名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年11月

おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に
墨染めの袖
             大僧正慈円
         (千載和歌集・1137、百人一首・95)

(おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつ
 そまに すみぞめのそで)

意味・・私が言うのもおこがましいが、昔、伝教大師が
    開いたこの比叡山に立つからには、つらいこの
    世に住んでいる人々の心をやわらげるためにも、
    この黒染めの袖で世の中を覆いつくすような気
    持ちでなければいけないのだ。

 注・・おほけなく=見分不相応だ、恐れ多い。
    憂き世の民=辛い事の多いこの世の人々。悪疫
     の流行、飢饉、戦乱といった過酷な現実に生
     き抜いている人々。
    杣=植林した材木を切り出す山。ここでは延暦
     寺のある比叡山のこと。伝教大師最澄が建立。
    墨染の袖=黒い僧衣。「住み初め」を掛ける。

作者・・大僧正慈円=だいそうじょうじえん。1155~
     1225。関白藤原忠通の子。14歳で出家。天台
     座主、大僧正。歴史書「愚管抄」。


大井川 もみぢになるる 筏士も なほこの暮れは
すぎぞわづらふ
                藤原定家

(おおいがわ もみじになるる いかだしも なお
 このくれは すぎぞわずらう)

意味・・紅葉を見慣れている筏士さえも、秋が尽き
    ようとするこの大井川の夕暮れは、さすが
    に通り過ぎるのが惜しく、筏を流しかねて
    いる。
 
    紅葉の美しさを詠んでいます。

 注・・大井川=京都嵯峨の渡月橋あたりの桂川を
     和歌では大井川という。紅葉の名所。
    すぎぞ=「すぎ」は「秋が過ぎ」と「通過
     する」の意を掛ける。「ぞ」は強調を表
     す。
    わづらふ=あれこれと思い悩む。・・しか
     ねる。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
     藤原俊成の子。正二位中納言。「新古今和
     歌集」の撰者。日記「名月記」。

出典・・松本章男「歌帝 後鳥羽院」。

 

事切れし 子にし哭きつる その手して 賜びたる銭を
ふところにしぬ
                 宇都野研 (木群)

(ことぎれし こにしなきつる そのてして たびたる
 ぜにを ふところにしぬ)

意味・・息を引き取る子の枕辺で、声を挙げて哭いた親
    の手から、診療代の金銭を受けて、医師である
    自分は懐の中に収めた。

    小児科専門医として、折々に遭遇した事を詠ん
    でいます。
    全力を尽くして治療にあたたっが、子供の病気
    を治してやる事が出来なかった。母親は悲しみ
    泣きくずしている。その母親からお金をもらう
    この情けなさよ・・。

    病院の窓口を通して診療代を貰うのであるが、
    あたかも直接に受け取った気持ちで詠んだ一首
    で、治せなかった医者のくやしさ、辛さを詠ん
    でいます。

    徳田秋声は作者を「われわれ子を持つ本郷の住
    人たちは、神のように頼りにしている」と評価
    しています。

作者・・宇都野研=うつのけん。1877~1938。東大医学
     部卒。東京本郷に小児科病院を開設。佐々木
     信綱に師事、その後窪田空穂に師事。
    

山ふかみ 落ちてつもれる もみじ葉の かはけるうへに
時雨ふるなり
             大江嘉言 (詞花和歌集・144)

(やまふかみ おちてつもれる もみじばの かわける
 うえに しぐれふるなり)

意味・・山が深いので、散り落ちて積み重なっている紅葉
    の、その乾いた葉の上にどうやら時雨が降ってい
    るようだ。

    奥山の庵に居て雨音を聴いている趣を詠んでいま
    す。  

 注・・ふかみ=「み」は原因・理由を表す。・・なので。
    ふるなり=落葉をうつ音により時雨が降っていると
    推定した。

作者・・大江嘉言=おおえのよしこと。~1010年没。対馬守。


秋山を 越えつるけふの しるしには 紅葉のにしき
着てやかへらむ
                河内 (堀河百首)

(あきやまを こえつるきょうの しるしには もみじの
 にしき きてやかえらん)

意味・・秋が山を越えてしまった証拠、また、その山を
    歩いた証拠として、もみじ葉を錦のように衣服
    につけて帰ることにしょう。

    旧暦の九月尽に詠まれた歌にすれば、秋の果て
    の感慨と紅葉の情趣が深まって来る。

 注・・秋山を越えつる=「作者が秋の山を越えた」事と
     「秋が山を越え去った」事を掛ける。
    旧暦九月尽=旧暦の9月30日、現在の11月10日頃。
     旧暦では7月8月9月が秋。

作者・・河内=かわち。生没年未詳。後三条天皇の皇女・
     俊子内親王に仕えた女房(女官のこと)。

青くとも 有るべきものを 唐辛子   発句・芭蕉
提げておもたき 秋の新ら鍬      脇 ・洒堂

(あおくとも あるべきものを とうがらし 
 さげておもたき あきのあらくわ)

意味・・発句。
    唐辛子は辛ければ青いままでよいものを、時が
    来ればやはり真っ赤に色づかないでおれないら
    しい。
    (唐辛子は青くても辛いがまだ未完成品、赤くな
    ってこそ完成品である)
    脇。
    秋に新調したばかりの鍬は、手にさげて持てば
    重たく感じられる。
    (心機一転で鍬を新調しました、この鍬が重たい
    ように、これからたどる道も責任重たく受け止
    めています)

