名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年08月

ほととぎす 自由自在に 聞く里は 酒屋に三里
豆腐屋に二里
            頭光 (続々鳩翁道話)

(ほととぎす じゆうじざいに きくさとは さかやに
 さんり とうふやににり)

意味・・ほととぎすの声が聞こえるような趣のある山里
    に住むと、酒が飲みたい時は三里行かねば酒屋
    はないし、豆腐屋にも二里も離れている。
    あれもこれも揃わないものだ。

作者・・頭光=つむのひかり。1754~1796。狂歌師の
     蜀山人(しょくさんじん)の愛弟子。

ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝
夜の明けやすき
            与謝野晶子 (みだれ髪)

(ほととぎす さがへはいちり きょうへさんり みずの
 きよたき よのあけやすき)

意味・・ほととぎすの鳴き声がいつでも聞かれる清滝から、
    心をいやせる竹林のある嵯峨には一里の近さであり
    昔を偲ばせる古都には三里の近さである。
    今、清滝に来て見ると、朝の早い夏は、ほととぎす
    が鳴き、渓流のささやきが聞こえて涼しさが漂(た
    だよ)っている。

 注・・嵯峨=京都市右京区の嵐山から小倉山に沿った社寺
     の立ち並ぶ地域。竹林も多い。
    清滝=京都市右京区嵯峨清滝。清滝から高雄に通じ
     る渓谷は錦雲渓と呼ばれ紅葉の名所。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1887~1942。
     堺女学校卒。鉄幹と結婚。「明星」で活躍。
     歌集「みだれ髪」「舞姫」。


おなじ地に おなじ木ならび 今日もまた おなじ葉と葉と 
あひ触れて鳴る
                   尾上柴舟 (永日)

(おなじちに おなじきならび きょうもまた おなじ
 はとはと あいふれてなる)

意味・・同じ所に、いつもの同じ木が立ちならんで、今日も
    また、同じ葉と葉があいも変わらず触れ合って音を
    立てている。

    自分はこつこつ努力をしているのに、目の前にある
    木の葉がいつも同じように見える様に、あいも変わら
    ず進歩がなく、目に見えた成果があがらない。
    だが、木の葉も春には新緑に萌え、秋には紅葉する。
    半年過ぎ、一年過ぎて振り返って見ると、今の努力
    は少しは成果として見えてくるだろう。
    
    参考です。

    青山、元不動 白雲自ら去来す
 
    せいざん、もとふどう はくうんみずからきょらいす

    青々とした山は不動のものだが、時の流れとともに
    その姿を変え、しみじみとした味わいが増す。
    (白い雲がかかることによって、山のありようは変わる)

 注・・おなじ地に=以下「おなじ」を三つ重ねて、あいも
     変わらないという意を強め、倦怠感を出している。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。東大国
     文科卒。文学博士。「永日」。



ひさかたの 天道は遠し なほなほに 家に帰へりて
業を為まさに
            山上憶良 (万葉集・801)

(ひさかたの あまじはとおし なおなおに いえに
 かえりて なりをしまさに)

意味・・俗を脱して仙人になって天に昇ろうと志した
    ところで、天への道はとても遠くて行き尽せ  
    るものではない、家に帰って日常の業務にい
    そしみなさい。

    詞書によると、憶良が地方官として筑前の国
    に赴任していた時、身辺に一人の奇人がおり、
    脱俗の仙人気取りで、口では高尚に議論をも
    てあそびながら、現実では老父母や妻子の生
    活を省みない、といった男に反省させる為に
    詠んだ歌です。
    長歌では、雲をつかむ様な観念の世界に遊ん
    でいるのはほどほどにして、妻子との日常茶
    飯の現実生活を大切にしなさい、日常の堅実
    な生活の方がむしろ人間にとっては大切なの
    だよ、と詠んでいます。

 注・・ひさかた=天・光・月などに掛かる枕詞。
    天道(あまじ)=天に行く道、理想の道。
    なほなほに=直直に。まっすぐに、すなおに。
    業(なり)=職業、多くは農業をさす。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
     遣唐使として渡唐。従五位下・筑前守。


清水の 塔のもとこそ 悲しけれ 昔の如く
京の見ゆれば
           与謝野寛 (新万葉集・巻九)

(きよみずの とうのもとこそ かなしけれ むかしの
 ごとく きょうのみゆれば)

詞書・・明治43年の頃。

意味・・東山のふもとに建つ清水寺の三重の塔のもとに
    立っていると、悲しくせつない思いが、強く胸に
    こみあげて来る事だ。全く昔と変わらない自然の
    たたずまいと、それを背景とした京の街々が一望
    のもとに見渡されるので。

