名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年09月

秋近う 野はなりにけり 白露の 置ける草葉も
色変わりゆく
         紀友則 (古今和歌集・440)

(あきちこう のはなりにけり しらつゆの おける
 くさばも いろかわりゆく)

詞書・・きちかうの花(桔梗の花)。

意味・・野原はすでに秋が近づいて来た。白露が置か
    れた草葉もだんだん枯れて色づく頃である。

    秋近うは「あきちかう」で「きちかう・桔梗」
    を詠んだ物名入りの歌です。
    桔梗は秋の七草であり、野原には桔梗の花も
    咲いていたと思われます。

 注・・きちかう=「ききやう」と同じ。桔梗。秋の
     七草の一つ。

作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。紀貫之
     の従兄。古今和歌集の撰者。


萩の露 玉にぬかむと とれば消ぬ よし見む人は
枝ながら見よ
                 よみ人しらず 

(はぎのつゆ たまにぬかんと とればけぬ よし
 みんひとは えだながらみよ)

意味・・萩の葉の露を玉のように糸に貫こうとして、
    枝を手に取れば露はたちどころに消えてし
    まう。仕方が無い、観賞したい人は枝にそ
    の露をつけたまま見ることだ。

    萩の露があまりにもきれいなので、露の玉
    に糸を通そうと、指でつまむと消えてなく
    なってしまった。
    美は微妙なこわれやすい緊張の状態にあり、
    美にはそうしたこわれやすさ、はかなさが
    あると言っています。

    参考句です。

   「愚を以って身の芯となす玉の露」
       (意味は下記参照)      

注・・ 玉にぬかむと=露の玉に糸を通そうと。
    よし=縦し。しかたがない、ままよ。
   
作者・・よみ人しらず=作者は平城天皇とか大伴
     家持などの異説があります。

参考句です。

愚を以て身の芯となす玉の露
 
                村上護

(ぐをもって みのしんとなす たまのつゆ)

意味・・草花につけた露は滑り落ちて、はかない命で
    ある。不安定な所に身を置く露の私は愚かに
    見えるであろう。がしかし、愚かであっても
    これが私の信念なのです。草花に身を置くか
    らこそ玉の露として美しいのです。

    露ははかない事、消えやすい事に譬えられ、
    また、珠や玉として美しいものに譬えられる。
    愚は愚かな事、くだらない事の意だが、謙遜
    して言う場合もある。「荘子」の言葉に「愚
    かなるが故に道なり」と持ち上げている。
    愚には人間の賢(さか)しらな知識や損得勘定
    が働いていない。それで本当の道に合すると
    いうものです。露も愚であるからこそ美しい
    と、作者は言っています。    

作者・・村上護=むらかみまもる。1941~。愛媛大学
    卒。文芸評論家、俳人。

出典・・古今和歌集・222。

誰見ても 親はらからの ここちすれ 地震をさまりて
朝に至れば
               与謝野晶子 (瑠璃光)

(だれみても おやはらからの ここちすれ ない
 おさまりて あさにいたれば)

意味・・余震に怯えながら、何とも言えない心細さで
    次の朝を迎えると、今まで他人同士であった
    人達が親兄弟のように思えて来る。

    共通の恐怖心の結びつきが親子のような連帯
    意識になっている事を詠んでいます。

 注・・地震(ない)=大正12年9月1日の関東大地震。
     震災で火災が発生して44万戸が消失、10万
     人が亡くなった。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
     堺女学校卒。与謝野鉄幹と結婚。「明星」
     の花形となる。「みだれ髪」「舞姫」。


むばたまの わが黒髪は 白川の みつはくむまで
なりにけるかな
                檜垣の嫗 

(むばたまの わがくろかみは しらかわの みつは
 くむまで なりにけるかな)

意味・・私の黒髪も白くなり、歯もぬけた老人になっ
    てしまいました。使用人もいなくなり白川で
    自ら水を汲むような落ちぶれた身分になった
    ものです。
    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

    昔の檜垣御前の名声に好奇心をもった小野好
    古(よしふる)が大宰府にやって来た時、消息
    を訪ねていたのに応えて詠んだ歌です。

    「大和物語」に檜垣御前の話がのっています。
    華やかな過去を有する女性が、年老いて後の
    自分の落ちぶれた姿を人目にさらすのを恥じ
    貴人の招きに応じなかったという逸話です。
    (あらすじは下記参照)      
       
