名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年01月

ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある
昔なりけり
               順徳院 
           (続後撰集・1205、百人一首・100)

(ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまり
 ある むかしなりけり)

意味・・宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、偲
    んでも偲びつくせないほど慕(した)わしいものは
    昔のよき御代(みよ)なのだ。

    鎌倉幕府に圧迫され、意のままにならない現状へ
    の不満を、朝廷の力が充実していた昔を偲んだ形
    で表現した歌です。 

 注・・ももしき=内裏、宮中。
    古き軒端=古びた皇居の軒の端。
    しのぶ=昔を懐かしく思う意の「偲ぶ」と「忍ぶ
     草」の掛詞。「忍ぶ草」は羊歯の一種。邸宅が
     荒廃しているさまを象徴する表現。
    なほ=やはり、依然として。
    あまり=度を越しているさま、あんまりだ。
    昔=皇室の栄えていた過去の時代。

作者・・順徳院=じゅんとくいん。1197~1242。後鳥羽天
     皇の第三皇子。承久の乱により佐渡に流される

雪霜に 色よく花の さきかけて 散りても後に
匂う梅の香
                芹沢鴨

(ゆきしもに いろよくはなの さきかけて ちりても
 のちに におううめのか)

意味・・雪や霜に負けずほかの花に先駆けて美しく咲い
    た梅の花は、散った後にも香を残すものだ。

    自分を早咲きの梅にたとえて詠んだ歌です。

 注・・さきかけて=「咲きかけて」と「先駆けて」を
     掛ける。

作者・・芹沢鴨=せりざわかも。1826~1863。近藤勇ら
     と新撰組を結成する。横暴な振る舞いのため
     暗殺される。

出典・・菊池明「幕末百人一首」。

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に
降れる白雪
           坂上是則
       (古今和歌集・332、百人一首・31)

(あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしのの
 さとに ふれるしらゆき)

意味・・白々と夜が明ける頃に見ると、有明の月の光と
    思うほどに明るく、吉野の里には雪が降り積も
    っている。

 注・・朝ぼらけ=夜が明けて、ほのかに明るくなって
     来る時分。
    有明の月=夜明けの空にまだ残っていて、白々
     と光っている月。

作者・・坂上是則=さかのうえのこれのり。生没年未詳。
     古今集時代の代表的歌人。


矢釣山 木立も見えず 降りまがふ 雪にうぐつく
朝楽しも
           柿本人麻呂 (万葉集・262)

(やつりやま こだちもみえず ふりまがう ゆきに
 うぐつく あしたたのしも)

意味・・矢釣り山の木立も見えないほどに降り乱れて
    いる雪の中、馬を並べて走って行く事は本当
    に楽しいものだ。

 注・・矢釣山=所在地不明。
    まがふ=紛ふ。区別が出来ないほど似る。
    うぐづく=驟く。馬が走り回る。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。700年頃の万葉歌人。


丹波路に うち越えくれば 野も山も 照る日ながらに
はだれ雪降る
             上田秋成 (藤簍冊子)

(たにわじに うちこえくれば のもやまも てるひ
 ながらに はだれゆきふる)

意味・・峠を越えて丹波(たんば)の国へ入って来ると、
    野にも山にも陽が射しているのに、はらはら  
    と雪がふっている。

    晴天にちらつく雪は風花(かざばな)と呼ばれ、
    遠くで降った雪が風に流されてひらひらと舞
    って来るためです。

 注・・丹波路(たにわじ)=篠山街道。京都から山陰へ
     向かう道。
    はだれ雪=斑雪。まだら雪。ここでははらはら
     と降る雪。

作者・・上田秋成=うえだあきなり。1734~1809。作家。
     「雨月物語」の作者。歌集「藤簍冊子・つづら
     ぶみ」。


かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば
夜ぞふけにける
            大伴家持 
         (新古今和歌集・620、百人一首・6)

(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきを
 みれば よぞふけにける)

意味・・かささぎが七夕の宵に羽を並べて橋として織女
    星を渡すという伝説の天上の橋、この橋ならぬ
    宮廷の御階(みはし・階段)におりている霜の白
    いのを見るといつのまにか、夜がふけてしまっ
    たことだ。

