名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2012年12月

白寿まで一陽来復舞ひ行かな
                 武原はん女

(はくじゅまで いちようらいふく まいゆかな)

意味・・一陽来復は冬至のこと。今日は太陽が最も
    遠ざかり、昼間の時間が最も短い日だ。
    けれど明日からはまた日が長くなる。人生
    もまたそんなもので、明暗苦楽の繰り返し
    だが、九十九歳の白寿まで私は舞台で舞い
    踊りたい。
    92歳を越えて詠んだ決意の俳句です。

作者・・武原はん女=たけはらはんじょ。1903~1998。
     大阪芸妓学校卒。地唄舞の名手。高浜虚子
     に師事。

出典・・村上護「今朝の一句」。

削られて ゆく冬の月の 夜をきて 鋼いろする
氷をふみ砕く
            生方たつえ (風化暦)

(けずられて ゆくふゆのつきの よるをきて はがね
 いろする ひをふみくだく)

意味・・カーンと凍てついた夜に、身を削ぐように光る
    冬の月が出ている。鋼の固い色をした氷を踏み
    砕く音がする。きりきりとした寒さが漂う。
    なんのこれしき!と夜の氷を張った道を歩いて
    行く。

作者・・生方たつえ=うぶかたたつえ。1904~2000。
     日本女子大卒。「山花集」「風化暦」。

天地の 正しき姿 まざまざと つひに君みつ
その病より
                 尾上柴舟

(あめつちの ただしきすがた まざまざと ついに
 きみみつ そのやまいより)

意味・・天地自然のあるべき姿を嫌が上にも君は気が
    ついたのだ。病気になって初めて。

    大自然には四季折々があり、優しい時があれ
    ばつれない時もある。元気な姿があれば衰え
    た姿もある。春の花咲く穏やかな時もあれば、
    吹雪の降る厳しい時もある。人の姿もこれと
    同じだ。君は今、難病を患って苦しんでいる。
    自然の摂理において、嵐の中にいる苦しさで
    ある。嵐は必ず収まり春が来るものだ。気を
    落さないで耐えておくれ。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。
     東大国文科卒。金子薫園と「叙景詩」を刊
     行。書道の大家。

出典・・インターネットより。

夕靄は 蒼く木立を つつみたり 思へば今日は
やすかりしかな
              尾上柴舟 (永日)

(ゆうもやは あおくこだちを つつみたり おもえば
 きょうは やすかりしかな)

意味・・一日も暮れて、静かに夕靄が蒼く木立をつつ
    んでしまった。思えば今日はまことに平穏な
    一日であったことである。

    ともかく今日は変わった事件にも遭遇せずに
    平安のもとに暮れていった。景色も我も安ら
    かに暮れてゆく一日を、しみじみと回想して、 
    ほっとため息をついた歌です。

    「今日も」でなく「今日は」になっているのに
    注意を要する。
    尾上柴舟の歌集「永日」の中に次のような歌が
    あります。
    「ああ一日 今日という日を 過ぐしけり 
    いざ横たへむ 疲れた身を」   
    と言うように、日頃の生活は倦怠感を感じてい
    るのだが、今日は安らかだった、という歌です。

    「今日も」の場合の参考句です。

   「今日も事なし凩に酒量るのみ」   山頭火
     (意味は下記参照)

 注・・蒼く=くすんだ青色。例・・蒼(=青)い月夜。

作者・・尾上柴舟=1876~1957。東大国文科卒。かな
    書道の大家。歌集「永日」「静夜」。

参考句です。

今日も事なし凩に酒量るのみ
                  山頭火

(きょうもことなし こがらしに さけはかるのみ)

意味・・今日も何事も無かったなあと、木枯らしの音を
    聞きながら、静かに酒を量っている。

    なんとなく不満であり、充足しない気分の今日
    この頃である。何かいい事が無いかなあ、胸が
    ときめくような事が無いかなあと期待しつつ、
    今日も普通の日と変わらずに過ぎた。寒い木枯
    らしが吹く中、細々と酒を量って売っている、
    平々凡々の一日であった。

    ありふれた何でも無い様な状態が、実は、いか
    に「幸福」な状態かを詠んだ句です。    
    ある日突然の、大きな病気や怪我・仕事の失敗・
    リストラ・地震や火事・・、この様な不幸事を
    経験すると、平々凡々と過ごせたあの頃に戻っ
    てほしい・・。

 注・・酒量る=この歌の時期は、酒造業を営んでいた
     ので、酒を量って売るの意。

作者・・山頭火=さんとうか。1882~1940。本名種田正一。
     大地主の家に生れる。酒造業を継ぐ。父が放蕩
     して母が投身自殺。その後、種田家は破産。
     1925年出家して行乞流転。

出典:金子兜太「放浪行乞 山頭火120句」

霜の経 露の緯こそ 弱からし 山の錦の
織ればかつ散る
          藤原関雄 (古今和歌集・291)

(しものたて つゆのぬきこそ よわからし やまの
 にしきの おればかつちる)

