名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年12月

昨日といひ 今日と暮らして あすか川 流れてはやき
月日なりけり      
            春道列樹(古今和歌集・341) 

(きのうといい きょうとくらして あすかがわ ながれて
 はやき つきひなりけり)

詞書・・年末に詠んだ歌。

意味・・昨日といっては暮らし、今日といっては暮らして、
    また明日になる。飛鳥川の流れのように早い月日
    の流れであったことだ。

    「あすか川」は流れが早く、流路の定まらない
    飛鳥川のこと。「明日」を掛けている。歳末に
    一年を振り返っての感慨を詠んでいます。

 作者・・春道列樹=はるみちのつらき。生没年未詳。
      910年に文章博士になる。壱岐守。


かがやける 少年の目よ 自転車を 買ひ与へんと
言ひしばかりに
            宮柊二 (多く夜の歌)

(かがやける しょうねんのめよ じてんしゃを かい
 あたえんと いいしばかりに)

意味・・喜びにいま輝いているこの少年の目はどうだ。
    自転車を買ってやろうと、たった今父の私が
    言っただけのことで。

     欲しがっていた自転車を買ってやろうと我が子に
    約束したところ、たちまち頬(ほお)を火照(ほて)
    らせ、満面に笑みを浮かべながら心を覗(のぞ)き
    込むように私の目を見つめる。少年のその瞳は、夢
    に満ちてきらきらと輝く、純真そのものの瞳であっ
    たことだ。

作者・・宮柊二=みやしゅうじ。1912~1986。新潟県
     長岡中学卒。北原白秋に師事、秘書。

音に聞く 高師の浜の 松が枝も 世の仇浪は
のがれざりけり
            大久保利通

(おとにきく たかしのはまの まつがえも よの
 あだなみは のがれざりけり)

意味・・評判の名高い高師の浜の松の枝も、世俗の
    人々の心の移ろいから逃れられないものな
    のだなあ。
    
    明治の新時代を迎えての移ろいを詠んで
    います。
    利通は版籍奉還や廃藩置県を行い、中央集
    権国家を進めた。この過程を自然の成行き
    として詠んだ歌です。

    本歌です。
    「音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや
    袖の ぬれもこそすれ」 (意味は下記参照)

 注・・高師の浜=大阪府堺市から高石市の一帯。
     「高師」に評判が高いの「高し」を掛ける。
    仇浪=変わりやすい人の心のたとえ。

作者・・大久保利通=おおくぼとしみち。1830~1878。
     薩摩藩士。倒幕後、新政府の参与となり要
     職を歴任。廃藩置県などを実施。征韓論者
     の西郷隆盛と対立。明治11年に暗殺される。

出典・・菊池明「幕末百人一首」。

本歌です。

音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじゃ袖の
濡れもこそすれ
             紀伊
(金葉和歌集・469、百人一首・72)
    
(おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじゃ
 そでの ぬれもこそすれ)

意味・・噂に名高い高師の浜の立ち騒ぐ波も、かけない
    ことには袖が濡れことは無いのだから。

    浮気者と評判の高いあなたのきまぐれな言葉も、
    心にかけない事にしょう。
    すぐに飽きられて涙で袖が濡れるといけないから。

 注・・音に聞く=噂に聞く。評判になる。
    高師の浜=大阪府堺市の一帯の浜。評判が「高い」
       を掛けている。
    あだ波=騒ぎ立つ波、浮気な人の言葉。
    濡れもこそすれ=濡れるとたいへんだから。「もこそ」
     は予想される悪い事態に対する懸念・不安の気持ち
     を表す。

作者・・紀伊=11世紀後半の人。後朱雀天皇の第一皇女
     祐子内親王に仕える。

草枯れの 冬までみよと 露霜の をきてのこせる
白菊の花
          曽禰好忠 (詞花和歌集・129)

(くさがれの ふゆまでみよと つゆしもの おきて
 のこせる しらぎくのはな)

