名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年12月

今日ごとに 今日や限りと 惜しめども またも今年に
あひにけるかな
              藤原俊成(ふじわらのとしなり)
              (新古今和歌集・706)
(きょうごとに きょうやかぎりと おしめども またも
 ことしに あいにけるかな)

意味・・大晦日の今日が来るたびに、この大晦日が最後かと
    惜しんだけれども、またもや今年の大晦日に逢った
    ことよ。

    作者88歳の作。明日知れない老境の身をかみしめて
    います。

 注・・今日ごとに=年年の大晦日の今日ごとに。
    今日や限り=今日が大晦日の最後であろうか。
    今年に=今年の大晦日である今日に。

作者・・藤原俊成=1204年没。91歳。非参議正三位皇太后
     大夫。「千載和歌集」の撰者。

夕されば 潮風越して 陸奥の 野田の玉川
千鳥鳴くなり
           能因法師(のういんほうし)
           (新古今和歌集・643)
(ゆうされば しおかぜこして みちのくの のだの
 たまがわ ちどりなくなり)

意味・・夕方になると、海の潮風が吹いてきて、陸奥の
    野田の玉川に、千鳥の鳴く声が哀調を帯びて聞
    えてくる。
  
    陸奥に旅をした時に詠んだ歌で、都から遠く離
    れた旅路の寂しさを詠んでいます。

 注・・夕されば=夕方になると。
    潮風越して=海の潮風が吹いてきて。
    陸奥(みちのく)=岩手県・宮城県の地域。
    野田の玉川=岩手県九戸郡野田村玉川。岩石が
     多く、断崖もそそり立ち、北は三崎の岬、南
     は黒崎の岬があって絶景の地。
    千鳥=すずめより少し大きな水辺の鳥。哀調を
     おびた鳴き方をする。

作者・・能因法師=988~?。中古三十六歌仙の一人。


(12月28日)


いたづらに 過ぐる月日も おもしろし 花見てばかり
くらされぬ世は
              四方赤良(よものあから)
              (万載)
(いたずらに すぐるつきひも おもしろし はなみて
 ばかり くらされぬよは)

意味・・なんということもなく過ぎてゆく月日でも、本当は
    面白いのではないか。春だからといって、花を見て
    ばかりでは、暮らして行けない世の中なんだから。

    本歌の発想を揶揄(やゆ)しながら、平凡な日常の現実
    に誠実に生きようとする作者の態度です。

    本歌です。

    いたづらに 過ぐす月日は 多かれど 花見て暮らす
    春ぞすくなき
             藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
             (和漢朗詠集・49、古今集・351)

   (いたずらに すぐすつきひは おおかれど はなみて
    くらす はるぞすくなき)

    何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれども、
    いざ春となって花を見るとなると、楽しい春の日
    というものは本当に短いものだ。

 注・・いたづらに=なんのかいもないさま。
    揶揄=からかうこと。

作者・・四方赤良=1749~1823。支配勘定の幕臣。「万載狂歌
     集」「黄表紙」。

(12月29日)


大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ
家もあらなくに
             舎人娘子(とねりのおとめ)
             (万葉集・1636)
(おおくちの まかみのはらに ふるゆきは いたく
 なふりそ いえもあらなくに)

意味・・真神の原に降っている雪よ、そんなにひどく
    降らないでおくれ。身を置く我が家もありは
    しないのに。

 注・・大口=「真神」の枕詞。真神(狼の異名)の口
     が大きいので枕詞になった。
    真神=奈良県高市郡明日香にあった原。
    な・・そ=禁止の意を表す。
    あらなくに=ないのに、ないことだなあ。

作者・・舎人娘子=伝未詳。

かへるべき ほどをかぞへて 待つ人は すぐる月日を
うれしかりける
              源隆綱(みなもとのたかつな)
              (後拾遺和歌集・727)
(かえるべき ほどをかぞえて まつひとは すぐる
 つきひを うれしかりける)

