名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年07月

子を守りて 終らむといふ 妻が言 身には沁みつつ
なぐさまなくに
                 明石海人 

(こをもりて おわらんという つまがこと みには
 しみつつ なぐさまなくに)

意味・・子を守りて終らむ----子供を守り育てて、私は
    一生を終えます。再婚等も考えず、苦難に耐え、
    苦難と闘って、あなたの愛の結晶を大事に育む
    事を生きがいにしながら、私は生きていきます。
    ----と言ってくれる妻の言葉は、身体の中に沁
    み入るように嬉しいが、また一方、心は慰めか
    ねている・・・。

    癩療養所からの退院は絶望の時、面会に来た妻
    が里親から離婚をすすめられている事を知って
    詠んだ歌です。

    妻を心から愛しているのなら、妻を自由にして
    やるべきではないか、自分への気兼ねを無くす
    ためにも、自分がいなくなる事だと思うのだが、
    面会に妻と一緒に来ている我が児を見ていると、
    あどけなく花を摘んで遊んでいるわが児を見る
    と、私が今死んだらこの児はどうするだろう。
    自分の側にいるというただそれだけで、何の不
    安もなく白い花を摘んでいるのだ。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。37歳。
    26歳の時に癩病の宣告を受ける。この時妻は25
    歳、幼児が二人いた。長島愛生園で生涯を過ごす。

出典・・新万葉集・巻一。


ほととぎす 夜深き声を 聞くのみぞ もの思ふ人の
とりどころなる
            道命法師 (後拾遺和歌集・199)

(ほととぎす よふかきこえを きくのみぞ ものおもう 
 ひとの とりどころなる)

意味・・ほととぎすの深夜に鳴く声を聞くのだが、ものを
    思って寝られない人の取り柄というものだ。

    物を思って思いに苦しみ、寝られずにいると他に
    何も良い所はない。が、そのために深夜のほとと
    ぎすの鳴き声を聞く事が出来たので、それが取り
    柄となる。

 注・・とりどころ=取り柄、長所。

作者・・道命法師=どうみょうほうし。974~?。中古三十
     六歌仙の一人。


暴力の かくうつくしき 世に住みて ひねもすうたふ
わが子守うた
                  斉藤史 

(ぼうりょくの かくうつくしき よにすみて ひねもす
 うたう わがこもりうた)

意味・・「暴力」のこんなに美しく讃えられている時代に
    めぐり住んで、私は、(その美しく讃えられている
    「暴力」の犠牲に将来なるかも知れない運命にさら
    されている、そんな)可愛い我が子の為に、(しかし、
    何のすべもなくひたすら、今の愛に賭けて、世の
    常の母親のごとくに)一日中、子守唄を歌ってあげ
    ている。

    「日本を守る」と言い「日本を救う」と唱えつつ
    次々と戦火を拡大して行った昭和の初めに詠まれ
    た歌です。国をあげて褒め讃えたもの、それは戦
    争という「暴力」であった。

作者・・斉藤史=さいとうふみ。1909~2002。

出典・・新万葉集・巻四。



象潟や雨に西施がねぶの花
                 芭蕉 (奥の細道)

(きさがたや あめにせいしが ねむのはな)

意味・・象潟の雨に煙る風景の中に合歓(ねむ)の花が
    咲いているが、その姿は、あの美人西施が憂
    いに沈んで半ば目をつむっているような趣が
    ある。

    芭蕉が奥の細道の旅で象潟の地に来て詠んだ
    歌です。
    象潟は小島が多く松島と似ているようで違っ
    た所もある。喩えて言えば、松島は美人が笑
    っていて明るいが、象潟は何か暗く沈んだ所
    がある。寂しい感じの上に悲しさが加わって、
    この土地の様子は美人が心を悩ましている趣
    である、と奥の細道で書いています。

 注・・象潟=秋田県由利郡象潟町。日本海の海を入
     れた潟湖で、多くの小島があり、景勝地。
    西施=中国周代の越の国の美女。
    ねぶ(ねむ)の花=合歓の花。豆科の高木、
     羽状の葉が夕暮れや雨の時には閉じて、ち
     ようど眠ったかっこうになる。6,7月頃に
     薄桃色の花が咲く。ねぶに「眠る」の意を
     掛ける。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。「奥の細道」。


雨の日は ともに雨きく 晴れし日は 庭に下りたち 
樹の緑見る
                  青木穠子 

(あめのひは ともにあめきく はれしひは にわに
 おりたち きのみどりみる)

意味・・雨の日は、共に、しっとりとその雨音に耳を
    傾け、また、晴れの日には、共に、庭に下り
    立って、明るく輝く木々の緑を見て楽しむの
    である。

    平凡な日常生活の中における、愛の心がさり
    げなく詠み込まれています。
    この歌から、人生の「雨の日」、人生の「晴
    れし日」をも感じとる事も出来る。「雨の日」
    には「雨の日」の風情を、「晴れし日」には
    晴れの日の風情を楽しむ二人の人生が感じら
    れます。    

