おくられつ おくりつ果ては 木曽の秋
芭蕉(ばしょう)
(曠野・あれの)
(おくられつ おくりつはては きそのあき)
意味・・もうこの旅寝もだいぶ日数を重ねたが、その間、ここで
人を送りかしこで人々に送られ、というふうに離合送迎
をくり返し、いよいよ木曽路の山中に行き暮れることに
なった。ことに時は万物の凋落の秋であり、思えば惜別
の情ひとしお切なるものがある。
「果ては」の一語に、長い推移を思わせる余意があり、
そのため一句は単なる旅懐の句に終わらず、境涯を詠ん
だ句にもなっている。
注・・果ては木曽の秋=木曽の山々の草木が、青葉から紅葉に
なり、枯葉となって果てる。人も年と共に体力が衰え
て行く。このように万物の凋落の秋、の余意がある。
作者・・芭蕉=1644~1695。「笈の日記」、「奥の細道」。
芭蕉(ばしょう)
(曠野・あれの)
(おくられつ おくりつはては きそのあき)
意味・・もうこの旅寝もだいぶ日数を重ねたが、その間、ここで
人を送りかしこで人々に送られ、というふうに離合送迎
をくり返し、いよいよ木曽路の山中に行き暮れることに
なった。ことに時は万物の凋落の秋であり、思えば惜別
の情ひとしお切なるものがある。
「果ては」の一語に、長い推移を思わせる余意があり、
そのため一句は単なる旅懐の句に終わらず、境涯を詠ん
だ句にもなっている。
注・・果ては木曽の秋=木曽の山々の草木が、青葉から紅葉に
なり、枯葉となって果てる。人も年と共に体力が衰え
て行く。このように万物の凋落の秋、の余意がある。
作者・・芭蕉=1644~1695。「笈の日記」、「奥の細道」。