名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年04月

花の色を うつしとどめよ 鏡山 春よりのちの
影や見ゆると
             坂上是則(さかのうえのこれのり)
             (拾遺和歌集・73)
(はなのいろを うつしとどめよ かがみやま はるより
 のちの かげやみゆると)

意味・・花の色を、その名のように、鏡に映して、移し
    留めておくれ鏡山よ。春の過ぎ去った後も、花
    の影が見えるように。

    鏡に花の色を映して、移し留めようとする趣向。

 注・・うつしとどめよ=「移す」に「写す」を掛ける。
    鏡山=滋賀県蒲生郡竜王町鏡にある山。鏡を連
     想させる。

作者・・坂上是則=生年未詳~930。924年従五位下・加賀介。
     三十六歌仙の一人。




あくがれて ひととせながら 山桜 花を見るまの
こころともがな
                 徳丸
              
(あくがれて ひととせながら やまざくら はなを
 みるまの こころともがな)

意味・・夢中になって一年中、山桜の花を見ている時の
    心でいたいものだ。

    桜花が散った後も、花が咲いているように、心に
    深く刻んで置けば一年中、心は安らかだろうに。

 注・・あくがれて=憧れて。心・魂が人の体から抜け出す。
     浮かれ歩く。

作者・・徳丸=とくまる。伝未詳。

出典・・明治開花和歌集。

(4月28日)


花の色は 散らぬ間ばかり ふるさとに 常には松の
緑なりけり
             藤原雅正(ふじわらのまさただ)
             (後撰和歌集・43)
(はなのいろは ちらぬまばかり ふるさとに つねには
 まつの みどりなりけり)

意味・・花の色の素晴らしさは散らない間だけのこと。
    この古い里で常に私を待っている松の緑こそ
    本当に素晴らしいものである。

 注・・ふるさと=なじみの土地。昔の都。
    松=「常に待つ」と「松」を掛ける。

作者・・藤原雅正=生没年未詳。周防守・従五位下。紫式部
     の祖父。



はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ 六十年の春の
末とほき身を
                    冷泉為村
              
(はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ むそじのはるの
 すえとおきみを)

意味・・花よ知っておくれ。花に充ち足りたか、充ち足りて
    いないかも未だ分らないで六十年もの春を繰り返し
    て来て、これからの行く末も知らないこの私を。

    自分は充ち足りたかどうかさえも分らぬまま六十年
    を過ごしたとして、花の美(欲望)の前には全く無力
    な人間である事を詠んでいます。

    次の歌は三条西実隆(さねたか)の歌、参考です。
   「今はとて思ひすてばや春の花 六十年あまりは
    咲きちるも見つ」
   (六十余年も花の咲き散るのを見てきて、このあたりで
    執着を振り捨てよう)
    この歌はかえって花(欲望)に執着の強さを表現してい
    ます。

 注・・あきもあかずもまだしらぬ=花に充ち足りた、充ち
     足りないがどういうことなのかも未だ分らない。

作者・・冷泉為村=れいぜいためむら。1712~1774。正二位
    権大納言。

出典・・樵夫問答・しょうふもんどう(小学館「近世和歌集」)。



天つ風 吹飯の浦に いる鶴の などか雲居に
帰らざるべき
           藤原清正(ふじわらのきよただ)
           (新古今和歌集・1723)
(あまつかぜ ふけいのうらに いるたずの などか
 くもいに かえらざるべき)

詞書・・殿上を離れまして詠みました歌。

意味・・天の風の吹く吹飯の浦に下りている鶴が、
    空に舞い戻るように、どうしてもう一度
    昇殿せずにすまそうか。きっと宮中の殿
    上に帰る事が許されるであろう。

 注・・天の風=空を吹く風。
    吹飯の浦=紀伊の国(和歌山)にある名所
     の海岸。
    雲居=高い空。「宮中」の意の「雲居」を
     掛ける。
    殿上=清涼殿の殿上の間に上る事を許さ
     れる事。四位・五位になると許される。

作者・・藤原清正=~958。「きよまさ」とも読む。
     紀伊守・従五位上。三十六歌仙の一人。


1035


心知らぬ 人はなんとも 言わば言え 身をも惜しまじ
名をも惜しまじ
                  明智光秀

(こころしらぬ ひとはなんとも いわばいえ みをも
 おしまじ なおもおしまじ)

