名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年06月

何ごとも 時ぞと念ひ わきまへて みれど心に
かかる世の中
           橘曙覧 (橘曙覧歌集・380)

(なにごとも ときぞとおもい わきまえて みれど
 こころに かかるよのなか)

意味・・何事も時が解決してくれると、そのようにわき
    まえてはいるものの、やはり心配な世の中だ。

 注・・心にかかる世の中=この歌では、明治維新の前
     夜というべき時期で、攘夷と開港の問題をめ
     ぐって、国論が騒然としていた世相。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。明治元年
     は1868年。

草深き 窓の蛍は かげ消えて あくる色ある
野辺の白露
               飛鳥井雅有 

(くさふかき まどのほたるは かげきえて あくる
 いろある のべのしらつゆ)

意味・・草深い家の窓のあたりを飛び交う蛍の光も
    消えて、夜が明けゆく光に映えて美しい色を
    見せる野辺の白露よ。

    夜明けの光を受け、庭には白露がきらきらと
    輝いており、草深い窓の辺りでは蛍の光が消
    えて行く、夏の朝の叙景を詠んでいます。

 注・・窓の蛍=「蛍の光、窓の雪」を慣用句的に用
     いたもの。
    あくる=明くる。夜があける。

作者・・飛鳥井雅有=あすかいのまさあり。1241~
     1301。鎌倉期の歌人。正二位参議。

出典・・玉葉和歌集・398。

山吹の 花色衣 ぬしやたれ とへどこたへず 
くちなしにして
          素性法師 (古今和歌集・1012)

(やまぶきの はないろごろも ぬしやたれ とえど
 こたえず くちなしにして)

意味・・山吹の花のような黄色の着物の主は誰で
    あるか、尋ねたが返事が無い。口無しで
    あって、返事をしないのも道理である。

    俳諧(誹諧・はいかい)歌で滑稽さを詠ん
    でいます。

 注・・山吹の花色衣=黄色の衣。
    くちなし=梔子(くちなし)色、「口無し」
     を掛ける。山吹きは黄色で梔子色でも
     ある。

作者・・素性法師=そせいほうし。~909年頃没。
     僧正遍照の子。
    

観覧車 回れよ回れ 想い出は 君には一日 
我には一生
               栗木京子 

(かんらんしゃ まわれよまわれ おもいでは きみには
 ひとひ われにはひとよ)

意味・・楽しい思い出が巡るように、観覧車よ回れ回れ。
    その想い出は、相手にとっては、たかが一日。
    遊園地に出かけて観覧車に乗った、それだけの
    事かも知れない。しかし、私には一生なのだ。
    この一日の事は、大切な思い出として、一生忘
    れないだろう。

作者・・栗木京子=くりききょうこ。1954~。京都大学
     理学部卒。

出典・・歌集「水惑星」。



てのひらを くぼめて待てば 青空の 見えぬ傷より
花こぼれ来る
              大西民子 (無数の耳)

(てのひらを くぼめてまてば あおぞらの みえぬ
 きずより はなこぼれくる)

意味・・晴れた空は青く心地よい。野辺には花がいっぱい
    咲いて、また散っている。今、この美しい花びら
    を両手で受けようとしている。幸せな時だ。この
    楽しい振る舞いの中で、ふと、他人には分らない
    悩みが思い出されて来る。

 注・・見えぬ傷=他人には分らない傷・悩み。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。奈良女
     子高等師範学校卒。木俣修に師事。「無数の耳」。


さくら花 幾春かけて 老いゆかん 身に水流の
音ひびくなり
                 馬場あきこ 

(さくらばな いくはるかけて おいゆかん みに
 すいりゅうの おとひびくなり)

意味・・たえず美しい花が開く桜は、いつまで咲き
    誇り、老熟の時期を迎えるのであろうか。
    桜ならぬ我が身には、老いて行く時の流れ
    が、水流の音のように響いて来る。

 注・・老いゆかん=「桜が老いゆかん」と「老い
     ゆかん身」を掛けている。

作者・・馬場あきこ=ばばあきこ。1928~。昭和女
    子大学卒。窪田章一郎に師事。

出典・・歌集「桜花伝承」。


君がため 瀟湘湖南の 少女らは われと遊ばず 
なりにけるかも
             吉井勇 (酒ほがひ)

