名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年10月

草も木も 靡きし秋の 霜消えて 空しき苔を
払ふ山風
             鴨長明 (吾妻鏡)

(くさもきも なびきしあきの しもきえて むなしき
 こけを はらうやまかぜ)

意味・・草木も靡くほどの権勢を持っていた源頼朝も、
    秋の霜のように消えてしまい、今では墓の苔
    に、むなしく風が吹きぬけてゆく。

    鴨長明が法華堂に詣でた時に、源頼朝を偲ぶ
    一首を、堂の柱に書き記した歌です。

    源頼朝を悼(いた)むと同時に、人の世・人の
    命の無常感を込めた歌です。

 注・・草も木も靡く=「威風あたりを払う」の意。
    秋の霜=「秋霜烈日」をいい、権威の厳しさ
     おごそかさをいう。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1155-1216。
     「方丈記」。

参考です。(鴨長明の方丈記の一節)

    ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水
    にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消
    えかつ結びて、久しくとどまりたるためしな
    し。世の中にある人と栖(すみか)と、またか
    くのごとし。

誰もみな 春は群れつつ 遊べども 心の花を
見る人ぞなき
            夢窓国師 (正覚国師和歌集)

(だれもみな はるはむれつつ あそべども こころの
 はなを みるひとぞなき)

意味・・春は、大勢の人達が花の下に集まって遊んで
    いるけれど、桜を見ても、人の心の中の美し
    さを見る人はいないものだ。

    嫌な人と思っていても、その人の心にも美し
    い花を咲かしているものだ。
    人の心に咲く花を見ようとしない、人の良い
    所をみようとしない。もし、その人の美しい
    花を見る事ができたなら、嫌な人も変わった
    存在になるだろう。

作者・・夢窓国師=むそうこくし。1275~1351。鎌倉
     時代から室町時代にかけての臨済宗の禅僧。

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき
ひとりかも寝む
             藤原良経 
          (新古今集・518、百人一首・91)

(きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころも
 かたしき ひとりかもねん)

意味・・こおろぎの鳴く霜の降りた寒い夜、むしろの
    上に自分の衣だけを敷いて、私は一人寂しく
    寝るのであろうか。

    この歌を詠む直前、妻に先立たれたという。

 注・・きりぎりす=現在のこおろぎ。
    さむしろ=「さ」は接頭語。「むしろ」は藁
     や菅などで編んだ粗末な敷物。
    衣かたしき=衣片敷。昔、共寝の場合は、互
     いの衣の袖を敷き交わして寝た。「衣かた
     しき」は自分の衣の片袖を下に敷くことで
     一人寝のこと。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1169~1206。
     従一位摂政太政大臣。「新古今集仮名序」
     執筆。


四十年 ともにすごしし ことごとも 夢みる如く
ここに終りぬ
            林圭子 (ひくきみどり)

(よんじゅうねん ともにすごしし ことごとも ゆめ
 みるごとく ここにおわりぬ)

詞書・・誕生日。

意味・・かえりみて四十年ともに生活した思い出は、
    夢を見るようにあっけなく過ぎ去って行く。
    彼の誕生日の今日、ともに過ごした事を思
    い出した寂しい日はここに終わった。

    夫が亡くなった翌年の彼の誕生日に、思い
    出を詠んだ歌です。

作者・・林圭子=はやしけいこ。1896~1989。窪田
     空穂の妻。跡見女学校卒。歌集「ひくき
     みどり」。

世の中が 急に自分の まはりから 離れたやうに
思はれるとき
             西村陽吉 (晴れた日)

(よのなかが きゅうにじぶんの まわりから はなれた
 ように おもわれるとき)

意味・・自分の方から、世の中を逃避して来たわけでは
    ないのに、突然自分の周囲から、社会の方が遠
    ざかっていってしまったように思われる。この
    孤独な寂しさよ。

    谷村志穂「3センチメートルの靴」の一節を参考
    にして下さい。(下記参照)

作者・・西村陽吉=にしむらようきち。1892~1959。錦
     華小学校卒。東雲堂書店を経営。

参考です。

谷村 志穂 「3センチヒールの靴」の一節。

三十代になって気付いたのは、どんな喜びにも共有できる
相手がいないと寂しいということだった。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

成長するにしたがって、人はそれぞれの道を歩んでいくよう
になる。

進学にしろ、就職にしろ、結婚にしろ、自分の描いた未来図
へ向かって一歩一歩進んでいく。

それは、心理的にも行動的にも“みんなと一緒”とか、“群れ
ていればいい”という状況から抜け出して、それぞれに独立
していくということでもある。

そして、そうなればなるほど、自分の価値観や趣味を共有する
人を自分で見付けなくてはならなくなる。

それがうまくできないと、社会のなかで孤立したり、漠然と
した孤独感にさいなまれるようになったりする。

かつては、向こうから友達や“仲間”がやって来たのに、自立
すればするほど、こちらから行動を起こさないと“世界”を共有
できる相手がなかなか見つからない。

そうなると、心の中を隙間風が吹き抜けていったりもする。

そんな時自分を癒やしてくれるのは、寂しさであれ喜びであれ、
それを共有できる相手で、そういう相手がいれば、一人暮らしの
生活でも心をなごませられるのだ。

遊びせむとや 生まれけむ 戯れせむとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声きけば  我が身さへこそ ゆるがるれ

             作者不詳 (梁塵秘抄・359)