意味・・山の紅葉は、霜のたて糸、露のよこ糸で織ら
    れた錦であるが、そのたて糸とよこ糸が弱い
    ようである。錦が織りあがったと思うと、そ
    のそばからすぐに散ってゆく。

    紅葉の錦は霜や露のようにはかないものを、
    たて糸やよこ糸にして織ったので、このよう
    にすぐに散ってしまうのであろうと、美しい
    紅葉のはかないのを嘆いた歌です。

作者・・藤原関雄=ふじわらのせきお。815~853。
     従五位下・治部小輔。琴・草書に優れる。

世の中は 人のうえのみ ゆかしけれ うらやむわれも
うらやまれつつ
                  作者不明

(よのなかは ひとのうえのみ ゆかしけれ うらやむ
 われも うらやまれつつ)

意味・・世の中の人は、他人の身の上ばかり見て羨ましい
    と思っている。そう思う自分も、誰かから羨まし
    がれているのである。

    誰もが自分の無い物を羨む。人に無い良い所も
    あるのだが、それでも羨望の思いを無くせない
    欲深さがある。それは人間の性でもあり、向上
    心でもある・・が。

    ジョセフ・ルーの名言より。

    『私は自分にないものを見て、 自分のことを
    不幸だと思っていた。まわりの人は私にある
    ものを観て、 私のことを幸せだと思っていた』

 注・・ゆかし=興味がもたれる、見たい、知りたい。
    ジョセフ・ルー=1834~1905。フランスのカト
     リック司祭。作家。

出典・・斉藤亜加里「道歌から知る美しい生き方」。

枯菊になほ愛憎や紅と黄と
                 久保より江

(かれぎくに なおあいぞうや あかときと)

意味・・枯れ菊は花を落さずに、紅色や黄色が残った
    残骸としてさらしている。それは盛時が華や
    かなだけ、いっそう哀れさをそそる。

    「枯菊」をじっと見ながら来し方の青春を思い
    出し、また現実は年を取り容色を失いながら、
    なお捨てきれない女心を詠んでいます。

 注・・愛憎=愛することと憎むこと。ここでは、美し
     さと汚さ、華やかさと哀れさの対比。この
     言葉により自分の気持ちを覗かせている。

作者・・久保より江=くぼよりえ。1884~1941。高浜
     虚子に師事。

出典・・村上護「今朝の一句」。

かかる夜も はなやかにして 人あらむ 戸の面の草生
雨しづかなり
              百田宗治 (愛の鳥)

(かかるよも はなやかにして ひとあらん とのもの
 くさふ あめしずかなり)

意味・・こんな夜も、匂うような華やかさをもって、誇ら
    かに立ち振る舞っていることだろう。その様子が
    目に浮かばれて来る。ふと、我にかえり、一人居
    の部屋から、窓外に目を移すと、灯のわずかに届
    く庭前の若草に、雨がしとしとと音もなく降りか
    かって静かである。

    片思いながら、好きな人を思い浮かべて詠んだ歌
    です。

 注・・かかる夜も=このような夜も。いつもそうである
     が、殊に、自分が一人ぽっちでいる、こんな暗
     い淋しい静かな夜でも。
    はなやかに=作者の目に浮かぶ美しさであり、頭
     の中に描かれた幻影。

作者・・百田宗治=ももたそうじ。1893~1955。詩人、作詞
     家。童謡「どこかで春が」有名。


生ける世に 我はいまだ見ず 言絶えて かくおもしろく
縫へる袋は
              大伴家持 (万葉集・746)

(いけるよに われはいまだみず ことたえて かく
 おもしろく ぬえるふくろは)

意味・・この世に生まれてこのかた、私は見た事がない。
    なんとほめていいか、言葉も無いほど、こんなに
    すばらしく縫っている袋は。

    恋人から贈られた袋のお礼の歌です。当時は布
    の端切れも貴重な時代です。自分で裁ち、自分
    で縫い、愛情を込めて家持に贈った袋です。
    袋は火打石や針などを入れる物で、恋人に肌身
    放さずつけて貰い、自分の分身のような袋です。

    人に物を贈ったら、相手に気に入って貰ったか
    どうか、喜んで貰ったかが気になる所です。相
    手の喜びの意志が分ればより一層親しくなりま
    す。家持は最大限に喜びの意志を表しています。

 注・・袋=火打石や針などを入れる袋。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
     大伴旅人の子。万葉集の編纂に携わる。


時過ぎて かれゆく小野の 浅茅には 今は思ひぞ
たえず燃えける
             小町(小野)が姉 
             (古今和歌集・790)

(ときすぎて かれゆくおのの あさじには いまは
 おもいぞ たえずもえける)

意味・・盛りの時が過ぎて、枯れてゆく野の浅茅には、
    今は野火の火が絶えず燃えている。

    恋の盛りの幸せな時が過ぎて、あなたから疎
    まれていても、私には恋しく思う胸の火が熱
    く燃えています。

 注・・小野=野。「小」は接頭語。小野氏を詠み込
     み、「浅茅」のあわれな姿に自分自身をなぞ
     らえている。
    浅茅(あさじ)=低い茅(かや)。

作者・・小町が姉=こまちがあね。生没年未詳。平安
     時代の人。

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