意味・・(京に)お帰りになるはずの月日を指折り数えて
    待っている私には、いつも惜しい月日も過ぎて
    行くのがいっそ嬉しく思われますよ。

    恋の部に入っている歌です。好きな人と逢える
    日を楽しみに待っている事を詠んでいます。

 注・・ほど=時分、時間、月日。

作者・・源隆綱=1033~1074。正三位・左近中将。

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も 
かれぬと思へば
            源宗干(みなもとむねゆき)
            (古今集・315、百人一首・28)

(やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめも
 くさも かれぬとおもえば) 

意味・・山里はいつでも寂しいものだが、とりわけ冬になり
    寂しさが増して来たことだ。春の花、秋の紅葉を訪れ
    た人目も、見るもののない冬には離(か)れ、わずかに
    目を慰めてくれた草も枯れてしまった、と思うと。

    山里に住む人の心で、初冬の感じを詠んでいます。
    寂しい山里に住んできて、春や秋には人目もあった
    が、その人目も冬には絶える人事の上での寂しさ、
    草も枯れてしまう自然の上での寂しさ、それに
    これからの長いひと冬を寂しさの中に住むことを
    思う、心情での寂しさ、これらを重ねたものです。

 注・・人目=人の訪れ、出入り。
    かれぬ=人目も離(か)れと草木が枯れを掛けている。

作者・・源宗宇=~939年没。正四位下・右京大夫。三十六
     歌仙の一人。
   


旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽含め 
天の鶴群
           遣唐使随員の母(万葉集・1791)
           (けんとうしずいいんのはは)
(たびびとの やどりせんのに しもふらば わがこ
 はぐくめ あめのたづむら)

意味・・旅人が野宿をすることがあって、その野に
    冷たい霜が降る事があったら、私の子をそ
    の羽で包んでかばっておくれ、大空の鶴た
    ちよ。

    何年も帰らない旅に立つ息子へ、その母が
    情愛を込めて詠んだ歌です。旅は遣唐使船
    で渡唐するので、旅路の危険はほとんどは
    海上です。「宿りせむ野」と表現していま
    すが、大空高く飛ぶ鶴に子の守になって欲
    しい気持を表しています。

 注・・羽含(はぐく)む=育む。親鳥がその羽で雛
     鳥をくるみ覆う事。
       

道野辺に 阿波の遍路の 墓あはれ  
                  
              高浜虚子(たかはまきょし)
              (五百句)
(みちのべに あわのへんろの はかあわれ)

意味・・成し遂げたい願いを秘めての阿波巡礼に旅立った
    お遍路さんだが、途中で病に倒れ身元不明のまま
    土葬され墓が建てられたのだろう。どんな願いを
    持っていたのであろうか。全く願いがかなえられ
    ずに無念の気持で死んでいったのであろう。あわ
    れに思われることだ。

 注・・道野辺=道ばた。
    阿波=今の徳島県。
    遍路=祈願のため四国八十八箇所を巡ること。巡礼。

作者・・高浜虚子=1874~1959。小説家。正岡子規と交際。

山茶花の 一枝いけて つつましく けさの朝茶を
いただかむかも
             相馬御風(そうまぎょふう)
             (御風歌集)
(さざんかの ひとえだいけて つつましく けさの
 あさちゃを いただかんかも)

意味・・庭に咲いている山茶花の一枝を花瓶にでも活けて
    慎ましく今朝のお茶をいただこうかなあ。

    作者の平安な朝の一時、生き方が歌われています。

作者・・相馬御風=1883~1950。早稲田大学卒業。詩人。
     良寛の研究に専心。早稲田大学の校歌「都の西北」
     の作詩者。


いたづらに なす事もなく くれはつる としもつもりの
うらめしの世や
              寒河正親(さむかわまさちか)
              (子孫鑑)
(いたずらに なすこともなく くれはつる としも
 つもりの うらめしのよや)

意味・・今年はこれだけの事をしたよという充実感もなく、
    無駄に月日を送ってはや年も暮れようとしている。
    悔やまれることである。子や孫よ、こんな事では
    いけないのだぞ。

 注・・としもつもり=年も積り。月日が積み重ねる。

作者・・寒河正親=生没年未詳。

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