名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年03月

我が宿の 花見がてらに 来る人は 散りなむ後ぞ
恋しかるべき
           凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
           (古今和歌集・67)
(わがやどの はなみがてらに くるひとは ちりなん
 のちぞ こいしかるべき)

意味・・我が家の庭の桜を花見がてらに訪れて来てくれた
    人は、花が散った後はもう来てはくれないだろう
    から、私はあなたを恋しく思うことでしょう。

    花見というきっかけで会うことが出来たのだが、
    次に会うべききっかけがない寂しさを詠んでいます。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。921年淡路権掾(あわじ
     ごんのじよう)。古今和歌集の撰者。

世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 
心なりせば
            紫式部(むらさきしきぶ)
            (後拾遺和歌集・104)

(よのなかを なになげかまし やまざくら はなみる
 ほどの こころなりせば)

意味・・世の中を嘆いてどうするのだ。人の一生など、
    山桜の盛りほど短いものなのに。

    紫式部の辞世の歌で娘(藤原賢子・かたこ)に
    遺したものです。

 注・・世の中=身の有様、身の上。

作者・・紫式部=生没年未詳。1013年頃没。「源氏物語」
     「紫式部日記」。


春の色の 至り至らぬ 里はあらじ 咲ける咲かざる
花の見ゆらむ
             読人しらず
             (古今和歌集・93)
(はるのいろの いたりいたらぬ さとはあらじ さける
 さかざる はなのみゆらん)

意味・・春の気配の及んでいる里と、及んでいない里
    というような区別はあるまい。それなのにす
    でに咲いている花や、まだ咲かない花が見え
    るようであるが、どうしたことであろうか。

    春色到来し花の季節になり、まだ花の咲かな
    いのは、まだ春の来ない里があるのかといぶ
    かしむ気持ちを詠んでいます。

百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども
我ぞふりゆく
             読人知らず
             (古今和歌集・28)
(ももちどり さえずるはるは ものごとに あらたまれども
 われぞふりゆく)

意味・・さまざまな鳥がさえずる春は、あらゆるものが
    新しくなってゆくけれども、私だけは年老いて
    ゆくことだ。

   春になり全ての物がよみがえる時に、一年ごとに
    年齢が加わるのが嘆かわしくなって来る、と老い
    を嘆く述壊の歌です。

浅緑 野辺の霞は 包めども こぼれてにほふ 
花桜かな
              読人知らず       
              (拾遺和歌集・40)
(あさみどり のべのかすみは つつめども こぼれて
 におう はなざくらかな)

意味・・草が萌えて浅緑色になっている野原に霞が
    かかって、花を覆い隠そうとしているが、
    その霞の間からこぼれ出て、紅の色も美し
    く咲いている花桜であることだ。



石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に 
なりにけるかも
             志貴皇子(しきのみこ)
             (万葉集・1418)
(いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずる
 はるに なりけるかも)

意味・・水が激しく岩にぶつかり落ちる滝のほとりの蕨が
    今こそ芽吹く春になったことだなあ。

    雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、芽吹
    いたワラビを見つけたことを、長い間待ち焦がれた
    春の訪れとして受け取り、率直な喜びを歌っている。

    詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何かの喜び
    を抽象的に歌ったものです。
    大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気持を
    感じさせられます。

 注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水のこと。

作者・・志尊皇子=~715。天智天皇の子。



心だに 誠の道に かないなば 守らぬとても
此方はかまわぬ
           一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
           (出典未詳)
(こころだに まことのみちに かないなば まもらぬ
 とても こちはかまわぬ)

意味・・真心を以って生活をしていくので、神様は私を
    守ってくれなくても結構だ。神様に頼るより自
    分の誠に頼りたい。 

    一休は本歌をうまく茶化して詠んでいます。
    本歌は菅原道真の次の歌です。
   「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても
    神や守らん」(出展・鸚鵡問答)
   (心さえ誠の道にかなうものであれば、しいて
    祈らなくても神は守ってくださるだろう)    

 注・・誠=誠意、真心、いつわらない心。

作者・・一休宗純=1394~1481。頓知でお馴染みの一休
     さんです。    


八重咲けど にほひは添はず 梅の花 紅深き 
色ぞまされる
           散逸物語(さんいつものがたり)
           (風葉和歌集・37)
(やえさけど においはそわず うめのはな くれない
 ふかき いろぞまされる)

意味・・八重に咲いているが、匂いが加わっていない
    梅の花は、紅の深い色の方が優れています。

    紅梅と白梅の優劣を競って花を賞美する時に
    紅梅について詠んだ歌です。

 注・・散逸物語=散逸して現在は無くなっている物語。

浅緑 みだれてなびく 青柳の 色にぞ春の
風も見えける
           藤原元真(ふじわらのもとざね)
           (後拾遺和歌集・76)
(あさみどり みだれてなびく あおやぎの いろにぞ
 はるの かぜもみえける)

意味・・乱れてなびいている柳の葉のうす緑色によって、
    春風も目に見えるものだなあ。

    やっと春になった嬉しさを詠んでいます。

作者・・藤原元真=生没年未詳。丹波介(たんばのすけ)・
     従五位下。
   



都へと 思ふにつけて かなしきは たれかはいまは
我を待つらん
               源実基(みなもとのさねもと)
               (千載和歌集・568)
(みやこへと おもうにつけて かなしきは たれかわ
 いまは われをまつらん)

意味・・都に早く帰りつきたいと思うのだが、悲しいのは
    誰も今は私を待つ人がいないということだ。

    地方に赴任中、都に残した妻が無くなり、急いで
    帰る途中に詠んだ歌です。

 注・・たれかは=「かは」は反語の意を表す。・・だろうか
     いや・・ではない。

作者・・源実基=生没年未詳。美濃守、従四位下。



このページのトップヘ