名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年11月

見てあれば 一葉先ず落ち また落ちぬ 何思ふとや
夕日の大樹
                若山牧水 (別離)

(みてあれば ひとはまずおち またおちぬ なにおもう
 とや ゆうひのおおき)

意味・・見ていると一つの葉が落ち、続いてまた一葉
    落ちた。こうして樹は次々とその葉を落とし
    てゆく。夕日を浴びて立っているこの大樹は
    何を思ってこうして葉を落とし続けるのだろ
    う。

    木枯らしのように、外の力で葉が落とされる
    のではなく、自らの意思によって葉を振るっ
    ている。そこに牧水は大樹の知恵を見、自然
    のたくましさを感じています。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

おもひきや 山田の案山子 竹の弓 なすこともなく
朽ち果てんとは
                 中山忠光

(おもいきや やまだのかかし たけのゆみ なすことも
 なく くちはてんとは)

意味・・山田の案山子が持つ竹の弓のように、矢を放つ
    事もなく死んでゆこうとは思わなかった。

    まだやりたい事があるというのに、実をあげる
    ことなく死んでしまうとは・・無念だ。

    辞世の歌です。
  
作者・・中山忠光=なかやまただみつ。1845~1864。19歳。
     倒幕のため天誅組に入るが幕府に鎮圧される。

出典・・菊池明「幕末百人一首」。

    

この世界の いづくを行かば 逢ふことか ただひとりなる
人を見んとす
              神尾光子 (新万葉集・巻二)

(このせかいの いずくをゆかば あうことか ただひとり
 なる ひとをみんとす)

意味・・この世界のどこへ行ったら逢えるのであろうか・・。
    私にとってただ一人なる人を見んとして、今日も私の
    心はあてどもなくさまよい歩いている・・。

    いつかは結婚をするのではあるが、その相手はどこに
    いるのだろうか、早く逢いたいものだ。

    恋に憧れる清純な乙女心と、不安と焦燥とをこの歌に
    感じられます。

作者・・神尾光子=詳細未詳。


津の国の こやとも人を いふべきに ひまこそなかれ
葦の八重葺き
           和泉式部 (後拾遺和歌集・691)

(つのくにの こやともひとを いうべきに ひまこそ
 なけれ あしのやえぶき)

詞書・・邪険にされたとして、逆恨みする男に送った歌。

意味・・津の国の昆陽(こや)ではありませんが、「来や」
    (来てほしい)とあなたに言うべきでしようが、
    葦の八重葺きの屋根の目が詰まっているように、
    世間の目がいっぱいで、そんな事がいえないの
    です。

    摂津の国の昆陽の遊女がするように、おいでな
    さい(来や)、とあなたを手招きしたい所ですが、
    宮仕えが忙しくてその暇がありません。私の住
    居はそのうえ、昆陽の遊女のように葦の茂みに
    隠れていないので目につきやすく、噂の種から
    逃れる隙もないのです。というわけで、お付き
    合いはご遠慮します。

    昆陽は葦の湿原が広がり、葦の茂みに隠れた
    小屋で遊女が春をひさぐのが有名であった。

 注・・津の国=摂津国。今の大阪府と兵庫県の一部。
    こや=昆陽。地名で兵庫県伊丹市・尼崎市にか
     けての一帯。摂津国の歌枕。「来や・小屋・
     此や」を掛ける。「来や」は来なさいの意。
    ひま=「暇」と「隙(すきま)」を掛ける。
    葦=イネ科の多年草。水辺に生える。高さは
     3メートルにも及ぶ。薄に似ている。茎は簾
     などの材料。
    八重葺き=屋根を幾重にも厚く、隙間のない
     ように葺くこと。また、その屋根。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。生没年未詳。980年
     頃の生まれ。「和泉式部日記」。


旅人よゆくて野ざらし知るやいさ
                 太宰治

(たびびとよ ゆくてのざらし しるやいさ)

意味・・旅をしょうとする人よ。荒野を旅する
    には、野ざらしになる事も覚悟が出来
    ているのだろなあ。旅とはそれほども
    厳しいものだぞ。

    「野ざらし」とは野山で行き倒れとなり
    風雨にさらされた白骨のこと。
    作者も、行く先不明な荒野を旅する文学
    者として、死の覚悟をもって取り組む事
    を誓った句です。
 
    参考です。
    芭蕉が旅をする時の心構えの句です。

    野ざらしを心に風のしむ身かな
      (意味は下記参照)
          
注・・いさ=さあ知っているか、と語意を強め
     て問いかけた言葉。  

作者・・太宰治=だざいおさむ。1909~1948。
     東大文学部退学。小説家。玉川上水
     で自殺。「斜陽」「人間失格」。  

出典・・村上護「今朝の一句」。

参考句です。

野ざらしを心に風のしむ身かな
                 芭蕉
               (のざらし紀行)

(のざらしを こころにかぜの しむみかな)

意味・・旅の途中で野たれ死にして野ざらしの白骨
    になることも覚悟して、いざ旅立とうとす
    ると、折からの秋風が冷たく心の中に深く
    しみ込み、何とも心細い我が身であること
    だ。  