意味・・自分の心の中を知らない人は、どんな事でも
    言うがいい。私は信念のためには自分の身も
    名誉も惜しくはない。

    この歌は辞世の歌で「本能寺の変」以降に詠
    まれたものです。

作者・・明智光秀=1あけちみつひで。528~1582。
    本能寺の変で有名。

    

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか
久しかるべき
                  よみ人知らず
                  (伊勢物語・82段)
(ちればこそ いとどさくらは めでたけれ うきよに
 なにか ひさしかるべき)

意味・・散るからこそいっそう桜は素晴らしいのだ、
    このつらい世にいったい何が長く変わらず
    にあることが出来ようか。    

    伊勢物語の同段にある、桜の散るのを嘆い
    た次の歌に対して詠んだ歌です。

   「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は
    のどけからまし」     (在原業平)

   (世の中に桜というものが全くなかったと
    したら、咲くのを待ち散るのを惜しんで
    心を動かすこともなく、どんなにか春の
    人の心はのんびりすることであろう)



雨ならで もる人もなき 我が宿を 浅茅が原と
見るぞ悲しき
                 徽子女王
            
(あめならで もるひともなき わがやどを あさじが
 はらと みるぞかなしき)

意味・・雨が漏るほかには、守る人もいない我が家を、
    浅茅が原のように荒れ果てるのを見るのは悲し
    いことだ。

    父が没したあと、自邸は雨が漏り、浅茅が生い
    茂るのを見て詠んだ歌です。
    
 注・・もる=「漏る」に「守る」を掛ける。
    浅茅が原=荒廃を表す。「浅茅」は丈の低い茅
    (ちがや)。草の茂った荒れた野原。

作者・・徽子女王=きしじょおう。929~985。斎宮女御
    と称された。父は後醍醐天皇の第4子・重明親王。

出典・・拾遺和歌集・1204。



のどけさよ 願いなき身の 神もうで  
             吉田松陰(よしだしょういん)

(のどけさよ ねがいなきみの かみもうで)

意味・・若葉薫る神社の鏡内で、家族連れが手を合わせて
    いる。「良い事がありますように」などと願い事
    をしているのだろう。のどかだなあ。

    松蔭が牢の中より妹に出した手紙で詠んだ句です。
    この中で「禍福は糾(あざな)える縄の如し」とい
    って、自分の入牢は「禍(わざわい)」であるが必ず
    「福」となる。「福」となるように家族は心を引き
    締めて協力しあって欲しい。「松蔭が早く牢から出
    られますように」と神頼みするのではなく、この
    不幸を廃墟から立ち直る心構えをして、「のどけさ
    よ願いなき身の神もうで」の句のよになる事を目指
    して欲しい。

作者・・吉田松陰=1830~1859。享年30歳。1854年ぺりーが
     来航した時、密航を企て入牢。その後出獄して松下
     村塾を開講。高杉晋作、伊藤博文、山形有朋等を
     育てる。1859年の安政の大獄で捕らえられ獄死する。



花よりも 人こそあだに なりにけれ いづれをさきに
恋ひむとか見し
                  紀茂行
               
(はなよりも ひとこそあだに なりにけれ いずれを
 さきに こいんとかみし)

詞書・・ある人が桜を植えておいてあったが、やっと花が
    咲きそうな樹齢になった時に、その桜を植えた人
    が死んだので、その花を見て詠んだ歌。

意味・・はかない桜の花よりも、その桜を植えた人の方が
    もっとはかなくなってしまった。花と人とを、ど
    ちらを先に恋い慕うようになろうなどと、思って
    見た事があろうか。そんな事を思った事もなかっ
    た。

    老後の楽しみに庭園を造ったりするが、完成する
    や否や世を去ることもある。桜を植え丹精を込め
    て成長を見守っていたのであろうが、咲き始める
    樹齢になったが、まだ花を見ないうちに世を去っ
    たのです。

 注・・あだ=徒。はかない、むなしい。

作者・・紀茂行=きのもちゆき。880年頃の人。紀貫之の父。

出典・・古今和歌集・850。


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