 注・・むばたまの=ぬばたまの、と同じ。黒・髪な
     どにかかる枕詞。
    白川=熊本県の有明海に注ぐ川。「髪が白い」
     を掛ける。
    みつはくむ=三つ歯組む。歯が多く欠落した
     老人の顔相。「水は汲む」を掛ける。    

作者・・檜垣の嫗=ひがきのおうな。生没年未詳。筑紫
     (福岡県・九州の総称)に住んでいながら色好
     みの美人として都の人にも知られていた女性。

出典・・後撰和歌集・1219。

大和物語・126段のあらすじです。

    純友(すみとも)の乱の時、伊予で朝廷に反乱
    を起し、また博多を襲った藤原純友の一党を
    征伐をする為に小野好古が追捕使として筑紫
    に赴きます。
    一方、檜垣御前は純友の博多襲撃の余波を受
    けて家を焼かれ、家財道具も失い、零落した
    姿であばら家に住んでいます。
    才気に富んだ風流な遊君であったとの檜垣御
    前の名声に好奇心を動かしていた小野好古が
    大宰府の巷間を探し求めたが消息が知れない。
    ある時、白川の畔(ほとり)で水を汲んでいる
    老女を、土地の人からあれが檜垣御前だと教
    えられ、好古の館へ招いてみたのだが、女は
    自分の老残の姿を恥じて参上せず。ただ、歌
    を詠んで届けてよこした。

    「むばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで
    なりにけるかな」

 注・・純友の乱=藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜ
     られていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率
     いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁
     となり略奪・放火を行い、淡路・讃岐の国府、
     大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らに
     よって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。
    

かにかくに 物は思はじ 朝露の 我が身一つは
君がまにまに            
         よみ人しらず(万葉集・2691)

(かにかくに ものはおもわじ あさつゆの わがみ
 ひとつは きみがまにまに)

意味・・ああだこうだと、もう物思いはしますまい。
    朝露のように、はかない私の命は、あなた
    まかせでございます。

    あれやこれやと思い悩む事を止めて、結論を
    あなたにまかせる。朝露のようにはかない命
    になるかどうかはあなた次第です。

 注・・かにかくに=あれこれと、いろいろ。
    朝露の我が身一つ=朝露のようにはかない
     私の命。消え入りそうな私の身。元気が
     なく気が滅入りそうな私。ふさぎ込む身。

完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち
あがる 夜無きや
                大西民子 

(まったきは ひとつとてなき あらかんの わらわらと
 たちあがる よるなきや)

意味・・完全な姿を保つ阿羅漢像は一つもない。全て
    どこか欠けたり傷んだりしている。その傷み
    に耐えかねて、わらわらと起ちあがる夜はな
    いか。

    阿羅漢像は、永い歳月の中で、ある者は手が
    欠け、足が損なわれ、首のない者、耳の削(
    そ)げている者など、完全な形を保つ物は一つ
    としてない。こうした傷ましい阿羅漢たちが
    その傷みに耐えかねて、いっせいに起ちあが
    るような夜はないか。

    阿羅漢像のように、傷ついている作者自身の
    心を重ねあわせて詠んでいます。作者の人に
    言うに言われない苦渋を、誰かに知ってもら
    いたい気持ちを歌っています。

 注・・阿羅漢=仏教の修行者で悟りを完全に開いた
     者に与えられる称号。
    わらわら=ばらばらに。うわっと。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。
     奈良女子高等師範学校卒。木俣修に師事。

出典・・歌集「不文の掟」。
     

あだし野の 心も知らぬ 秋風に あはれかたよる
女郎花かな
                藤原基俊

(あだしのの こころもしらぬ あきかぜに あわれ
 かたよる おみなえしかな)

意味・・あだし野に咲く女郎花よ、吹きつのる秋風に
    傾くお前の様子は、男の心にはすでに飽き風
    が吹いているのだが、そうとも知らず、男の
    徒(あだ)情けにほだされてゆく女の姿のよう
    に哀れではないか。

 注・・あだし野=京都市右京区嵯峨、愛宕山の麓に
     あった墓地をいう。「あだし」はあてにな
     らないという意を掛ける。
    秋風=「飽き風」を掛ける。
    女郎花=女性を連想させやすいので、女性を
     この花にたとえる。

