名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年02月

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと
咲くやこの花
                 王仁
              
(なにわづに さくやこのはな ふゆごもり いまは
 はるべと さくやこのはな)

意味・・難波津に咲き出した梅の花。今こそ自分に
    ふさわしい季節となって咲いているよ。
   

 注・・難波津=摂津国の歌枕。大阪市淀川河口近辺。
    この花=梅の花。
    冬ごもり=「春」の枕詞。

作者・・王仁=わに。生没年未詳。百済から渡来した人。
    漢字や儒教を伝える。

出典・・古今和歌集・仮名序。


冬ごもり こらえこらえて 一時に 花咲きみてる
春はくるらし
              野村望東尼(のむらもとに)
               (防洲日記)
(ふゆぐもり こらえこらえて いっときに はなさき
 みてる はるはくるらし)

意味・・冬の間は引きこもっていて、厳しい寒さをひたすら
    じっとこらえていると、いっきに花が咲き満ちる春
    が来るものだ。人生もこれと同じである。

作者・・野村望東尼=1806~1867。幕末の志士達の活躍を陰
     で支えた。「向陵集」。



こうすれば こうなるものと 知りながら やはり
こうする わが心かな
                    童門冬二

今日もまた 世間を狭めて 生きている     
                    童門冬二

意味・・頭の中でこうしたらよいと分かっていても、
(歌)   いざ実行となればそれが出来ず、安易な方を
    選んでしまう。そしてその結果は「世間を狭
    めて生きている」のようになる。

意味・・自分の行動が、結果的に人に迷惑をかけてし
(句)   まった。そして、人に顔を向けづらくなる。
    その繰り返しの毎日のようだ。心して事に当
    たらねば。

作者・・童門冬二=どうもんふゆじ。1927年生まれ。
              95歳。小説家。


長き夜や 心の鬼が 身を責める   
                   一茶(いっさ)
                   (七番日記)
(ながきよや こころのおにが みをせめる)

意味・・いたらない自分の醜態(しゅうたい・恥ずべく事)が
    自己嫌悪となって、一人になった夜、心の中から小
    さな鬼が立ち上がって「お前バカだなあ、なぜあん
    なアホウな事をするのだ」と攻め立てる。

 
    一茶は「心ない自分の行いによって人が傷ついた」
    と感じ、その傷ついた相手の身になって「なぜ傷を
    つけたのだ」と加害者になった自分を責めて詠んだ
    句です。

 注・・心の鬼=良心。

作者・・小林一茶=1763~1827。三歳で生母と死別。継母と
     不和のため、15歳で江戸に出て奉公生活に辛酸を
     なめた。「七番日記」「おらが春」。
    


更くる夜を をいとまたまはぬ 君わびず 隅にしのびて
鼓緒しめぬ
                    与謝野晶子
              
(ふくるよを おいとまたまわぬ きみわびず すみに
 しのびて つづみおしめぬ)

意味・・更けてゆく夜、お暇をいただけないあなた(舞妓)は
    辛い様子も見せず、部屋の隅っこでこっそり鼓を打
    つ準備をして鼓の緒をしめている。

    夜更けになっても未だ開放されず、鼓をうたねばな
    らない舞妓の境遇を歌っています。客の意に逆らえ
    ない舞妓が不平も言わず、愚痴もこぼさない、その
    けなげさを詠んでいます。

 注・・君=結句から舞妓をさす。
    わびず=辛くない。
    鼓緒しめぬ=鼓を打つ準備をすること。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。堺女学校
    卒。与謝野鉄幹と結婚。

出典・・歌集「曙染」。






梅が枝に 来ゐる鶯 春かけて 鳴けどもいまだ 
雪は降りつつ
               読人知らず 
               (古今和歌集・5)
(うめがえに きいるうぐいす はるかけて なけども
 いまだ 雪はふりつつ)

 
意味・・梅の咲いた枝に来てとまっている鶯が、春が来る
    のを待ち望んで鳴いているけれども、まだ春らし
    い様子もなく、雪がちらちら降っている。

    
 注・・ゐる=木の枝にとまっていること。
    春かけて=春を期して。




是がまあ つひの栖か 雪五尺
                   一茶
                   
(これがまあ ついのすみかか ゆきごしゃく)

意味・・長い漂泊の果てに、ようやく帰り住むこととなった
    故郷である。しかし、いま眼前に見る五尺の雪、こ
    の雪の中で自分のこれからの余生を過ごすのかと思う
    と、芯の底から深いため息がわいてくる。

    文化9年(1812)、一茶50歳の冬、継母・義弟との遺産
    相続問題の解決の為に帰郷した時の作。故郷柏村に
    定住、放浪生活に終止符を打つことになった。

 注・・是がまあ=嘆声を示す。
    つひの栖=最後の落ち着き場所。死に場所。

作者・・一茶=1763~1827。長野県柏原の農民の子。亡父の
     遺産を巡る継母・義弟との長い抗争の果てに、51
     歳で故郷に帰住。

出典・・七番日記。


1002



むつれつつ 菫のいひぬ 蝶のいひぬ 風はねがはじ
雨に幸あらむ
                  増田まさ子
            
(むつれつつ すみれのいいぬ ちょうのいいぬ かぜは
 ねがわじ あめにさちあらん)

意味・・仲がよさそうに菫が言った。蝶が言った。風はいやだ。
    雨は自分たちを幸せにしてくれるであろう。

    春の楽しさを詠んでいます。
    風は何故嫌なのかというと、風によって花は散るし、
    「蝶」は花から引き離されるので困る。しかし「雨」
    が降ると蝶は花に雨宿りし、ともに仲良くより添っ
    ていられるので幸せというのです。

 注・・むつれつつ=睦れつつ。睦まじく思ってたわむれる。

作者・・増田まさ子=ますだまさこ。1880~1946。
    与謝野晶子と山田登美子との共著「恋衣」がある。

出典・・歌集「みおつくし」。




このもだえ 行きて夕べの あら海の うしほに語り
やがて帰らじ
                  山川登美子
             
(このもだえ ゆきてゆうべの あらうみの うしおに
 かたり やがてかえらじ)

意味・・この悶えている気持ちを訴えるために夕方、海辺に
    行き、荒れた海の潮に向かって語り、そのまま私は
    この世に帰るまい。

    悶え苦しんでいる今の私の気持ちを人に言うに言え
    ない。そうは言ってもこのまま胸にしまっておけな
    い程に苦しい。そこで荒れ狂った海に向かって、思
    い切り辛い心の内を皆吐き出してしまったならいつ
    死んでもよい。    

 注・・もだえ=悶え。思い悩み苦しむ。

作者・・山川登美子=やまかわとみこ。1879~1909。29歳。
    与謝野鉄幹創刊の「明星」の社友。共著「恋衣」。

出典・・歌集「恋衣」。

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