名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年01月

いささめに 時まつまにぞ 日はへぬる 心ばせをば
人に見えつつ
            紀乳母 (古今和歌集・454)

(いささめに ときまつまにぞ ひはへぬる こころばせ
 をば ひとにみえつつ)

詞書・・ささ・まつ・びわ・ばせをば

意味・・ついうっかり、よい機会があろうと、ためらって
    居る内に、月日は経過してしまった。私の気持ち
    は先方に知らせておきながら。

    親の元を離れた子供が、その内に家に帰る帰ると
    言っているような状態です。

    この歌には笹・松・琵琶・芭蕉葉の物名が入って
    います。

 注・・いささめ=かりそめに、ほんの少し。
    時まつまにぞ=よい機会を待っている間に。
    日はへぬる=日は経ぬる。月日は経過してしまっ
     た。
    心ばせ=気持ち、意志。
    人に見えつつ=人に見られながら、相手の目に
     入りながら。相手に知られながら。

作者・・紀乳母=きのめのと。生没年未詳。名は詮子(せ
     んし)。陽成天皇の乳母。882年従五位上。

    

忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪ふみ分けて
君を見むとは
            在原業平
      (新古今和歌集・970、伊勢物語・83段)

(わすれては ゆめかとぞおもう おもいきや ゆきふみ
 わけて きみをみんとは)

題意・・惟喬親王が髪を切って出家してしまった。それで
    雪を踏み分け小野の里にお見舞いに訪ねて行った
    時に詠んだ歌。

意味・・(あまりの事で、親王さまは御出家なさったのだと
    いう事を)忘れて、夢ではないかという気が致しま
    す。深い雪を踏み分けて(こんな山里で)親王さまに
    お目にかかろうとは、思いもよらなかった事です。

 注・・忘れては=親王が出家して小野の里にこもった事を
     ふと忘れて。
    夢かとぞ思ふ=現実を夢ではないかと思う。
    思ひきや=以前に思ったであろうか。「や」は反語
     の助詞。
    惟喬親王=これたかのしんのう。844~897。
     文徳天皇の第一皇子。28歳で出家して京都の
     小野の里に隠棲。

作者・・在原業平=ありはらのなりひら。825~880。美濃
     守。「伊勢物語」。


世をあげし 思想の中に まもり来て 今こそ戦争を
憎む心よ
            近藤芳美 (埃吹く街)

(よをあげし しそうのなかに まもりきて いまこそ
 せんそうを にくむこころよ)

意味・・世間のすべてが軍国主義に駆り立てられていっ
    た状況のなかで、ひそかに守ってきた思想があ
    る。今こそ戦争を憎む心を高らかに表明し、そ
    の立場を貫き通していきたい。

 注・・思想=ここでは軍国主義思想の意。

作者・・近藤芳美=こんどうよしみ。1913~2006。東京
     工業大学卒。清水建設勤務を経て神奈川大学
     教授。中村憲吉・土屋文明に師事。文化功労
     者。

浦近く 降り来る雪は 白浪の 末の松山
越すかとぞ見る
           柿本人麿 (拾遺和歌集・239)

(うらちかく ふりくるゆきは しらなみの すえの
 まつやま こすかとぞみる)

意味・・浦近くまで降ってくる雪は、白波が、あの波
    が越える事が無いという末の松山を、越えた
    ように見える。

    参考歌です。

    「君をおきて あだし心を わがもたば 末の
    松山 浪も越えなん」  (古今和歌集・1093)

    (あなたをさしおいて、他の人に心を移すような
    事があったならば、あの末の松山を波が越える
    ようになってしまうでしょう。そんな事は決し
    てあり得ません)

 注・・末の松山=宮城県多賀城市八幡にあったとい
     う山。

作者・・柿本人麿=七世紀後半から八世紀初頭の人。
     万葉歌人。

何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに
涙こぼるる
                  西行

(なにごとの おわしますかは しらねども かたじけ
 なさに なみだこぼるる)

意味・・どなた様がいらっしるのかよくは分りませんが、
    自分が今日こうして生きていける事が恐れ多く
    て、ただにただに涙が出て止まりません。

    天地自然、万物に神々が宿るという素朴な心を
    詠んでいます。
    日本は温暖な気候に恵まれて自然は豊かです。
    そこに生きる日本人は自然の恵みをいっぱい
    貰って生活をしています。
    時には恐ろしい災害もありますが、その時は
    恐れ慎み、しばらく我慢しておればやがて収
    まります。
    自然は恐ろしい反面、沢山の恵みを与えてく
    れるありがたい存在です。
    自然界の一つ一つの働きに人の及ばない何か
    大きな働きを感じ「ありがたい」「恐れ多い」
    と詠んだ歌です。
    自然界があっての人間です。自然を破壊する
    のでなく、大切にしたいものです。