作者・・藤原基俊=ふじわらのもととし。1060~1142。
     藤原道長の曾孫。従五位上左衛門佐(さえも
     んのすけ)。藤原俊成の師。

出典・・松本章男「京都百人一首」。
 

また見むと 思ひし時の 秋だにも 今宵の月に
ねられやはする
                 道元 

(またみんと おもいしときの あきだにも こよい
 のつきに ねられやはする)

詞書・・建長五年中秋。

意味・・中秋の夜は、生憎の天候で月を見る事が出来
    なかった年でさえ、月を思って眠られなかっ
    たものである。まして八月十五夜の今夜、その
    満月を見る事が出来るので、今宵は月を眺め
    明かしたいと思う。月と心を合わせる事なく
    眠りにつく事が出来るであろうか、眠れるは
    ずがない。

    道元が亡くなる二週間前の八月十五夜の京都
    の草庵で詠んだ辞世の歌です。

    「寝なくとも今宵の月を眺め明かしたい」と
    言う気持ちは何か。

    今夜の月の光明はなんと清涼でよく世間の闇
    を照らしていることだ。
    病気や失業、借金で苦しみ、仕事の問題、家
    庭の問題、いじめなどで思い悩み苦しんでい
    る人達。相談相手もいなく、希望を無くし、
    今にも自殺をしたいと思っている人々。
    この真っ暗闇で悩んで生きている人々に希望
    の光として、今宵の月は照らしている。
    なんと素晴らしい月夜ではないか。今宵は月
    を眺め明かしたい。

    希望の光として照らされても、病気が治る事も
    無いし、借金が減ったりする事も無い。子供の
    非行問題が解決される訳でも無い。
    でも、誰かと相談する勇気を与える事は出来る。
    思い悩む心を変えさせて気を楽にさせる事は出
    来る。こういう手助けなら出来ない事はない。

    先ず暗闇を見つけ、そして照らす事だ。
    今宵の月は暗闇を無くそうとして照っている。
    寝ずして月夜を明かそう。

 注・・建長5年中秋=1253年8月15日(陰暦)。道元
     は建長5年8月28日(陰暦)に死去している。
    やは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。

作者・・道元=どうげん。1200~1253。曹洞宗の開祖。

出典・・建撕記・けんぜいき。


いざ歌へ 我立ち舞はむ ひさかたの 今宵の月に
寝ねらるべしや
             良寛 (良寛全歌集・1212)

(いざうたえ われたちまわん ひさかたの こよいの
 つきに いねらるべしや)

意味・・さあ、あなたは歌いなさい。私は立って舞おう。
    今夜の美しい月を見て、寝る事が出来ようか、
    いや出来はしない。

    「証城寺の狸囃子」が思い浮かびます。
                詩・・野口雨情
                曲・・中山晋平
     証 証 証城寺      
     証城寺の庭は
     つ つ 月夜だ
     みんな出て 来い来い来い
     おいらの友だちゃ
     ぽんぽんこぽんのぽん
     負けるな 負けるな
     和尚さんに 負けるな
     来い 来い 来い
     来い 来い 来い
     みんな出て 来い来い来い

 注・・ひさかたの=月・空・光などにかかる枕詞。
    べし=可能または推量する意を表す。・・できる。
     ・・できるはずだ。
    や=反語の意を表す。・・だろうか、いや・・
     ではない。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。18歳で曹洞宗 
     光照寺に入山、22歳で園通寺の国仙和尚に師
     事。     


ゆく雲に 雲の声なし ゆく水に 水のこえなし
秋きたるらし
                田波御白 

(ゆくくもに くものこえなし ゆくみずに みずの
 こえなし あききたるらし)

意味・・澄んだ空を行くひそかな雲と、音もなく流れ
    る水に、秋の気配が感じられる。

    入道雲のような躍動感のある夏雲に対して、
    薄っすらとした静かな雲。水やせした川音の
    乏しさ。これらは自然の力が弱まってゆく物
    の姿であり、その姿に寂しい秋、哀愁を感じ
    る秋と詠んでいます。、
    
作者・・田波御白=たなみみしろ。1885~1913。東大
     英文科で学ぶ。肺結核を患い28歳で死去。

出典・・御白遺稿。


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