名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年03月

玉の緒の 絶えてみじかき 命もて 年月ながき
恋もするかな
                 紀貫之
             
(たまのおの たえてみじかき いのちもて としつき
 ながき こいもするかな)

意味・・すぐに絶えてしまうような短い命をもって、
    長い年月にわたる恋を、よくもまあ、して
    いることだ。

 注・・玉の緒=「絶え」の枕詞。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。「古今集」
    の撰者。

出典・・後撰和歌集・646。

     

北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ 
帰るべらなる
                  読人しらず
                  (古今集・412)

(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずは
 たらでぞ かえるべらなる)

意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえてくる。
    あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る時には一緒に
    来たものが、数が足りなくなって帰るからなのだろうか。

    この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が夫婦とも
    どもよその土地に行った時、男のほうが到着してすぐに
    死んでしまったので、女の人が一人で帰ることになり、
    その帰路で雁の鳴き声を聞いて詠んだものだ」と書かれて
    います。

 注・・べらなり=・・のようである



ふるさとの 花のにほひや まさるらん しづ心なく
帰る雁かな
                   藤原長実母
                          
(ふるさとの はなのにおいや まさるらん しずこころ
 なく かえるかりかな)

意味・・故郷の花の美しさの方が、ここの花より勝って
    いるのだろうか。落ち着いた心もなく帰って行
    く雁だなあ。

    花の咲く春に雁が北に帰る、その理由を考えて
    詠んでいます。

 注・・しづ心=静心。静かな心、落ち着いた気持ち。

作者・・藤原長実母=ふじわらのながさねのはは。生没
    年未詳。長実は権中納言で1133年没。

出典・・詞花和歌集・33。

(3月18日)

ももぞのの 桃の花こそ 咲きにけれ   頼慶法師
梅津のむめは散りやしぬらん       大江公資 
                 
(ももぞのの もものはなこそ さきにけれ 
うめつのうめは ちりやしぬらん)

意味・・桃園の桃の花が咲いたよ。梅津の里の梅はもう
    散ってしまっただろうか。

    連歌です。

   「桃園の桃」と「梅津の梅」の対比の面白さを
    詠んでいます。
    桃は梅の後に開花します。

 注・・桃園の桃=当時、世尊寺の桃が有名であった。
    梅津=京都市右京区。

作者・・頼慶法師=らいけいほうし。伝未詳。
    大江公資=おおえのきんより。~1040年没。遠江盛・従四位下。

出典・・金葉和歌集・649。


いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへ濡れて
朝菜摘みてむ
                大伴旅人
            
(いざこども かしいのかたに しろたえの そでさえ
 ぬれて あさなつみてん)

意味・・さあみんな、この香椎の潟で、袖の濡れるのを
    かまわずに、楽しく朝餉の海藻を摘もう。

    大宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、香椎の宮を
    参拝し終えて、開放感をこめて部下を誘った歌
    です。

 注・・いざ子ども=「いざ」は誘う意味。「子ども」は
     目下の者ども。
    香椎の潟=博多湾の東岸、名勝地。
    白妙=「袖」の枕詞。
    袖さえ濡れて=開放感を表している句。
    朝菜=朝食の海藻。香椎の宮には朝食前に参拝。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。大宰帥、
    大納言・従二位。

出典・・万葉集・957

むかしより ものおもふ人や なからまし 心にかなふ
なげきなりせば
              西行(さいぎょう)
              (山家心中集・90)
(むかしより ものおもうひとや なからまし こころに
 かなう なげきなりせば)

意味・・昔から物思いする人はいなかっただろうに。もし
    恋の嘆きがすべて心にかなうものだったなら・・。

作者・・西行=1118~1190。鳥羽院北面武士。23歳で出家。
     「山家集」。

八雲たつ 出雲の国の 手間の山 なにのてまなく
立つ霞かな
                橘曙覧
            
(やくもたつ いずものくにの てまのやま なんの
 てまなく たつかすみかな)

意味・・雲が盛んに立ち上る出雲の国で、幾重にも
    わき立つ雲が出る手間山では、何の手数も
    かけずに霞が立っている。

    参考歌です。
   「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣
    作る その八重垣を」(意味は下記参照)

 注・・八雲たつ=出雲の枕詞。
    手間の山=島根県にある山。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    福井市の紙商の家業を弟に譲り隠棲。福井
    の藩主と交流。

出典・・家集「春明草」。

参考歌です。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
                須佐之男命
              
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがき
 つくる そのやえがきを)

意味・・すばらしい雲が盛んに出て、立ちのぼっている。
    その立ち出ずる雲の作る、幾重もの垣・・それは
    まさに「出雲八重垣」だ。妻を籠(こも)らせる為 
    に八重垣を作っている。なんとその垣の見事さよ。

    宮殿を造る地を探している時に詠んだ歌です。

 注・・八雲立つ=出雲の枕詞。
    籠(ご)み=籠(こも)る、中に入れる。

作者・・須佐之男命=すさのおのみこと。古代伝承の神。

出典・・古事記。

わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜
さやに照りこそ
              天智天皇(てんじてんのう)
              (万葉集・15)
(わたつみの とよはたくもに いりひさし こよいの
 つくよ さやにてりこそ)

意味・・眼前には大海原が広がっている。旗雲には赤い
    夕日がさして茜色(あかねいろ)に輝いている。
    今夜の月はさぞ清く明るくなることだろう。
    是非そうあってほしい。

    月が清く明るく輝いて欲しいのと同時に、国の
    明るく輝かしい未来の祈りもこめられています。

 注・・わたつみ=海、大海。    
    豊旗雲=古代の旗である幟(のぼり)がなびく
     ように、空を横断している雲。    
    入日=夕日。
    こそ=願望を表す助詞。・・してほしい。

作者・・天智天皇=~671。蘇我氏を滅ぼし大化の改新を
     行う。


白河の 流れ久しき 宿なれば 花の匂ひも
のどけかりけり
               源雅実
            
(しらかわの ながれひさしき やどなれば はなの
 においも のどけかりけり)

意味・・白河の流れのように久しく続くめでたい邸宅
    だから、花の美しさまでもゆったりしている
    ようだ。

    昔から将来へと久しく続く白河殿の花を詠む
    ことで祝意を述べています。
    
    余裕のある所には周辺も余裕が出来るもので
    ある。

 注・・宿=ここでは、藤原良房の邸宅・白河殿をさす。

作者・・源雅実=みなもとのまさざね。1059~1127。
    太政大臣・従一位。

出典・・金葉和歌集・31。


雪とちり 雲と乱れて よせきつつ いそもとよゆする
沖つ白波
              村田春海(むらたはるみ)
              (百首和歌)
(ゆきとちり くもとみだれて よせきつつ いそもと
 ゆする おきつしらなみ)

意味・・雪のように散り、雲のように乱れ飛んで何度も
    押し寄せつつ、磯の岩の根元を揺るがす沖の白
    波よ。

    千葉県銚子の外海の荒波に感動して詠んだ歌です。

作者・・村田春海=1746~1811。江戸の干鰯問屋。家業が
     没落して歌人・国学者として生活を送る。


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