名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年09月

完きは 一つとてなき 阿羅漢の わらわらと起ち
あがる 夜無きや
             大西民子 (不文の掟)

(まったきは ひとつとてなき あらかんの わらわらと
 たちあがる よるなきや)

意味・・完全な姿を保つ阿羅漢像は一つもない。全て
    どこか欠けたり傷んだりしている。その傷み
    に耐えかねて、わらわらと起ちあがる夜はな
    いか。

    阿羅漢像は、永い歳月の中で、ある者は手が
    欠け、足が損なわれ、首のない者、耳の削(
    そ)げている者など、完全な形を保つ物は一つ
    としてない。こうした傷ましい阿羅漢たちが
    その傷みに耐えかねて、いっせいに起ちあが
    るような夜はないか。

    阿羅漢像のように、傷ついている作者自身の
    心を重ねあわせて詠んでいます。作者の人に
    言うに言われない苦渋を、誰かに知ってもら
    いたい気持ちを歌っています。

 注・・阿羅漢=仏教の修行者で悟りを完全に開いた
     者に与えられる称号。
    わらわら=ばらばらに。うわっと。

作者・・大西民子=おおにしたみこ。1924~1994。
     奈良女子高等師範学校卒。木俣修に師事。
     「無数の耳」「不文の掟(おきて)」。
     

あだし野の 心も知らぬ 秋風に あはれかたよる
女郎花かな
                藤原基俊

(あだしのの こころもしらぬ あきかぜに あわれ
 かたよる おみなえしかな)

意味・・あだし野に咲く女郎花よ、吹きつのる秋風に
    傾くお前の様子は、男の心にはすでに飽き風
    が吹いているのだが、そうとも知らず、男の
    徒(あだ)情けにほだされてゆく女の姿のよう
    に哀れではないか。

 注・・あだし野=京都市右京区嵯峨、愛宕山の麓に
     あった墓地をいう。「あだし」はあてにな
     らないという意を掛ける。
    秋風=「飽き風」を掛ける。
    女郎花=女性を連想させやすいので、女性を
     この花にたとえる。

作者・・藤原基俊=ふじわらのもととし。1060~1142。
     藤原道長の曾孫。従五位上左衛門佐(さえも
     んのすけ)。藤原俊成の師。

出典・・松本章男「京都百人一首」。
 

また見むと 思ひし時の 秋だにも 今宵の月に
ねられやはする
           道元 (建撕記・けんぜいき)

(またみんと おもいしときの あきだにも こよい
 のつきに ねられやはする)

詞書・・建長五年中秋。

意味・・中秋の夜は、生憎の天候で月を見る事が出来
    なかった年でさえ、月を思って眠られなかっ
    たものである。まして八月十五夜の今夜、その
    満月を見る事が出来るので、今宵は月を眺め
    明かしたいと思う。月と心を合わせる事なく
    眠りにつく事が出来るであろうか、眠れるは
    ずがない。

    道元が亡くなる二週間前の八月十五夜の京都
    の草庵で詠んだ辞世の歌です。

    「寝なくとも今宵の月を眺め明かしたい」と
    言う気持ちは何か。

    今夜の月の光明はなんと清涼でよく世間の闇
    を照らしていることだ。
    病気や失業、借金で苦しみ、仕事の問題、家
    庭の問題、いじめなどで思い悩み苦しんでい
    る人達。相談相手もいなく、希望を無くし、
    今にも自殺をしたいと思っている人々。
    この真っ暗闇で悩んで生きている人々に希望
    の光として、今宵の月は照らしている。
    なんと素晴らしい月夜ではないか。今宵は月
    を眺め明かしたい。

    希望の光として照らされても、病気が治る事も
    無いし、借金が減ったりする事も無い。子供の
    非行問題が解決される訳でも無い。
    でも、誰かと相談する勇気を与える事は出来る。
    思い悩む心を変えさせて気を楽にさせる事は出
    来る。こういう手助けなら出来ない事はない。

    先ず暗闇を見つけ、そして照らす事だ。
    今宵の月は暗闇を無くそうとして照っている。
    寝ずして月夜を明かそう。

 注・・建長5年中秋=1253年8月15日(陰暦)。道元
     は建長5年8月28日(陰暦)に死去している。
    やは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。

作者・・道元=どうげん。1200~1253。曹洞宗の開祖。


いざ歌へ 我立ち舞はむ ひさかたの 今宵の月に
寝ねらるべしや
             良寛 (良寛全歌集・1212)

(いざうたえ われたちまわん ひさかたの こよいの
 つきに いねらるべしや)

意味・・さあ、あなたは歌いなさい。私は立って舞おう。
    今夜の美しい月を見て、寝る事が出来ようか、
    いや出来はしない。

    「証城寺の狸囃子」が思い浮かびます。
                詩・・野口雨情
                曲・・中山晋平
     証 証 証城寺      
     証城寺の庭は
     つ つ 月夜だ
     みんな出て 来い来い来い
     おいらの友だちゃ
     ぽんぽんこぽんのぽん
     負けるな 負けるな
     和尚さんに 負けるな
     来い 来い 来い
     来い 来い 来い
     みんな出て 来い来い来い

 注・・ひさかたの=月・空・光などにかかる枕詞。
    べし=可能または推量する意を表す。・・できる。
     ・・できるはずだ。
    や=反語の意を表す。・・だろうか、いや・・
     ではない。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。18歳で曹洞宗 
     光照寺に入山、22歳で園通寺の国仙和尚に師
     事。     


ゆく雲に 雲の声なし ゆく水に 水のこえなし
秋きたるらし
            田波御白 (御白遺稿)

(ゆくくもに くものこえなし ゆくみずに みずの
 こえなし あききたるらし)

意味・・澄んだ空を行くひそかな雲と、音もなく流れ
    る水に、秋の気配が感じられる。

    入道雲のような躍動感のある夏雲に対して、
    薄っすらとした静かな雲。水やせした川音の
    乏しさ。これらは自然の力が弱まってゆく物
    の姿であり、その姿に寂しい秋、哀愁を感じ
    る秋と詠んでいます。、
    
作者・・田波御白=たなみみしろ。1885~1913。東大
     英文科で学ぶ。肺結核を患い28歳で死去。


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