作者・・青木穠子=あおきじょうこ。1884~1971。大口
     鯛二に師事。

出典・・新万葉集・巻一。

軒しろき 月の光に 山かげの 闇をしたひて 
ゆく蛍かな
               宮内卿 (玉葉和歌集)

(のきしろき つきのひかりに やまかげの やみを
 したいて ゆくほたるかな)

意味・・軒端を明るく月が照らしているので、今夜の
    蛍は山かげの闇の方に行っている。暗い所が
    好きなのだなあ、お前たちは。

    あの人はもう戻ってくれないのですね、こち
    らには・・と言っている様です。

作者・・宮内卿=くないきょう。生没年未詳。1205年
     頃に20歳で没。後鳥羽院に仕える若き女官。

思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの
あるが世の中
                      
(おもうこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬ
 ことの あるがよのなか)

意味・・人の欲望は、ひとつかなえば、さらにまた
    かなわない欲望が出てくるもので、限りが
    ないものだ。

    欲望や不満に限りがない、だからこそ進歩
    向上するとも言えるが、今の自分に満足し
    感謝する気持ちを持つ事も大切。

出典・・斎藤亜加里著「道歌から知る美しい生き方」。

さざ浪や しがの山寺 あれにしを 昔ながらの
月のかげかな
             正忠 (明治開花和歌集)

(さざなみや しがのやまでら あれにしを むかし
 ながらの つきのかげかな)

意味・・志賀の山寺は荒れてしまったが、月の光は昔の
    ままに美しいことだ。

   「さざ浪や志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜
    かな」(平忠度)の模倣作。(意味は下記参照)

 注・・さざ浪や=「しが」に掛かる枕詞。
    しがの山寺=志賀寺。滋賀県大津市にあった。

作者・・正忠=まさただ。伝未詳。

参考歌です。

さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 
山桜かな
            平忠度 (千載和歌集・66)

(さざなみや しがのみやこは あれにしを むかし
 ながらの やまざくらかな)

意味・・志賀の古い都はすっかり荒廃してしまったけれど、
    昔のままに美しく咲き匂っている長等山の山桜よ。

    古い都を壬申(じんしん)の乱で滅んだ大津京に設定し、
    その背後にある長等山の桜を配して、人間社会の
    はかなさと悠久(ゆうきゅう)な自然に対する感慨を
    華やかさと寂しさを込めて表現しています。

 注・・さざ浪=志賀の枕詞。
    ながら=接続詞「ながら」と「長等山」の掛詞。

作者・・平忠度=たいらのただのり。1144~1184。正四位下・
     薩摩守。


我妹子が 家の垣内の さ百合花 ゆりと言へるは 
いなと言ふに似る
                紀豊河 

(わぎもこが いえのかきつの さゆりばな ゆりと
 いえるは いなというににる)

意味・・いとしいあなたの家の垣根に咲いている百合
    の花、その名のように「ゆり」、後でとおっ
    しゃるのは、つまり、いやということなんで
    すね。

    女の曖昧な態度にあきたらず、性急に決めよ
    うとする男の心を述べています。

 注・・我妹子=男性が妻や恋人などを親しんで呼ぶ
     語。
    垣内(かきつ)=垣根の内、屋敷の中。
    さ百合花=さは接頭語。美しい花に、美女に
     対する男の憧れ心を絡ませる。
    ゆり=後。のち、将来。

作者・・紀豊河=きのとよかわ。生没年未詳。739年に
     従五位下になる。

出典・・万葉集・1503。


嫁ぐ日の 近き友には 病める身の 寂しさ告げず
別れ来にけり
           伊丹小夜子 (新万葉集・巻一)

(とつぐひの ちかきともには やめるみの さびしさ
 つげず わかれきにけり)

意味・・結婚の日取りも決まって、嫁ぐ日ももう間近な
    友には「自分は病気を持つ身である事、またそ
    れゆえ、結婚が出来ないのだ」という寂しい心
    のうちを告げることなしに別れて来たことだ。

    ある日、作者は自分と同じ位の友の一人に会った。
    その友は、もうすぐお嫁に行くというので、満面
    笑みを湛え、嬉しくてたまらない様子であった。
    作者もまた、乙女ゆえ、いつかは自分だってそう
    なりたいという夢を捨てているわけではない。
    しかし、病気ゆえにそれがはばかられているので
    ある。その悲しい気持ちを押し隠して、「おめで
    とう。いつまでもお幸せにね。」と精一杯喜びの
    言葉を贈って帰って来たのである。そして、最後
    まで自分の病気の事は口にださなかった。
    相手の幸福な状態に水をさしたくなかったからで
    ある。

作者・・伊丹小夜子=伝未詳。明治・大正・昭和の人。

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