意味・・草枯れして花も咲かない冬になったので、花を
    見よといって、露も霜も取り除いて花を残して
    白菊が咲いている。美しいことだ。

 注・・をきて=措きて。除く、のける。「置きて」で
     はない。
    露霜=露も霜も草木を紅葉させ枯らすもの。

作者・・曽禰好忠=そねのよしただ。生没年未詳。1000
     年前後に活躍した人。中古三十六歌仙の一人。

日向の国 都井の岬の 青潮に 入りゆく端に
独り海見る
             若山牧水 (別離)

(ひゅうがのくに といのみさきの あおしおに いりゆく
 はなに ひとりうみみる)

意味・・日向の国南端の都井の岬が太平洋の青潮の中に突入
    しているその突端に来てただ独りじっと海を見てい
    る。

    明治40年に、無医村の都井村に出稼ぎに来て診療
    をしている父に逢う為、東京から帰って来た時に詠
    んだ歌です。
    
    「日向の国都井の岬」の「日向の国」は単なる説明
    ではなく「遂に遥々とこの都井の岬までやって来た
    なあ」という深い感慨がこもっています。

    東京から帰ってきて、日向の国の岬の岩鼻にただ独
    りじっと海に見入る歌人・牧水の心には何を思って
    いたのであろうか。
    窮乏のいよいよひどくなった故郷の家、その家を守
    っている老母、老いの身で家を離れ、ただ一人この
    淋しい村に出稼ぎに来て診療をやっている父、自分
    の今後進むべき道・・などさまざまな事が心に去来
    していたに相違ない。もちろんこの「独り海見る」
    だけではそこまで分るはずもないが。

    参考句です。

    秋風に独り立ちたる姿かな     良寛
               
        (意味は下記参照)

 注・・日向の国=宮崎県。
    都井の岬=宮崎県の最南端にある日南海岸にある岬。
     蘇鉄の自然林・野馬が居り南国情緒の観光地。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。宮崎県
     東臼杵郡に生まれる。早稲田大学英文科卒。尾上
     柴舟に師事。

参考句です。

秋風に独り立ちたる姿かな        良寛

(あきかぜに ひとりたちたる すがたかな)

意味・・秋の風が肌寒く吹いている。その風に吹かれて
    独り立ち尽くして、どのように生きるべきか、
    また世の人の幸せのためには、どうしたら良い
    かと、思い悩んでいると、心までが冷たく感じ
    られる。これが私に与えられた姿なのかなあ。

    生き難い人々の苦しみに思いを寄せて、しきり
    に涙を流す良寛です。

 注・・秋風=この秋風には、晩秋の一種の悲愴感が感
     じられる。


捨てし身を いかにと問はば 久方の 雨降らば降れ
風吹かば吹け
              良寛 (良寛歌集・493)

(すてしみを いかにととわば ひさかたの あめふらば
 ふれ かぜふかばふけ)

意味・・俗世間を捨てた身は、どのようであるかと尋ね
    られたならば、雨が降るならば降るのにまかせ、
    風が吹くならば吹くのにまかせて過ごしている
    と、答えよう。 

    参考歌です。

   「うろ路よりむろ路に帰る一休み 雨降らば降れ
   風吹かば吹け」 一休

   (意味は下記参照)

 注・・捨てし身=俗世間を離れて出家した身。
    久方の=「雨」の枕詞。

作者・・良寛=1758~1831。

参考歌です。

うろじより むろじへ帰る 一休み 雨降らば降れ
風吹かば吹け
                一休宗純

(うろじより むろじへかえる ひとやすみ あめふらば
 ふれ かぜふかばふけ)

意味・・人生というのは、この世からあの世へと向かう、
    ほんの一休み。雨が降ろうが風が吹こうが、気に
    しない気にしない。
  
    人生というのは、一休みするほどの短さだ、心の
    こだわりを捨てて、からりとした気持ちで生きる
    ことだ。
  
    「一休」の名の由来の歌です。

 注・・うろじ=有漏路。煩悩(ぼんのう・悩ます迷いの
     心)を持ち悟れない人。この世、現世。
    むろじ=無漏路。煩悩のない悟りの境地。あの世。  
    
作者・・一休宗純=いっきゅうそうじゅん。1394~1481。
     頓知でお馴染みの一休さんです。


み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど
直に逢はぬかも
         柿本人麻呂 (万葉集・496)