    深川の芭蕉庵に洒堂が訪れ滞在した時に歌仙を
    開いた時の、発句と脇の句です。

    芭蕉の発句は、徘諧師として世に立つ決意を持
    って訪れた洒堂を励ました句となっています。
    洒堂の脇の句は、新しい仕事への決意を言い込
    めて、芭蕉への挨拶となっています。

 注・・新ら鍬(あらくわ)=新調の鍬。

作者・・芭蕉=1644~1694。
    洒堂=しゃどう。1668頃~1737。姓は浜田。
     近江の医者。芭蕉に入門。

出典・・洒堂著「俳諧 深川」。

おりたちて 今朝の寒さを 驚きぬ 露しとしとと
柿の落葉深く
           伊藤左千夫 (ほろびの光)

(おりたちて けさのさむさを おどろきぬ つゆ
 しとしとと かきのおちばふかく)

意味・・朝、庭に降りみて、思いがけない寒さに驚い
    た。いつのまにか晩秋、初冬の姿に一変した
    庭には柿の落葉が深く散りしき、冷え冷えと
    した朝露にしっとりと濡れている。

    きびしい初冬の自然の姿、万物凋落の姿の寂
    寥(せきりょう)感を詠んでいます。

    これからいっそう厳しい冬が来て草木を枯れ
    つくす。寒さがこたえるようになった自分の
    身体にも、枯葉と同じように衰えを意識させ
    られ、寂しさが湧いて来る・・。
    これからやって来る寒さに耐えなくては・・。

    大正元年、亡くなる前年に詠んだ歌です。

 注・・寒さを=「寒さに」と違って、より主情的に
     意外な寒さと捉えている。
    露しとしとと=朝露にしっとりと濡れて。「
     濡れて」を補う。
    柿の落葉深く=柿の落ち葉が重なって散り敷
     いているさま。「深し」とせず「深く」に
     して余韻を持たせ、秋から冬にかけての自
     然の凋落の寂しさを暗示している。

作者・・伊藤左千夫=いとうさちお。1864~1913(大正
     2年)。牛乳搾取業。正岡子規に入門。小説
     「野菊の墓」が有名。

年老いて やうやく遠き 道のすえ いまだ半ばと
わが彳つしばし
         中西悟堂 (昭和万葉集・第六巻)

(としおいて ようやくとおき みちのすえ いまだ
 なかばと わがたつしばし)

意味・・介護されて生きるような年取った老人と
    なってしまったが、かえりみると、成し
    遂げたい事は一通りやり遂げたのである
    が、まだまだ満足出来る姿ではない。
    やり残した事が沢山ある。まだ、遠い道
    のりの、いまだ半ばにいるのである。

    89歳の晩年に詠んだ歌です。

 注・・彳(た)つ=たたずむ。ゆっくり歩く。

作者・・中西悟堂=なかにしごどう。1895~1984。
     歌人、詩人、野鳥研究家。天台宗の僧。
     日本野鳥の会を設立して野鳥の保護に
     尽力する。

里の名も 我が身一つの 秋風を 愁へかねたる
月の色かな
             よその思ひの中宮
             (風葉和歌集・327)

(さとのなも わがみひとつの あきかぜを うれえ
 かねたる つきのいろかな)

詞書・・宇治におはしましける頃、月を御覧じて詠
    ませ給ひける。

意味・・里の名も「憂し」を掛ける宇治で、秋風は
    我が身だけを吹くように感ぜられ、寂しい
    月の光にいよいよ愁えに耐えかねる事です。

    参考歌です。
   「月見れば千々に物こそ悲しけれ 我が身
    一つの秋にはあらねど」(意味は下記参照)

 注・・愁へ=心配、悲しみ、嘆き。
    かね=兼ね。兼ねる、合わせ持つ。

作者・・よその思いの中宮=昔の物語に出て来る、
     登場人物。中宮は皇后と同じ。

参考歌です。

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身一つの
秋にはあらねど      
             大江千里
         (古今和歌集・193、百人一首・23)

(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみ
 ひとつの あきにはあらねど)

 
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく
    物悲しくなる。私一人だけの秋ではないのだけ
    れど。
    
    秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じで
    あろうけれども、自分だけがその悲しみを味わ
    っているように思われる。

    秋の月を見ると、悲しいことが種々想われる。
    秋という季節は決して自分ひとりにめぐり来る
    のではなく、世の中の人の全てが迎えている。
    だから楽しいことも嬉しいこともあるはずなの
    に・・。

 注・・千々に=さまざまに、際限なくの意。
    もの=自分を取りまいているさまざまな物事。

作者・・大江千里=生没年未詳。在原業平の甥。文章
     博士(もんじょうはかせ)で漢詩人。



山にては あけびや白く 熟れつらむ 野には野菊の
花も咲くらむ
                  野上照代

(やまにては あけびやしろく うれつらん のには
 のぎくの はなもさくらん)

意味・・今頃は、山では木にからまったアケビが熟れて
    白い実を垂れ下げている事だろうなあ。野には
    野菊が咲いて美しく彩っている事だろうなあ。
    もう一度、このような野山を歩く事が出来たら
    なあ。

作者・・野上照代=のがみてるよ。1927~ 。黒澤明監
     督の右腕として活躍。著書「蜥蜴のしっぽ」。

出典・・野上照代「母べえ」。

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