    冬の夜ふけのきびしい寒さを、宮中の御階(階
    段)におりた霜の白さによってとらえた歌です。

注・・かささぎの橋=陰暦7月7日の夜、七夕の二星、
     牽牛星と織女星とが逢う時、かささぎが翼を
     並べて天の川にかけるという想像上の橋。
     ここでは、宮中の御階(みはし・階段のこと)
     に見立てている。宮中を天上界と見て、橋を
     階(はし)と見たもの。
    霜の白きを見れば=霜がおりるのは深夜から末
     明にかけて。霜の白さを見て夜が更けたのに
     気がつく。その白さを見て寒さの厳しさも表
     わしている。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
     大伴旅人の子。「万葉集」の編纂も行う。


うづもるる 松のしずえや これならん 岡べにちかき
雪の一むら
             伏見院 (金玉歌合・59)

(うずもるる まつのしずえや これならん おかべに
 ちかき ゆきのひとむら)

意味・・埋もれている松の下枝がこれなのであろうか。
    岡のほとり近くに見えるこの雪のひとかたまり
    は。

 注・・しづえ=下枝。下の枝。

作者・・伏見院=ふしみいん。1265~1317。第92代天
     皇。「玉葉集」を完成させた。

冬ごもる 病の床の ガラス戸の 曇りぬぐへば
足袋干せる見ゆ
             正岡子規 (竹の里歌)

(ふゆごもる やまいのとこの がらすどの くもり
 ぬぐえば たびほせるみゆ)

意味・・寒い冬中を家にこもって病床に臥している
    自分であるが、病室のガラス障子の曇りを
    ぬぐってみたら、庭に足袋を干してあるの
    がよく見えた。

    干されている足袋は子規が履くものであろ
    う。歩行の自由の欠く子規は、直接の看病
    には有難く感謝しているものの、目の見え
    ない所で自分の為に苦労してくれている家
    族の姿を見て、感謝をより一層込めて詠ん
    だ歌です。

 注・・冬ぐもる=冬の寒いうち、家の中にこもっ
     ている。
    病の床=子規は結核で客血し、脊髄カリエ
     スで腰を痛め歩行困難になり長年病床に
     臥す。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。
     東大国文科中退。俳句・短歌の革新運動
     を進め写生主義をとる。歌集「竹の里歌」。

寂しさは 身に添ふ物と 成りにけり 秋よりのちの
夕暮れの空
            宗尊親王 (文応300首・179)

(さびしさは みにそうものと なりにけり あきより
 のちの ゆうぐれのそら)

意味・・寂しさは自分の身にくっついて離れないものと
    なってしまった。秋より以後の夕暮れの空を眺
    めていると。

    寂しさは、自分の意志通りにならない為です。

    11歳で鎌倉幕府の征夷大将軍になり、執権者
    の北条時宗にちやほやされ、いいなりに動ご
    かされていたが、歳を重ねるうちに時宗の意
    のままに動かなくなった。それを嫌った時宗
    からの圧迫を受けるようになり征夷大将軍の
    職の辞任に追いやられた。
    辞任は25歳の時で、上の歌を詠んだのは19歳
    頃です・・が。

作者・・宗尊親王=むねたかしんのう。1242~1275。
     後嵯峨天皇の第二皇子。11歳の時に鎌倉幕府
     第六代将軍になる。25歳の時将軍職を追放さ
     れる。30歳で出家する。
    

さざなみや くもらぬ時を 鏡山 みがく氷に
うつしてぞみる
           藤原為家 (中院詠草・67)

(さざなみや くもらぬときを かがみやま みがく
 こおりに うつしてぞみる)

意味・・琵琶湖で、曇りなき政道が行われているのかど
    うか、今の御代を鏡山の鏡のように磨きあげた
    湖面の氷で映して見たいものだ。

    藤原時代は良い政治が行われていると、褒めた
    歌です。  
  
 注・・さざなみ=「志賀」の枕詞、琵琶湖西南岸一帯。
    くもらぬ時=曇らぬ治世・時代、曇りなき御代
     (みよ)。
    鏡山=近江国の歌枕。「鏡」を掛ける。
    みがく氷=鏡のように氷を磨く。一点の曇りも
     ない政道を暗示。

作者・・藤原為家=ふじわらのためいえ。1198~1275。
     藤原俊成を祖父に、定家を父に持つ。歌集
     「大納言為家家集」。
     

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