(みくまのの うらのはまゆう ももえなす こころは
 もえど ただにあわぬかも)

意味・・み熊野の浦に咲く浜木綿の葉が、百重に重なって
    いるように、自分が彼女を思うこの恋の思いも、
    決して単純なものではない。積もり積もって苦し
    いばかり。だが、恋しい人には、逢うことも出来
    ない。

 注・・み熊野=「み」は接頭語。「熊野」は三重県紀伊
     半島南部のあたり。
    浜木綿=ひがん花科の常緑多年草。剣の形の葉か
     ら白い花を抜き出したように付ける。
    百重なす心=恋人のことを、ああ思い、こうも思
     い、昨日も今日も思う。その心の重なりをいう。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。710年頃亡くなった万葉
     歌人。

もちながら 千世をめぐらん さかづきの 清きひかりは
さしもうけなん
           藤原為頼 (後拾遺和歌集・1154)

(もちながら ちよをめぐらん さかずきの きよき
 ひかりは さしもうけなん)

詞書・・人が、瓶に酒を入れて、杯に添えて歌を詠んで
    出しましたので詠んだ歌。

意味・・望月のままで千代をめぐる月の清い光の入った
    杯を、もろにお受けあれ。

    下にも置かず次々と、手から手へと捧げ持ちな
    がら、望月同様、欠けることなく千代まで経め
    ぐる杯を、どうかそのように納め受けられよ。
 
    参考です。

    春高楼の 花の宴
    巡る盃 影さして
    千代の松ヶ枝 わけい出し
    昔の光 いまいずこ

 注・・瓶(かめ)=水や酒を入れる底の深い容器。
    もちながら=「(手に)持ちながら」と「望なが
    ら(満月のままで)」の掛詞。
    さかづき=「杯」と「栄月」の掛詞。
    さしも=そのように。

作者・・藤原為頼=ふじわらのためより。生没年未詳。
     従四位下・丹波守。紫式部の伯父。

ただ恋し うらみ怒りは 影もなし 暮れて旅籠の
欄に倚るとき
               若山牧水 (別離)

(ただこいし うらみいかりは かげもなし くれて
 はたごの らんによるとき)

詞書・・耶馬溪にて。

意味・・こうして一人幾山河を越えてはるばると旅を
    続けていると、何かにつけて思われるのは恋
    しい人のこと。いろいろな場合のその言葉や
    態度などが思い出されて、時には恨みや怒り
    がこみあげて来るような事もあったが、日が
    暮れてからこうしてこの小さな旅館の古びた
    手すりに寄って暗い戸外を見ていると、妙に
    心細くて、これまで時には恨んでみたり怒っ
    てみたりしていたことなど跡方もなく消えう、
    せて、ただ恋しさばかりがひたひたと満ち溢
    れて来る。ああ恋しい。何とかして逢いたい
    なあ。

 注・・欄=欄干、手すり。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。


大江戸に 事しあるらし 土煙 足掻きに蹴立て
早馬くだれり
               大倉鷲夫 (鷲夫歌集)

(おおえどに ことしあるらし つちけむり あがきに
 けだて はやまくだれり)

意味・・大江戸で何事か事件が起こったらしい。土煙を
    蹴立てて早馬の使いが下って来ている。

    他の一首により、急使が何を知らせるものだっ
    たかが分る。藩主山内豊興の重病を告げる使い
    であり、二度目はその死去を知らせる使いであ
    った。
 
    参考句です。

    鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな   蕪村

    (吹き荒れる野分の中、異変の注進か五六騎の
     武者が鳥羽殿へと疾走している)

 注・・事し=「し」は「事」を強調する語。
    足掻(あが)き=馬が大地を蹴って進むこと。
    山内豊興=1793~1809。17歳。土佐藩第11代
     藩主。
    鳥羽殿=白川上皇が鳥羽に造営した離宮。
    野分=秋の暴風、台風。

作者・・大倉鷲夫=おおくらわしお。1780~1850。
     高知の商家の生まれ、後に大阪に住む。
     

このページのトップヘ