名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2011年12月

おくられつ おくりつ果ては 木曽の秋

                    芭蕉(ばしょう)
                    (曠野・あれの)
(おくられつ おくりつはては きそのあき)

意味・・もうこの旅寝もだいぶ日数を重ねたが、その間、ここで
    人を送りかしこで人々に送られ、というふうに離合送迎
    をくり返し、いよいよ木曽路の山中に行き暮れることに
    なった。ことに時は万物の凋落の秋であり、思えば惜別
    の情ひとしお切なるものがある。

    「果ては」の一語に、長い推移を思わせる余意があり、
    そのため一句は単なる旅懐の句に終わらず、境涯を詠ん
    だ句にもなっている。

 注・・果ては木曽の秋=木曽の山々の草木が、青葉から紅葉に
     なり、枯葉となって果てる。人も年と共に体力が衰え
     て行く。このように万物の凋落の秋、の余意がある。

作者・・芭蕉=1644~1695。「笈の日記」、「奥の細道」。


吉野川 その源を たずぬれば まこものしずく 
花の下露
                作者未詳

(よしのがわ そのみなもとを たずぬれば まこもの
 しずく はなのしたつゆ)

意味・・よく知られた吉野川も、その源をたずねてみたら、
    なんと真菰(まこも)から出たしずく、花の下に落ち
    た露であった。小さなものでも集まっていけば大き
    くなるものだ。

    活躍も成功も、そのもとは毎日の小さな努力から生
    まれたもの。毎日の行いは地味でなかなか報われず、
    時には嫌気がさす事があるかも知れい。でも、いず
    れは、目に見えない努力の成果も、この一滴のよう
    に大河になるという事を信じよう、の意。    

 注・・まこも=真菰。イネ科の多年草で湿地帯に群生する。
     稲を頑丈にしたような感じの植物。

ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島隠れゆく
舟をしぞ思ふ           
             読人知らず
             (古今和歌集・409)

(ほのぼのと あかしのうらの あさぎりに しまかくれ
 ゆく ふねをしぞおもう)

意味・・ほんのりと明るんでいく明石の浦、その明石の
    浦に立ち込める朝霧の中を、島隠れに行く舟を
    しみじみと感慨深く眺めることだ。

    ほのぼのと明け行く明石の浦の朝霧の中をぼっ
    とかすみ、やがて点景となって消えてゆく舟に、
    危険の多い航路、旅に伴う不安を想いやり無事
    を祈る作者の心を詠んでいます。

 注・・ほのぼのと=ほんのりと、かすかに。
    あかしの浦=兵庫県明石の海岸。「あかし」に
     「明けし」を掛ける。
    舟をしぞ思ふ=「しぞ」は前の名詞の語を強調
     する。朝霧の中の弧舟、その中にあって旅を
     続ける人々の寂しさや心細さを強めて思いや
     っている。

作者・・柿本人麻呂とも言われています。


伊良湖崎に 鰹釣り舟 並び浮きて はがちの波に 
浮かびつつぞ寄る          
               西行(さいぎょう)
               (山家集・1388)

(いらこざきに かつおつりぶね ならびうきて はがちの
 なみに うかびつつぞよる)

意味・・伊良湖崎では、鰹を釣る舟が沖に並んで浮いて
    いるが、激しい風で立った荒波に揺れながら、
    岬の方に近寄って来ることだ。

    詞書によると、荒天のため沖から引き返す漁民
    の様子を詠んだものです。
    

 注・・伊良湖崎=愛知県渥美郡の岬。
    並び浮き=荒天を恐れて一斉に港を目指している
     様子。
    西北風(はがち)=西北から吹く強い風。

作者・・西行=1118~1190。「山家集」。


降る雪や 明治は遠く なりにけり 
                 
       中村草田男(なかむらくさたお)
        (長子)

(ふるゆきや めいじはとおく なりにけり)

意味・・雪が盛んに降っている。その雪に現実の
    時を忘れ、今が二十数年前の明治のころ
    そのままのような気持になっていた所、
    ふと現実に帰り、しみじみ明治は遠くな
    ってしまったと、痛感するものだ。

    昭和6年の作です。
    雪が降りしきる中、20年振りに母校の小学校
    付近を歩いていた。母校は昔のままと変わらない
    なあと思いつつ、その当時の服装、黒絣の着物
    を着て高下駄を履き黄色の草履(ぞうり)袋を下
    げていたのを思い出していた。
    その時、小学校から出て来たのは、金ボタンの
    外套を着た児童たちであった。
    現代風の若者を見ると、20年の歳月の流れを
    感じさせられる。そして明治の良き時代は遠く
    になってしまったものだ。

