名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年03月

うぐいすの やどはととへば 降る雪に こたへぬ風も
にほふ梅が香
                   内山淳時
              
(うぐいすの やどはととえば ふるゆきに こたえぬ
 かぜも におううめがか)

意味・・鶯が「鶯宿梅」の故事よろしく自分の宿としていた
    梅はどうなったと問うと、降る雪にたいしては何の
    反応も示さなかった風も、鶯の問いに答えるように
    梅の香を匂わせて宿のありかを知らせる。

    雪に梅が埋もれて宿りが見えなくなった、という設
    定で詠んでいます。

    「鶯宿梅」の故事は下記参照。
 
作者・・内山淳時=うちやまあつとき。1723~1788。江戸の
    狂歌師、四方赤良・朱楽菅江(あけらかんこう)の師と
    して知られる。

出典・・遺珠集。

参考です。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事、「大鏡」
    の昔話です。

    時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
    どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
    ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
    長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
    お嘆きになりました。

    色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
    たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
    そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
    ございます。

    受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
    あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
    ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
    います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
    梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

    探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
    ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
    噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
    どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
    ぬ 見事な梅があったのでございます。

    色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
    四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
    のでございます。これならきっと帝のお気に召す
    だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
    一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
    ところ、その家の者が「お願いがございます」
    と進み出て参りました。

    何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
    がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
    お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
    ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
    にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
    別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
    の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
    と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
    持ち帰ったのでございます。

    美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
    びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
    思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
    に目を細め、眺めておいででございましたが、
    ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
    ございます。
   「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
    書いてございました。
  
   「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
    いかが答へむ」

   『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
   贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
   この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
   ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
   いましょう』

   紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
   美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
   あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
   いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
  「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
   ございます。

   慌ててその家の素性を質したところ判りました
   ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
   さんの御息女が住んでいる処であったということ
   でございます。そして、その梅の木は父である
   貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
   父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
   ございました。

   それを帝に申し上げたところ「さても残念な
   ことであることよ」と思し召されたということ
   でございます。

  『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
   終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
   たとの話も伝わっています。
   

世の中は いずれの道も しならいて 時の人数に
なりぬるぞよし
            荒木田守武(あらきだもりたけ)
             (世中百首)
(よのなかは いずれのみちも しならいて ときの
 ひとかずに なりぬるぞよし)

意味・・世の中、どの道を選んでもその職業に精通し
    熟練し、その道なら誰と、指折り数えられる
    ほどの者になる事だ。

 注・・しならいて=為習いて。し慣れて上手くなる。
    人数(ひとかず)=一人前の人間として認めら
     れる事。

作者・・荒木田守武=1473~1549。伊勢内宮の神官。
     室町時代の連歌師。


裾に置て 心に遠き 火桶かな
                     蕪村

(すそにおいて こころにとおき ひおけかな)

意味・・寒い外から帰ってきて、火桶を裾に置いて
    手をあぶっていても、心までは中々暖まら
    ない。

    嫌な事があり、外から帰ってきて火鉢に当
    たるのだが、むしゃくしゃした心は暖まらず、
    ほぐされない。

 注・・火桶=木をくぐり抜いて造った火鉢。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。南宗
    画家。


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
            紀内侍(きのないし)
            (拾遺和歌集・531)

(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

作者・・紀内侍=生没年未詳。紀貫之の娘。


参考です。
「大鏡」の昔話。

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば 
いかが答へむ

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。

どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。

色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。

受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。

探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。

色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。

何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。

美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
  いかが答へむ」

『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。

慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。

それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。



折る人の つらさもいはじ 梅の花 咲かぬ宿には
さぞなゆかしき
             藤原為相(ふじわらのためすけ)
             (為相百首・8)
(おるひとの つらさもいわじ うめのはな さかぬ
 やどには さぞなゆかしき)