    清水寺の三重の塔のもとでたたずみ、昔と変わら
    ない京の姿を見ていると昔が偲ばれる。
    昔は、何事も真面目一筋に、自分をあざむかず、
    ごまかさずに生きてきた。そしてその結果、名声
    を得る事が出来たのだが。
    今と昔はどこが違っているのだろうか。今は満足
    出来なく寂しく悲しいものだ。

    明治43年は寛の37才の時の作です。この頃は妻の
    晶子の人気が高まり、その反面、寛は極度の不振
    に陥り、全く注目されない存在になっていた。
    この時の気持ちを詠んでいます。

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号は鉄幹。
     妻の与謝野晶子とともに浪漫主義文学運動の中
     心になる。「明星」を発刊。詩歌集「東西南北」。


    


今はよに もとの心の 友もなし 老いて古枝の
秋萩の花
           頓阿法師 (頓阿法師集・128)

(いまはよに もとのこころの とももなし おいて
 ふるえの あきはぎのはな)

意味・・今はもう昔のままの心の友は一人もいない。
    老いて年を経た古枝には、秋萩の花が今年
    もまた美しく咲いているのに。

    懐旧述懐歌です。

 注・・よに=世に。(下に打ち消しの語を伴って)
     けっして、全然。
    古枝=古い枝、「経る」を掛ける。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。俗
     名は二階堂貞宗。当時の和歌四天王。


(8月26日)

一つ家に 音をひそめて いる妻よ かかるあはれも
十年ふりしか
                土田耕平 (一塊)

(ひとつやに おとをひそめて いるつまよ かかる
 あわれも ととしふりしか)

意味・・同じ家にいて、いつもひっそりと音をたてない
    ように生活をしている妻よ、妻のこの心づかい
    はなんといたわしいことだろう。思えばそれも
    10年もの長い年月になっている。

    昭和15年の晩年に詠まれた歌です。
    何故「音をひそめて」いなければならないのか
    の理由は説明されていない。しかし耕平の晩年
    は結核と強度の不眠症の闘病生活を送っていた
    ので、この時分の気持ちを詠んだものです。
    自分のために立ち振る舞うのではなく、病人で
    ある主人の世話や家事にいそしんでいる妻の姿。
    長年苦労をさせ、楽しみを与える事が出来なか
    った妻への不憫さを詠んでいます。

 注・・音をひそめて=ひっそりとした生活をする。
    あはれ=しみじみと心をうつさま、ふびんだ。
    ふりしか=旧りしか。年月がたっている。

作者・・土田耕平=つちだこうへい。1895~1940(昭和
     15年)。長野県の小学校教師。結核を長年患う

ひとのいふ 富は思はず 世の中に いとかくばかり 
やつれずもがな
             木下幸文 (亮々遺稿)

(ひとのいう とみはおもわず よのなかに いと
 かくばかり やつれずもがな)

意味・・世間の人が問題にしている富の事は私は考えて
    いない。しかし、この世に生きていくうえには
    こんなにみすぼらしい生活ではなく世間並みに
    暮らしたいものだ。

    歌人としての喜びを生き甲斐にしているので、
    富については問題にしていない。
    もっとも人並に富は得られないのだが。

 注・・やつれ=やつれる、みすぼらしくなる。

作者・・木下幸文=きのしたたかぶみ。1779~1821。
     香川景樹に師事。「亮々遺稿・さやさやいこう」


ふるさとの蟹の鋏の赤いこと        山頭火
    

(ふるさとの かにのはさみの あかいこと)

意味・・流浪の旅から戻り、故郷に入って先ず目につい
    た蟹だか、この蟹の鋏の何と赤いことだろう。
    何と美しいことだろうか。一味違って見えてくる。

    心情のこだわりから故郷を出たものの、久し振
    りに帰って来た故郷はやはり懐かしい。温かく
    感じられる。小川で遊んで取っていた蟹もやさ
    しい目で迎えてくれた。故郷はいいものだ。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~1940。
     母と弟の自殺、家業の酒造業の失敗などの
     不幸が重なり出家。禅僧として行乞流転の
     旅を送る。荻原井泉水の「層雲」に出句活躍。

出典・・金子兜太「放浪行乞・山頭火120句」。

面影を 忘れむと思ふ 心こそ 別れしよりも
悲しかりけり
           藤原実 (続拾遺和歌集)

(おもかげを わすれんとおもう こころこそ わかれし
 よりも かなしかりけり)

意味・・辛い事なので、もう思い出すまい忘れようと思う
    心、その方の心が忘れないでいるよりはかえって
    物思いの種である。

    俤(おもかげ)の忘れる事の出来ない別れ、それ
    を思い出す事の辛さより、それを忘れようとす
    る辛さを詠んだ歌です。

    別れ・・恋人との別れ、子供との死別、・・・。

作者・・藤原実=ふじわらのみのる。伝未詳。


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