(あそびせんとや うまれけん たわむれせんとや うまれけん
 あそぶこどもの こえきけば わがみさえこそ ゆるがるれ)

意味・・私は、遊びをしようとして生まれて来たのか。
    戯れをしょうとして生まれて来たのか。
    無心に遊ぶ子供の声を聞いていると、この汚れ
    きった身体でさえ揺さぶられてしまう。

    遊女が落ちぶれた身に後悔して謡った歌です。
    
    遊びとは音楽、戯れとは舞踏のこと。かって
    舞姫は芸を見せては身を売る遊女と同意義で
    あった。

    貧しい農民の子なのだろうか、身を売るしか
    生活のすべのない女が、流浪の果てに道端の
    石に腰を降ろして過去を振り返ります。
    私はこんな生活のために生まれて来たのか。
    遊び女、戯れ女とさげすまれ、もう心も身体
    もぼろぼろになってしまった。
    目の前では子供らが、なにも憂いのない溌剌
    とした声をあげて遊んでいる。
    私もこんな時があったのか、この汚れた身の
    底から激しく揺さぶられる。
    ああ、あの無邪気な子供の子を聞いていると
    悲痛な思いになってゆく。

 注・・梁塵秘抄=平安時代の末期に編まれた歌謡集。
     1180年頃、後白河法皇によって編まれる。 
    
    

真帆ひきて よせ来る舟に 月照れり 楽しくぞあらむ
その舟人は
         田安宗武 (天降言・あまふりごと)

(まほひきて よせくるふねに つきてれり たのしく
 ぞあらん そのふなびとは)

意味・・帆をいっぱいに広げてこちらに近づいて来る
    舟に、月が美しく照っている。楽しいことで
    あろう。その舟に乗る人らは。

    広重の浮世絵のイメージです。

 注・・真帆=帆をいっぱいに広げること。

作者・・田安宗武=たやすむねたけ。1715~1771。
     徳川氏。別称は悠然院(ゆうぜんいん)。
     八代将軍吉宗の二男。松平定信の父。
     家集「天降言」。


走り来る 若者たちの 荒き息 迫ればわれは
道あけて待つ
            松井如流 (覇王樹)

(はしりくる わかものたちの あらきいき せまれば
 われは みちあけてまつ)

意味・・早朝の散歩の折、マラソンの練習の青年達が
    一団となって走って来るのに出会う。彼らの
    激しい息づかいが迫るように近づいて来るの
    で、道端に身を寄せて、通りすぎるのを待っ
    ている。

    公園での朝の散歩を楽しんでいる作者とマラ
    ソンの練習に励んでいる若者達との出会いを
    詠んでいます。
    若者達の激しい息づかいに、力を出し切って
    練習する若者達の青春の姿を見て、羨やまし
    さを感じ、また賛美を送った歌です。

作者・・松井如流=まついじょりゅう。1900~1988。
     大東文化大教授。書道の大家。歌集「水」。


あさみどり かひある春に あひぬれば 霞ならねど
立ちのぼりけり
            しろ女 (大和物語・146段)

(あさみどり かいあるはるに あいぬれば かすみ
 ならねど たちのぼりけり)

意味・・浅緑色に草木も萌える春。この生き甲斐のある
    春に折よくめぐり合いましたので、霞ではあり
    ませんがまるで心も空に立ちのぼるばかりです。

    地名の「鳥飼」を詠み込んだ歌です。地名を詠
    み込んだだけでなく、「生き甲斐のある」処遇
    に感謝の心を詠み込んでいます。
    
    「とりかひ」は「あさみどり かひある春に」
    に詠みこまれています。

    大和物語146段にある歌で、あらすじは下記参照。

 注・・鳥飼=大阪摂津市にある地名。

作者・・しろ女=しろめ。大和物語に出て来る遊女。
     従四位丹波守大江玉渕(たまぶち)の息女。

大和物語146段のあらすじです。

    「ある日、宇多院は出遊して鳥飼の離宮に赴き、
    ここに遊女を召して遊宴を張った。中でも声の
    よい歌い手であるしろ女は気品高い容貌をもっ
    た由緒ありげな遊女であった。目を留めて人に
    尋ねると、何とこれが従四位丹波守玉渕(たま
    ぶち)の息女のなれの果てである事が分った。
    大江玉渕といえば都でも名ある学問の家である。
    院はしろ女の転落にいたく同情しつつ、試みる
    ように、「とりかひ」の地名を詠みこんだ歌を
    求めてみた。
    上記の歌が、この時のしろ女の即詠の歌である。
    しろ女はこの一首を媒介として、宇多院の保護
    を受け、幸運な生活が出来る事になった。」


壁に書き 襖に書きし 幼児の 汽車の落書き
せんすべのなき
           内田守人 (新万葉集・巻一)

(かべにかき ふすまにかきし おさなごの きしゃの
 らくがき せんすべのなき)

意味・・幼児が壁や襖に落書きを書いて無邪気に遊んで
    いる。その中に汽車の落書きもある。汽車に乗
    れる事に憧れているのだろうが、病気が治って
    この療養所から帰る事がもう出来ないのに。

    昭和10年頃に詠んだ歌です。当時はらい病は
    不治の病であり、長島愛生園でらい病の治療を
    していた医師が詠んだ歌です。

 注・・せんすべのなき=する方法がない。

作者・・内田守人=うちだもりと。1900~1982。長島愛
     生学園のらい病の医師。らい患者の明石海人
     を歌人に育てる。


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