作者・・中村草田男=1901~1983。東京帝大国文科卒。
     成蹊大学名誉教授。高浜虚子に入門。句集「
     長子」「萬力」。


ぶんげんに 粟津にぜぜを つかうなよ こころかただに
しまつからさき
              蜷川親当(にながわちかまさ)
              (一休和尚伝)
(ぶんげんに あわずにぜぜを つかうなよ こころ
 かただに しまつからさき)

意味・・あの人は金持ちのご身分だと言われるほど銭を使うなあ。
    心を堅く引き締めて倹約から先に始めなさい。

    近江の名所・旧跡の粟津・膳所・堅田・唐崎を詠み込ん
    でいます。   

 注・・ぶんげん=分限。身分、金持ち。
    粟津=近江の名所。「会わず・(あらず)」を掛ける。
    ぜぜ=銭。近江の名所の「膳所(ぜぜ)」を掛ける。
    かただ=「堅い」の意と「堅田」を掛ける。
    しまつ=始末。倹約、浪費をしないこと。ケチとは
     違う。
    からさき=「から先」と「唐崎」を掛ける。

作者・・蜷川親当=生年未詳~1448年没。室町時代中期の
     連歌師。出家後一休と交流。

小百姓の嬉しき布施や草箒 
             村上鬼城(むらかみきじょう)

(こひゃくしょうの うれしきふせや くさぼうき)

意味・・鬼城は耳の聞えない聾者なので、そのため生活も
    苦しい。鬼城の周りの人も貧しいが、それでも箒
    を作ってくれた。見捨てるのではなく人情厚く付
    きあってくれた。嬉しいことだ。

 注・・小百姓=貧しい農家。
    布施=福利、財物を施し与えること。

作者・・村上鬼城=1865~1938。耳症のため司法官の志望
     をあきらめ、裁判所の代書人となる。子規の「
     ホトトギス」に参加。

世の中を 何にたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の
跡の白波
           沙弥満誓(さみのまんぜい)
           (拾遺和歌集・1327)

(よのなかを なににたとえむ あさぼらけ こぎゆく
 ふねの あとのしらなみ)

意味・・この世の中を何にたとえようか。夜明け方に
    漕ぎ出して行く舟の跡に立つ白波のように、
    立ってはすぐに消え行くはかないものだ。

    人の噂も75日ということもある。
    良きにしろ、悪しきにしろ、嬉しいこと苦しい
    ことも思い出になり、そしていつかは消えてな
    くなる。

 注・・世の中を何にたとへん=無常な世を比喩で示そ
     うとしたもの。
    朝ぼらけ=夜明け方の物がほのかに見える時分。
     春の「曙」に対して秋・冬の季節に用いる。

作者・・沙弥満誓=生没年未詳。美濃守・従四位下。
     721年に出家。大伴旅人・山上憶良らと親交。
    

憂きことを 思ひつらねて かりがねの 鳴きこそわたれ
秋の夜な夜な    
          凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
          (古今和歌集・213)
(うきことを おもいつらねて かりがねの なきこそ
 わたれ あきのよなよな)

意味・・つらいことを一つ一つ思い連ねるように、
    雁が連なって鳴きながら秋の夜空を飛び
    渡って行く、毎夜のように。  
   
    雁を通して作者の人生苦が歌われ
    ている。「憂きこと」は恋の思い
    だけとは限らない。

 注・・憂きことを思ひつらねて=悲しい事を並べ
     たてて陳情し。「つらね」は連らねと陳
     らね(述べ訴える意)の意味を掛けている。
    かりがね=雁。
    夜な夜な= 毎夜毎夜。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳、900年前後
    の人。古今和歌集の撰者の一人。


汝や知る 都は野辺の 夕ひばり あがるをみても
落つる涙は
           飯尾彦六左衛門尉
           (いいおひころくざえもんのじょう)
           (応仁記) 
(なれやしる みやこはのべの ゆうひばり あがるを
 みても おつるなみだは)

意味・・この京都は大乱で全く焼け野原になってしまい、
    そこから夕ひばりは空へさえずって上がって行く
    が、それを見ても落ちる私の涙を、夕ひばりよ、
    お前は知っているか。

    応仁の乱は、京都で、1467年から1477年まで10年
    余り続き、邸宅・町屋・名所古跡はあらかた灰に
    なってしまった。それを見て嘆いた歌です。

 注・・汝や知る=「や」は疑問の係助詞。
    落つる涙は=「は」は叙述を強める助詞。

作者・・飯尾六左衛門尉=生没年未詳。十五世紀の人。
     

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