名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年06月

まれに来る 夜半も悲しき 松風を たえずや苔の
下に聞くらむ
           藤原俊成 (新古今和歌集・796)

(まれにくる よわもかなしき まつかぜを たえずや
 こけの したにきくらん)

意味・・私のように稀に来て泊まる夜でも、こんなに
    悲しく聴こえる松風を、亡き妻はたえず墓の
    下で聞いているのだろうか。

    妻が亡くなった一周忌に、墓の近くの堂に泊
    まり、その時に詠んだ歌です。

 注・・苔の下=墓の下。

作者・・藤原俊成=ふじわらのしゅんぜい。1113~1204。
     非参議正三位皇太后宮大夫。「千載和歌集」
     の撰者。

うつそみの 命さみしも この山に 百世の後の 樹を植うる
われは
                 中村憲吉 

(うつそみの いのちさみしも このやまに ももよの
 あとの きをううるわれは)

意味・・都会生活を夢見ていた私であるが、村に帰って
    家業を継ぐ事になった。夢が叶えられず寂しい
    思いである。今、こうして桧の植林をしている
    が、自分が死んではるか後に、大木になってい
    るだろう桧はその時、私をどう見るであろうか。

    大阪で新聞記者をしていたが、家督を相続する
    ために故郷の広島府布野村に帰った頃に詠んだ
    歌です。都会生活に憧れていた心情の歌です。

    45歳で亡くなった時、葬儀に出た土屋文明は次
    の歌を詠んでいます。

   「いそしみて 君が植えたる 桧の木山 春日てる
    中に 立ちつつ思ふ」     土屋文明

 注・・うつそみ=うつせみと同じ。現世。命の枕詞。
    命さみしも=命寂しも。都会で生活する希望を
     絶たれた嘆きが込められている。
    この山=この歌では、生家の持ち山。
    百世の後の樹=桧のこと。自分が死んだはるか
     後に大木となっているだろう木々。

作者・・中村憲吉=なかむらけんきち。1889~1934。
    東京大学卒業。新聞記者、後に家業の酒造業
    を継ぐ。「アララギ」に入会。

出典・・歌集「軽電集以後」。

五月やみ 狭山の峰に ともす火は 雲のたえまの
星かとぞ見る
             藤原顕季 (千載和歌集・195)

(さつきやみ さやまのみねに ともすひは くもの
 たえまの ほしかとぞみる)

詞書・・照射。

意味・・梅雨どきの闇夜、狭山の峰に火がちらつくと、
    久しぶりに雲が切れて星が現れたのかと思っ
    てしまう。鹿が射たれる哀れを忘れて。

 注・・照射=火串(ほぐし)を立てて、鹿が灯りに誘い
     出されて来た所を弓で射る。明治の始め頃ま
     で行われた。
    五月やみ=現在の6月下旬頃。梅雨の夜の暗さ。
    狭山=武蔵国の歌枕。

作者・・藤原顕季=ふじわらのあきすえ。1055~1123。
     正三位・白河院の近臣。


ひなげしの 咲く日となりて その上の そよ風ほどに
なつかしきひと
                   掛貝芳男 

(ひなげしの さくひとなりて そのかみの そよかぜ
 ほどに なつかしきひと)

意味・・緑萌え、風薫る五月がやってきて、また赤い
    ひなげしの花が野に咲く頃になった。その上
    を柔らかく吹くそよ風、そのそよ風のように
    ふと懐かしく思い出されて来るのは、ああ、
    過ぎ去ったあの頃のあの人の面影・・・。

 注・・ひなげし=ケシ科の一年草。花弁は非常に薄い。
     開花時期は4/5~6/15頃。別名は虞美人草・
     ポピー。
    その上(かみ)=当時、昔。「その上(うえ)」を
     掛ける。

作者・・掛貝芳男=かけがいよしお。詳細未詳。大正・
     昭和時代の人。

出典・・新万葉集・巻二。

花もてる 夏樹の上を ああ「時」が じいんじいんと
過ぎてゆくなり
                 香川進 (氷原)

(はなもてる なつぎのうえを ああ「とき」が じいん
 じいんと すぎてゆくなり)

意味・・やや遠い丘の上に花をいっぱいつけた巨木が見え、
    その上を今まで長い間停止していた時間が流れ始
    めたのが見える。

    戦前、防衛主任将校として内地にいた作者が八月
    十五日に敗戦を知って口に出た歌と言われていま
    す。
    苦しい時の時間は長く、また停止しているように
    感じます。反面、楽しく喜びのある時間はアット
    言う間に過ぎ去って行きます。
    戦争で空襲されている時の長い苦しい思い、それ
    が終えた時の安らぎの思い。この事を「時間の流
    れの遅速」で詠んでいます。

 注・・時がじいんじいんと過ぎ=静寂の中で停止してい
     た時間が急に速度を持って流れ始めた(作者の
     言葉)。
     水に潜って苦しくとも息を止めてこらえている
     と、一秒間でも長く感じ、あたかも時間が停止
     しているように感じる。水から浮き上がると息
     は楽になり時間の流れが速く感じる、このよう
     な時間の状態。