    遠い旅立ちにあたっての心構えを詠んでい
    ます。

 注・・野ざらし=されこうべ、野にさらされたもの。

作者・・芭蕉=1644~1694。「野ざらし紀行」「奥の細道」。


頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

             石川啄木 (一握の砂)

(ほにつたう なみだのごわず いちあくの すなを
 しめしし ひとをわすれず)

意味・・頬を伝わる涙をぬぐいもしないで、一握りの
    砂を黙って示した、なつかしいあの人の事を
    今も忘れられずにいる。

    親の反対などのために、結婚を諦めた彼女は
    涙を流しながら一握りの砂を握って示した。
    その砂は自分に意思が無いように指の間から
    落ちている。
    そのようにして別れた、あの人の事が今も忘
    れられない。

    参考です。(石川啄木・一握の砂)

    いのちなき 砂のかなしさよ
    さらさらと
    握れば指の あひだより落つ

   (しっかりと掴(つか)まえていないと砂は
    指の間からさらさらと落ちる。悲しい事
    に、それが命のない砂というものだ。

    主体性のない砂のように、社会の流れに
    押し流されるこの自分の悲しさよ。
    掴まえた幸福も、気を緩めると砂と同じ
    ように逃げていく)


 注・・のごはず=ぬぐわず。
    一握の砂=一握りの砂。握ればさらさらと指
     の間から落ちる。
    人=ここでは若い女性、恋人。

作者・・石川啄木=1886~1912。26歳。盛岡尋常
      中学校を中退後上京。「一握の砂」
      「悲しき玩具」などの歌集を刊行。


駒なめて 打出での浜を 見わたせば 朝日にさわぐ
志賀の浦なみ
                  後鳥羽院

(こまなめて うちいでのはまを みわたせば あさひに
 さわぐ しがのうらなみ)

意味・・志賀の山越えをして駒を連ね、打出の浜のあた
    りを高みから見晴らすと、志賀の浦波は朝日に
    きらめき、浜に打ち寄せる波頭が幾条にも見え
    て来る。
    この姿は、木曽義仲が連戦連勝して朝日将軍と
    呼ばれた勢いを思い起こされる。でも波が消え
    るようにその義仲もこの打出の浜で命を落とし
    たのだ。

 注・・なめて=並めて。並べて、連ねて。
    打出の浜=滋賀県大津市、琵琶湖の南端の浜。
     木曽義仲が源義経に敗れた粟津の松原の近辺。
    志賀の浦=滋賀県大津市、琵琶湖の西南岸一体。
    朝日にさわぐ=「朝日将軍がさわぐ」を暗示。
    木曽義仲=1154~1184。連戦連勝するので朝日
     将軍と呼ばれた。1183年の倶利伽羅の戦いで
     平家の大軍を破る。1184年粟津の戦いで惨死。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。1221年倒
     幕の企てが失敗して隠岐に流される。「新古
     今和歌集」の撰集を下命。

出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。
    

長けれど何の糸瓜とさがりけり                 
                夏目漱石
 
(ながけれど なんのへちまと さがりけり)

意味・・一人前になったけれど、ぶらぶらしている。
    「この役立たず目が」と思われても、何の
    糸瓜と気にもかけず、相も変わらずにぶら
    ぶらしている。

    馬鹿にされても堂々としている糸瓜は偉い
    なあ。こんな神経の図太さが少しでもあれば
    もっと幸福な一生だったかも知れないのに。

 注・・何の糸瓜=何とも思わない、全然気に掛け
     ない。

作者・・夏目漱石=なつめそうせき。1897~1916。
     東大英文科卒。小説家。「我輩は猫であ
     る」「ぼっちゃん」「三四郎」。

出典・・大高翔「漱石さんの俳句」。

月をなほ 身のうきことの 慰めと 見し夜の秋も
昔なりけり
         藤原為顕 (玉葉和歌集・2004)

(つきをなお みのうきことの なぐさめと みしよの
 あきも むかしなりけり)

意味・・若い頃は不満であっても、月を我が身のつらさ
    の慰めとして見て来たが、その秋も今では昔の
    事になってしまったものだ。

    月を見ては自分を慰めていたのだが、今は月を
    見て昔のその事を思い出すだけだ。
    生涯不遇であった身の老後の述懐。

 注・・月をなほ=月をそれでも。月を見て、不満であ
     ってもなお、と補う。

作者・・藤原為顕=ふじわらのためあき。生没年未詳。
     鎌倉期の歌人。為家の子。1260年頃活躍した
     人。

身をつめば 哀れとぞ思ふ 初雪の ふりぬることを
誰に言はまし
             右近 (後撰和歌集・1068)

(みをつめば あわれとぞおもう はつゆきの ふりぬる
 ことを たれにいわまし)

意味・・我が身を抓(つね)って、しみじみと年を重ねた
    事を悲しく思う。初雪が降りましたよ、来てご
    らんになりませんか、と誘いたいものの、古く
    なって容色も衰えた私などを、もはや誰も見向
    いてくれそうもない。

 注・・つめば=つねると。
    ふり=「古り」と「降り」を掛ける。

作者・・右近=うこん。生没年未詳。940年頃活躍した
     女官。

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