(きみがため しょうしようこなんの おとめらは われと
 あそばず なりにけるかも)

意味・・湘南の浜辺や別荘で知り合った少女達と楽しく
    遊んでいたが、一人の乙女に心を奪われて親し
    くなった為に、他の女の子が自分を爪はじきし
    て、交遊してくれなくなってしまった。

 注・・瀟湘湖南=湘南のこと。「湘南」は相模の国の
     南部を呼ぶのだから、「相南」でありそうな
     のだが、中国湖南省の河、「瀟河と湘河」の
     名勝にちなんで「湘南」としゃれて付けられ
     たそうである。そこで「湘南」のことを口ず
     さみやすく「瀟湘湖南」と言っている。
    湘南=葉山、逗子、鎌倉、茅ヶ崎、大磯の辺り。

作者・・吉井勇=よしいいさむ。1886~1960。早稲田大
     学中退。劇作家、小説家。「酒ほがひ」。


夫と妻が 親とその子が 生き別る 悲しき病
世になからしめ
                   小川正子
         
(つまとめが おやとそのこが いきわかる かなしき
 やまい よになからしめ)

意味・・夫婦が、あるいは親子が生き別れねばならない
    ような悲しい病気など、この世からなくなって
    しまいますように。

    悲しき病とは癩病のことである。この歌が詠ま
    た当時は治療薬が無く、病は重くなるばかりで
    あった。鼻が変形し手足が麻痺する。失明にな
    り声帯が喪失して行く。治療費も大変で親は田
    や畑を売っていた。癩病の治療に女医として献
    身していた作者は、この難病の特効薬が出来る
    事を願って詠んだ歌です。

作者・・小川正子=おがわまさこ。1902~1943。東京女
    子医学専門学校卒。長島愛生園で女医として癩病
    の治療を行った。

出典・・松田範祐著「瀬戸の潮鳴り」。

     

君がこと 母の褒むれば おさふれど おさふれど尽きぬ
ほほえみのわく
             石橋静子 (新万葉集・巻一)

(きみがこと ははのほむれば おさうれど おさうれど
 つきぬ ほほえみのわく)

意味・・あの人の事を母が褒めてくれる時、嬉しさが胸
    一杯になって、それを表面に出すまいと思って、
    押えよう押えようと努力して見るのだが、次か
    ら次へと微笑みが尽きることなく湧きあがって
    きてしまう。

作者・・石橋静子=いしばししずこ。伝未詳。大正・昭
     和の人。

思い出の あるにもあらず 過ぎゆけば 夢とこそなれ
あぢきなの身や
                   一休宗純 

(おもいでの あるにもあらず すぎゆけば ゆめと
 こそなれ あじきなのみや)

意味・・人生には思い出が沢山あっても、過ぎ去ってみれば、
    無いのと同じである。過ぎ去ったものは一切夢なの
    である。夢のまた夢である。何とはかない身であろ
    うか。

    秀吉の辞世の歌、参考です。
   「露と落ち露と消えにしわが身かな なにはのことも
    夢のまた夢」 (意味は下記参照)

 注・・あぢきなの=せつない、情けない、耐え難い。

作者・・一休宗純=いっきゅうそうじゅん。1394~1481。
    頓知でお馴染みの一休さんです。

出典・・家集「骸骨」。

参考歌です。

露と落ち 露と消えにし わが身かな なにはのことも
夢のまた夢                
                  豊臣秀吉 

(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわの
 ことも ゆめのまたゆめ)

意味・・露のようにこの世に身を置き、露のように
    この世から消えてしまうわが身であった。
    何事も、あの難波のことも、すべて夢の中
    の夢である。

    死の近いのを感じた折に詠んだもので結果的
    には辞世の歌となっています。    

 注・・なにはのこと=難波における秀吉の事業、また
    その栄華の意と「何は(さまざま)のこと」を
    掛けています。

作者・・豊臣秀吉=1536~1598。木下藤吉朗と称し織田
     信長に仕える。信長の死後明智光秀討ち天下
     を統一する。難波に大阪城を築く。



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