作者・・香川進=かがわすすむ。1910~1998。神戸大学卒業。
    前田夕暮に師事。「地中海」創刊。「氷原」。
   

夏草の しげみの花と かつ見えて 野中の森に
散るあふちかな
                 正徹 

(なつくさの しげみのはなと かつみえて のなかの
 もりに ちるおうちかな)

意味・・夏草の茂みが花ざかり。瞬間はそう見えたのに
    落花なのだ。ああ、野中の森のおうちの花が早
    くも散っている。

.    おうちは粒のような花が花冠ごとに落ちるので、
    夏草の花かと見間違えた感興を詠んでいます。

 注・・かつ=ちよっと、すぐに、一時的に。
.    野中の森=京都府久美浜町野中にある森。
    あふち=楝。栴檀のこと。栴檀は落葉高木樹。
     紫色の小さな花を咲かす。開花は5/20から
     6/10頃。「栴檀は双葉より芳しい」の栴檀
     は別の木で「白檀」のこと。

作者・・正徹=しょうてつ。1381~1459。室町前期の
    歌僧。

出典・・歌集「草根集」。


医師の眼の 穏しきを趁ふ 窓の空 消え光つつ 
花の散り交ふ
        明石海人(白描、新万葉集・巻一)

(いしのめの おだしきをおう まどのそら きえ
 ひかりつつ はなのちりかう)

詞書・・病名を癩と聞きつつ暫しは己が上とも覚えず。

意味・・診察した医師は「癩」と診断して、顔をそっ
    と窓の空に向けている。そこには花びらが、
    日に当たり、またかげりながら散っている。

    昭和10年頃の当時は、癩病は不治の病であっ
    た。その病名を聞かされてショックを受けた
    状態を詠んでいます。
    咲き終えて落下する花びらのように、自分の
    運命もこれまでかと落胆した歌です。
    しかし、この後に気を取り戻します。父や母、
    妻や幼子の事を思うと、必ず病気を治さねば
    ならない、治したいと。
    蕾が花と開いて、燃えて燃え尽きて落下する。
    私も必ずこの病気に打ち勝って花を開かせて
    燃え尽きて散りたいと。   

 注・・穏(おだ)しき=おだやか。
    趁(お)ふ=追う、追いかける。
    癩=ハンセン氏病。昭和24年頃から特効薬が
     普及して完治するようになった。特効薬の
     無い昔は、人々に忌み嫌われ差別され、又
     療養所に隔離されて出所出来なかった。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。沼津
    商業卒。会社勤め後、らい病を患い、長島愛
    生園で生涯を過ごす。鼻が変形し失明する。
    歌集「白描」。


鉄橋へ かかる車室の とどろきに 憚らず叫ぶ 
妻子がその名は
                 明石海人 
 
(てっきょうへ かかるしゃしつの とどろきに はばからず
 さけぶ さいしがそのなは)

意味・・列車が鉄橋に差し掛かると、車室にゴトゴトと轟く音
    がしだした。そのはずみに、思わず妻子の名前を叫ん
    だ、その妻子の名は。
   
    ある日突然、「癩」と診断を受け、仲睦まじく暮らして
    いた家族と別れ、治療のために療養所に向かう汽車の
    旅の出来事です。
    この歌が詠まれた昭和10年頃は癩病の特効薬・プロミ
    ングがまだ発見されてなかったので、不治の病であり、
    療養所に入ると、治って出て来る事が出来なかった。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。沼津商業卒。
    会社勤めの後、癩病を患い、生涯を療養所で過ごす。

出典・・歌集「白描」。新万葉集・巻一。




信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば
時過ぎにけり
               信濃の国の防人の歌
               (万葉集・3352)
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
 きけば ときすぎにけり)

意味・・ここは信濃の須我の荒野、この人気のない野で
    時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
    ると言った時期はもう過ぎてしまうのだなあ。

    時鳥が鳴く初夏は農繁期なので人手の欲しい時
    期である。防人として出て行った夫の帰りを待
    ちこがれた歌です。

 注・・信濃=長野県。
    須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
    ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
     農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
    時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
     言った時期。
    


からたちの 垣根つづきの 野の小みち 淋しきわれを
みる野の小みち
                   狭山信乃 

(からたちの かきねつづきの ののこみち さびしき
 われを みるののこみち)

意味・・からたちの小さな白い花が咲き誇っている垣根。
    その垣根が続いている野の小道。それはそこに
    佇(たたず)む淋しい私を見る野の小道でもある。

    淋しきわれは恋人のいない自分。

 注・・からたち=蜜柑科の木。小さい白い花が4/10~
     4/30頃まで咲く。枝に刺があり垣根にされる。

作者・・狭山信乃=さやましの。1885~1976。昭和期の
     歌人。歌人、前田夕暮と結婚。

出典・・新万葉集・巻四。



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