名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年08月

魚ひとつ 油に揚げて 吾はをり とこしへに一人
住む如くして
           河野愛子 (草の翳(かげ)りに)

(うおひとつ あぶらにあげて われはおり とこしえに
 ひとり すむごとくして)

意味・・魚を一匹、油に揚げて自分はここにいる。永久に
    このまま一人だけで住んでいくかのように、いま
    こうして食事を用意している。

    昭和30年、結核療養中の時に詠んだ歌です。長引
    く療養生活に不安を感じながら、早く病気のめど
    がつき、自由の身になりたい気持ちを詠んでいま
    す。

作者・・河野愛子=こうのあいこ。1922~1989。広島女学
     院卒。「アララギ」に入会。「草の翳りに」。


あまおとめ 刈りほす磯の 荒布にも いくたりつなぐ 
いのちなるらむ
                  野村望東尼 

(あまおとめ かりほすいその あらめにも いくたり
 つなぐ いのちなるらん)

意味・・漁民の少女たちが磯から刈り取ってきて乾している
    あの荒布のようなものによって、何人が辛うじて生
    活を立てていることだろう。

    若い女たちが採って来て乾す姿はけっして醜いもの
    ではないが、貧しい人々の生活の哀れさを感じさせ
    られます。

 注・・あま=海人。漁師。
    荒布(あらめ)=昆布科の海藻。黒茶色で食用の他、
    肥料、ヨードの原料。

作者・・野村望東尼=のむらもとに。1808~1867。黒田藩士
     の家に生まれ、同藩士の妻となる。

出典・・「向陵集」。


うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 
玉藻刈り食む
                 麻続王 

(うつせみの いのちをおしみ なみにぬれ いらごの
 しまの たまもかりはむ)

意味・・本当に私は命が惜しくて、波に濡れながら伊良湖
    の島で藻を刈って食べている、あさましい事だ。

    伊良湖の島に流された時に詠んだ歌です。

 注・・うつせみの=「命」に掛かる枕詞。
    伊良虞=愛知県渥美半島伊良湖岬。伊勢の海に
     浮かぶ島の一つとみたもの。
    玉藻=藻の美称、「たま」は接頭語。

作者・・麻続王=おみのおおきみ。伝未詳。壬申の乱
     (672年)頃の人。

出典・・万葉集・24。


ちりぬるを ちりぬるをとぞ つぶやけば 過ぎにしかげの
顕ち揺ぐなり
                    斉藤史 

(ちりぬるを ちりぬるをとぞ つぶやけば すぎにし
 かげの たちゆらぐなり)

意味・・「散りぬるを、散りぬるを」と、いろは歌を何度も
    つぶやいていると、昔からの亡くなった人々の面影
    が悲哀を伴って浮かばれてくる。

    史の父親は昭和11年の2・26事件に関係した陸軍軍
    人である。この事件に関係した人々は死刑となった
    が史との面識のある人々であった。
    その後、太平洋戦争の多くの犠牲者を見つめ、また、
    史自身も東京で空襲を受けた。広島・長崎の原爆で
    は多くの死者の悲しみを知るこことなった。
    史も80歳、90歳となると多くいた肉親も友人もほと
    んど亡くなっていなくなってしまった。
    昔からの亡くなった人々の面影を思うと、諸行無常
    の悲しみが込み上げてくる。
    この歌は太平洋戦争の犠牲者を含め、作者が生きた
    時代の死者全てに捧げる鎮魂歌でもあります。

    なお、「いろは歌」は下記を参考にしてください。

 注・・過ぎにしかげ=亡くなった人々の面影。
    顕ち揺らぐ=表に表れゆらゆらする。思い浮かばれ
     る。
    諸行無常=全ての現象は常に変わり、不変のものは
     無いという事。

作者・・斉藤史=さいとうふみ。1909~2002。93歳。歌人・
     斉藤瀏(りゆう)の長女。父は陸軍軍人で2・26事
     件の関係者。

出典・・昭和万葉集。

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「いろは歌」・「諸行無常」についての参考です。

   色は匂へど 散りぬるを   
   我が世誰そ 常ならむ     
   有為の奥山 今日越えて   
   浅き夢見じ 酔ひもせず    

(意味)
   花は咲いても散ってしまうように
   世の中にずっと同じ姿で存在し続けるもの
   なんてありえない
   人生という苦しい山道を今日もまた1つ越えたが
   はかない夢を見て酔うたりはしたくないものだ

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「諸行無常」とは
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色は匂えど散りぬるを(諸行無常)