意味・・折る人の思いやりのなさはあえて言うまい。梅の
    花の咲かない宿の人にとっては、さぞ、その花が
    欲しいであろうから。

 注・・つらさ=辛さ。薄情、冷淡。
    な=自分の意思や希望を表す。・・したい。
    ゆかし=欲しい、興味がもたれる。

作者・・藤原為相=1263~1328。正二位中納言。

冬の夜や 針うしなうて おそろしき  
                  
            梅室
            (梅室家集)
(ふゆのよや はりうしのおて おそろしき)

意味・・身も心も凍る冬の夜の寒さの中、
    黙々と針仕事を続けてきて、ふと
    気づくと針が一本なくなっている。
    思わず、恐ろしさに身がふるえる。

    この頃の日常生活にひそむ恐怖感を
    巧に表現しています。

 注・・冬の夜=刻々と冷え込みが厳しくなる
     ひっそりした夜。

作者・・梅室=1769~1852。桜井梅室。家業の
     刀研師の職を36歳で弟に譲り、隠棲



しらぬひ 筑紫の綿は 身に着けて いまだは着ねど
暖けく見ゆ
                 沙弥満誓
             
(しらぬい つくしのわたは みにつけて いまだは
 きねど あたたけくみゆ)

意味・・筑紫産の真綿は、まだ肌身につけて着てみた
    ことはないが、いかにも暖かそうだ。

    筑紫特産の真綿を見たもの珍しさから詠んで
    います。

 注・・しらぬひ=筑紫の枕詞。

作者・・沙弥満誓=さみまんぜい。生没年未詳。尾張守
    を経て出家。筑紫観音寺の別当(長官にあたる)。

出典・・万葉集・336。

(3月4日)

名歌鑑賞・1767


世の中に 蒔かずに生えし ためしなし 蒔きてぞついに
運や開けん
                   作者未詳
(よのなかに まかずにはえし ためしなし まきてぞ
 ついに うんやひらけん)

意味・・この世の中に、種を蒔かずに生えたものなどない。
    種を蒔いておく・志して準備し努力するからこそ、
    運も開けるのだ。

    まず目標を持つ。それはどんな小さな事でも、一生
    をかけるような大きな事でもいい。その目標に向か
    って準備する。情報を集めつつ、日々勉強やトレー
    ニングをする。周囲の人に教えを乞うたり協力をお
    願いする。こうして着々と行動していけば、蒔いた
    種はいつの日か花を咲かせ、実を結ぶ。先ずは動き
    出して見なければ始まらない。蒔かぬ種は生えない
    のだから。



我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を
見ずかなりなむ       
                   大伴旅人
              
(わがさかり またおちめやも ほとほとに ならの
みやこを みずかなりなむ)

意味・・若い時代がまた返ってくるだろうか、いやそんな
    事は考えられぬ。もしかしたら、奈良の都を見な
    いままに終わってしまうのではなかろうか。

   「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく
    今盛りなり」
   (奈良の都は、咲いている花が色美しく映えるように、
    今や真っ盛りである)

    と歌われた奈良の都を、下向先の筑紫で懐かしんで
    詠んだ歌です。

 注・・をちめ=復ちめ、元に戻る、若返る。
    ほとほとに=ほとんど、おおかた。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。太宰師
    (だざいのそち)として九州に下向、後に大納言・従
    二位。

出典・・万葉集・331。

(3月2日)

名歌鑑賞・1765


年ごとに 来てはかせいで 帰れるは 越路にたんと
かり金やある
             加保茶元成(かぼちゃのもとなり)
             (後万載)
(としごとに きてはかせいで かえれるは こしじに
 たんと かりがねやある)

意味・・雁が毎年北の方から来ては、せっせと稼いで帰って
    行くが、雁金というから、郷里の越路にたんと借金
    でもあるのだろうか。

    題は「帰雁(きがん)」。当時、雪国の越後や信州か
    ら江戸へ、冬の期間出稼ぎに来ていた奉公人になぞ
    らえ見立てた歌です。

 注・・越路=北陸地方。
    帰雁=春になって南から北へ帰る雁。
    かり金=雁金。雁のこと、「借金」を掛ける。

作者・・加保茶元成=1754~1828。本名村田市兵衛。新吉原
     の妓楼の主人。

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