名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年08月


今はよに もとの心の 友もなし 老いて古枝の
秋萩の花
           頓阿法師 (頓阿法師集・128)

(いまはよに もとのこころの とももなし おいて
 ふるえの あきはぎのはな)

意味・・今はもう昔のままの心の友は一人もいない。
    老いて年を経た古枝には、秋萩の花が今年
    もまた美しく咲いているのに。

    懐旧述懐歌です。

 注・・よに=世に。(下に打ち消しの語を伴って)
     けっして、全然。
    古枝=古い枝、「経る」を掛ける。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。俗
     名は二階堂貞宗。当時の和歌四天王。


(8月26日)

一つ家に 音をひそめて いる妻よ かかるあはれも
十年ふりしか
                土田耕平 (一塊)

(ひとつやに おとをひそめて いるつまよ かかる
 あわれも ととしふりしか)

意味・・同じ家にいて、いつもひっそりと音をたてない
    ように生活をしている妻よ、妻のこの心づかい
    はなんといたわしいことだろう。思えばそれも
    10年もの長い年月になっている。

    昭和15年の晩年に詠まれた歌です。
    何故「音をひそめて」いなければならないのか
    の理由は説明されていない。しかし耕平の晩年
    は結核と強度の不眠症の闘病生活を送っていた
    ので、この時分の気持ちを詠んだものです。
    自分のために立ち振る舞うのではなく、病人で
    ある主人の世話や家事にいそしんでいる妻の姿。
    長年苦労をさせ、楽しみを与える事が出来なか
    った妻への不憫さを詠んでいます。

 注・・音をひそめて=ひっそりとした生活をする。
    あはれ=しみじみと心をうつさま、ふびんだ。
    ふりしか=旧りしか。年月がたっている。

作者・・土田耕平=つちだこうへい。1895~1940(昭和
     15年)。長野県の小学校教師。結核を長年患う

ひとのいふ 富は思はず 世の中に いとかくばかり 
やつれずもがな
             木下幸文 (亮々遺稿)

(ひとのいう とみはおもわず よのなかに いと
 かくばかり やつれずもがな)

意味・・世間の人が問題にしている富の事は私は考えて
    いない。しかし、この世に生きていくうえには
    こんなにみすぼらしい生活ではなく世間並みに
    暮らしたいものだ。

    歌人としての喜びを生き甲斐にしているので、
    富については問題にしていない。
    もっとも人並に富は得られないのだが。

 注・・やつれ=やつれる、みすぼらしくなる。

作者・・木下幸文=きのしたたかぶみ。1779~1821。
     香川景樹に師事。「亮々遺稿・さやさやいこう」


ふるさとの蟹の鋏の赤いこと        山頭火
    

(ふるさとの かにのはさみの あかいこと)

意味・・流浪の旅から戻り、故郷に入って先ず目につい
    た蟹だか、この蟹の鋏の何と赤いことだろう。
    何と美しいことだろうか。一味違って見えてくる。

    心情のこだわりから故郷を出たものの、久し振
    りに帰って来た故郷はやはり懐かしい。温かく
    感じられる。小川で遊んで取っていた蟹もやさ
    しい目で迎えてくれた。故郷はいいものだ。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~1940。
     母と弟の自殺、家業の酒造業の失敗などの
     不幸が重なり出家。禅僧として行乞流転の
     旅を送る。荻原井泉水の「層雲」に出句活躍。

出典・・金子兜太「放浪行乞・山頭火120句」。

面影を 忘れむと思ふ 心こそ 別れしよりも
悲しかりけり
           藤原実 (続拾遺和歌集)

(おもかげを わすれんとおもう こころこそ わかれし
 よりも かなしかりけり)

意味・・辛い事なので、もう思い出すまい忘れようと思う
    心、その方の心が忘れないでいるよりはかえって
    物思いの種である。

    俤(おもかげ)の忘れる事の出来ない別れ、それ
    を思い出す事の辛さより、それを忘れようとす
    る辛さを詠んだ歌です。

    別れ・・恋人との別れ、子供との死別、・・・。

作者・・藤原実=ふじわらのみのる。伝未詳。


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