桜の花は咲き乱れても、
一瞬の春の嵐に散り果てて行く。
それは花ばかりではない。
古代に栄華を誇った文明も
いつかは廃墟になっていく。
人間もそうである。

世の中の娘は嫁と花咲きて嬶(かかあ)と
しぼんで婆婆(ばばあ)と散り行く
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わが世誰ぞ常ならむ(是生滅法)

この世に恒常的なものは一つもない
世の中にある全てのものは、生じると
滅亡してゆくものだ
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有為の奥山今日越えて(生起因縁)

この世にある全ての存在は因縁によって
生じたものである
原因があって結果が生じる、そして今の
姿になっている

「有為」は因縁があって生じること
「越える」は因縁の道理に目覚めること。
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浅き夢見し酔もせず(酔生夢死)

酒に酔ったような、また夢を見ているような
心地で、なすことなくぼんやりと一生を過ごさない

明日ありと 思う心に ひかされて 今日も空しく
過ごしぬるかな



いなと言へど 語れ語れと 宣らせこそ 志斐いは申せ
強ひ語りと言ふ
                   志斐嫗 

(いなといえど かたれかたれと のらせこそ しいいは
 もうせ しいかたりという)

意味・・もう疲れたから止めましょうと申し上げたのは、
    いつも私の方でした。もっと聞かせて聞かせてと
    強いたのはお嬢様の方ではなかったですか。そこ
    で、やむなくお話を続けることになったのです。
    それを志斐の婆の無理強い語りなどとおっしゃい
    ます。

    持統天皇が次の歌を詠んだのに対して応えた歌で
    す。
   「いなと言へど強ふる志斐のが 強ひ語りこのころ
    聞かずて我れ恋ひにけり」  (意味は下記参照)

 注・・宣(の)らせ=おっしゃる。
    志斐=語り部の職業を持っていて、持統天皇の
     少女時代のお守り役の年長の女性。当時はまだ
     文字の普及が不十分なため、語り部が昔の出来
     事を記憶していて話を語り伝えていた。
    志斐い=「い」は強調の語。
    強ひ=「志斐」を掛ける。

作者・・志斐嫗=しいのおうな。持統天皇の教育係りの
    年長の語り部。

出典・・万葉集・237。

参考歌です。

いなと言えど 強ふる志斐のが 強ひ語り このころ聞か
ずて 我れ恋ひにけり      
                    持統天皇 

(いなといえど しうるしいのが しいかたり このころ
 きかずて われこいにけり)

意味・・「もうたくさん」というのに聞かそうとする、
    志斐婆さんの無理強い語りも、ここしばらく
    聞かないでいると、私は恋しく思われる。

    側近の老婆をからかった歌です。

 注・・志斐の=側近の老婆の名前。「の」は親愛を
        表わす。
    強ひ=志斐を掛ける。

出典・・万葉集・236。



萌えいづるも 枯るるもおなじ 野辺の草 いづれか秋に
あはではつべき
                    祇王 

(もえいずるも かるるもおなじ のべのくさ いずれか
 あきに あわではつべき)

意味・・春になって萌え出る若葉も、霜に打たれて枯れる
    枯れ草も、もとはといえば同じ野辺の草。一時、
    栄華の差はあるが、いずれ凋落の秋に会わぬわけ
    にはいかないでしょう。 

    スポットライトを浴びるあなたも、捨てられる私
    も、もとは同じ野辺の草ですよ。あなただってい
    つかは飽きられて捨てられてしまいますよ。

    千変万化の無常の世界を詠んでいます。幸せに暮
    らしていても、いつどん底に陥るかも知れない。
    いつそのような試練が来ても耐えられるように心
    の準備をしていて欲しいと祇王はあなた(仏御前)
    に訴えた歌です。   
    (平家物語・祇王のあらすじは下記参照)
      
