて感じられ、心細げに鳴く鶉の声が
    聞こえてくる。この深草の里では。

    捨て去られた女が鶉の身に化身して寂しげに
    鳴く晩秋の夕暮れの深草の情景です。

    この歌は「伊勢物語」の123段の話を典拠とし
    て詠んでいます。
    男に飽きられ捨てられかかった深草の里の女に、
    「私が出て行ったら、ここは深草の名の通りに
    いっそう草深くなって野原となってしまうだろ
    うなあ」と冷たく言い放つ男に対して、
    「野とならば 鶉となりて 鳴き居らん 狩に
    だにやは 君は来ざらん」
    (おっしゃるように、ここが野原となってしまう
    のなら、私は、見捨てられた場所にふさわしい
    鳥と昔からされている鶉になって鳴いている事
    にしましょう。時には狩にでもあなたが来てく
    ださらないものでないでしょうから)と答え、男
    はその歌に感動して出て行くのを止めたという話
    です。

 注・・夕されば=夕方になると。
    秋風=「秋」には「飽き」が掛けられている。

作者・・藤原俊成=1114~1204。正三位皇太宮大夫。「
     千載和歌集」の撰者。
    


忘れじな 難波の秋の 夜半の空 こと浦に澄む 
月は見るとも
           宣秋門院丹後(ぎしゅもんいんのたんご)
           (新古今和歌集・400)
(わすれじな なにわのあきの よわのそら ことうらに
 すむ つきはみるとも)

意味・・忘れないつもりです。この難波の浦の秋の空のことは。
    たとえ将来、他の浦に住み、そこに澄んだ月を見るよう
    になっても。

 注・・難波=難波江。大阪市の海辺の古称。
    こと浦=他の浦。
    澄む=住むを掛ける。

作者・・宜秋門院丹後=生没年未詳。1207年頃の人。後鳥羽院
     中宮の女房。

このページのトップヘ