 注・・枯るる=「離るる」を掛ける。
    秋=「飽き」を掛ける。
    あはで=「会はで」と「泡で」を掛ける。
    
作者・・祇王=平家物語「祇王」に出て来る主人公で21歳の
    白拍子。

出典・・平家物語。

平家物語・祇王のあらすじ。

昔、太政大臣平清盛公、出家してからは浄海と申し上げるお方
がいらっしゃいました。天下の権力を一手に握り、傍若無人に
振る舞っておいででした。そのころ都に祇王(ぎおう)・祇女(ぎ
にょ)という有名な白拍子(しらびょうし)の姉妹がおりました。
(白拍子というのは、今様という流行歌を歌ったり舞を舞ったり
する女の芸能者のことです。)清盛公は、祇王をことのほかお気
に召していらっしゃいました。そのおかげで、妹の祇女や母の
刀自(とじ)も丁重に扱われ、立派なお屋敷を建てていただき、
毎月たくさんのお扶持を賜って、何不自由なく豊かに暮らして
おりました。都の白拍子たちはみな、祇王を羨らやんだり妬た
んだりしていました。
ところがそうして三年ほどたった頃、仏御前(ほとけごぜん)と
いう十六歳の白拍子が都にやってきて、古今まれなる舞の名人
と大評判になりました。仏御前は、「同じことなら天下の清盛
公の御前で……」と思い、西八条にある清盛公のお屋敷へ自ら
参上しました。祇王に夢中の清盛公は、「召してもおらぬに、
突然参るとは無礼な」と怒り、追い帰そうとなさいました。
しかし、まだ幼い仏御前に同情したのでしょうか、祇王が「せ
めてお会いになるだけでも」と取りなしましたので、清盛公も
折れて、仏御前をお召しになりました。
仏御前は、清盛公のご命令で今様を歌い、舞も披露しました。
姿形が美しい上に、声がきれいで歌は上手、もちろん舞も引け
を取るものではありません。その舞いぶりに感心した清盛公は、
仏御前をすっかり気に入って、屋敷に留め置こうとなさいました。
仏御前にとって、祇王は恩のある人。その祇王に遠慮して退出
することを願いましたが、清盛公はお許しにならず、それどこ
ろか「祇王を追い出せ」とのご命令です。
催促のお使いが何度も参りましたので、祇王はやむなく出て行
くことにしました。さすがに三年も住んだ所ゆえ、名残惜しさ
もひとしおです。襖にこのような歌を書き残してから、車に乗
り込みました。

萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に逢はで果つべき

(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局
 みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。人も
 また、誰しもいつかは恋人に飽きられてしまうのでしょう)

実家に戻った祇王は、母や妹の問いかけにも泣き伏すばかりです。
やがて毎月のお扶持も止められて生活は苦しくなり、代わって
仏御前の縁者が富み栄えるようになりました。祇王が清盛公に
追い出されたと聞きつけて、手紙や使者を遣わす男たちもおり
ましたが、祇王は今さら相手にする気にもなれず、ただ涙にく
れる日々でした。・・・。






静かなる 夏のあしたの 雨聴けば せめては吾子の 
骨清くあれ
              浅山富雄 (昭和万葉集)

(しずかなる なつのあしたの あめきけば せめては
 あこの ほねきよくあれ)

意味・・夏の朝、静かに雨が降っている。この雨音を
    聴くと、せめて、亡くなった我が子の骨を、
    雨で洗い清めて欲しいと祈りたい。

    毎年やって来る夏、その八月六日の雨だった
    日に詠んだ歌です。
    作者の子供は原爆で命を断たれただけでなく
    肉体のことごとくが焼き去られ、我が子の見
    分けがつかなくなった姿となっていた。
    雨よ、せめて我が子の骨と分るように、洗っ
    て清めてほしい、と祈った歌です。

作者・・浅山富雄=あさやまとみお。伝未詳。



嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 
わが涙かな
                 西行法師 
        
(なげけとて つきやわものを おもわする かこち
 がおなる わがなみだかな)

意味・・嘆けといって月が私に物思いをさせるわけで
    ないのに。さも月のせいにするかのように流
    れる涙だなあ。

    物思いは、かなわぬ恋の嘆き悲しみです。

 注・・やは=反語の意を表す。・・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    かこち顔=他のせいにするような顔つき。

作者・・西行法師=さいぎょうほうし。1118~1190。
     
出典・・千載和歌集・929、百人一首・86。



春は萌え 夏は緑に 紅の まだらに見ゆる
秋の山かも
             詠み人しらず 

(はるはもえ なつはみどりに くれないの まだらに
 みゆる あきのやまかも)

意味・・春は木々がいっせいに芽吹き、夏は一面の新緑
    だったが、今は紅が濃淡さまざまな模様を描き
    だしている。素晴らしい秋山だ。

    季節による山の色を述べて、秋山を賞賛した歌。

 注・・かも=詠嘆を表す。・・だなあ。

出典・・万葉集・2177。

    

貧しさに 妻のこころの おのづから 険しくなるを 
見て居るこころ
                若山牧水 

(まずしさに つまのこころの おのずから けわしく
 なるを みているこころ)

意味・・この頃の暮らしのあまりの貧しさに、妻の心が
    とげとげしくなってゆくのを、ただ黙ってじっ
    と見ている、この何と苦しい私の気持ちである
    ことか。

    献身的な妻とはいえ、生活が窮乏をきわめ、そ
    れが長く続けば、愚痴の一つや二つはつい出て
    しまう。返す言葉もない牧水は、自分の苦しい
    心をみつめることしか出来ない。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

出典・・歌集「砂丘」。


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