 注・・何事=どのような事、どんな事柄。
    かたじけなさ=分に過ぎた恩恵・好意・親切
     を受けたありがたさ。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・宇野精一「平成新選百人一首」。
 

玉まきし 垣根の真葛 霜枯れて さびしく見ゆる
冬の山里
           西行 (山家集・515)

(たままきし かきねのまくず しもかれて さびしく
 みゆる ふゆのやまざと)

意味・・玉のように先端を巻いて茂っていた垣根の真葛
    が、霜にあたって枯れてしまい、人目も草も枯
    れはて、まことに寂しく見える冬の山里である。

    参考歌です。
    「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も
    かれぬと思へば」  (意味は下記参照)

 注・・真葛=「真」は美称の接頭語。「葛」は豆科の
     つる性の植物。秋の七草のひとつ。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤義清。
     諸国を行脚する。家集に「山家集」。

参考歌です。

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も 
かれぬと思へば
            源宗于
        (古今集・315、百人一首・28)

(やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめも
 くさも かれぬとおもえば) 

意味・・山里はいつでも寂しいものだが、とりわけ冬になり
    寂しさが増して来たことだ。春の花、秋の紅葉を訪れ
    た人目も、見るもののない冬には離(か)れ、わずかに
    目を慰めてくれた草も枯れてしまった、と思うと。

    山里に住む人の心で、初冬の感じを詠んでいます。
    寂しい山里に住んできて、春や秋には人目もあった
    が、その人目も冬には絶える人事の上での寂しさ、
    草も枯れてしまう自然の上での寂しさ、それに
    これからの長いひと冬を寂しさの中に住むことを
    思う、心情での寂しさ、これらを重ねたものです。

 注・・人目=人の訪れ、出入り。
    かれぬ=人目も離(か)れと草木が枯れを掛けている。

作者・・源宗于=みなもとのむねゆき。~939年没。正四位下
     ・右京大夫。三十六歌仙のひとり。


たぶんゆめの レプリカだから 水滴の いっぱいついた
刺草を抱く
            加藤治郎 (マイ・ロマンサー)

(たぶんゆめの れぷりかだから すいてきの いっぱい
 ついた いらくさをだく)

意味・・水滴のついた生き生きとしたトゲのある刺草を、
    私は抱いている。刺があるので私は余り身動きが
    出来ない。これは何か夢の中にある現実の出来事
    なのだろうか。

    すでにハイテクの文明に侵食された我々の生活は
    どこまでも機能的でありながら、居心地の悪さが
    つきまとっている。このことは、ハイテクの文明
    を得る為に自由度のすくない長い仕事に携わって
    いる為かも知れない。

 注・・レプリカ=複製のこと。
    刺草(いらくさ)=刺の生えている草木。

作者・・加藤治郎=かとうじろう。1959~ 。早稲田大学
     卒。「未来」編集委員。


月もなほ おなじ光にて 澄むものを いかに変われる
我が身なるらん
                  宗尊親王

(つきもなお おなじひかりにて すむものを いかに
 かわれる わがみなるらん)

意味・・空を仰ぎ見ると、14年前と同じように月は美しく
    澄んでいる。所がこの私は14年前とは全く反対に
    鎌倉から京へと囚人同様に護送されていく。あの
    時の華やかさと比べると、今のこの惨めさはどう
    いうことだろうか。悔しく、また嘆かわしいことで
    ある。

    14年前、11歳の宗尊親王は征夷大将軍として、華
    やかな礼服を着込み、大勢の供を従えて威風堂々
    と鎌倉に迎えられたのであった。所が14年後には、
    鎌倉幕府の執権者・北条宗時によって征夷大将軍
    を辞任させられる運命となった。辞任は、成長し
    北条氏の意のままに動かなくなったので嫌われ追
    放されたもので、この時に詠んだのが上の歌です。

作者・・宗尊親王=むねたかしんのう。1241~1274。後嵯
     峨天皇の第一皇子。

出典・・後藤安彦「日本史群像」。

 

新しき 年の初めに 豊の年 しるすとならし
雪の降れるは
          葛井連諸会 (万葉集・3925)

(あたらしき としのはじめに とよのとし しるすと
 ならし ゆきのふれるは)

意味・・新年早々に、めでたい今年の豊作の前触れと
    思われます。こんなに雪が降り積もっている
    のは。

    正月の大雪は豊作の前兆とされていた。

 注・・豊の年=豊年。
    しるす=証す。目印、前兆。

作者・・葛井連諸会=ふじいのむらじもろあい。生没年
     未詳。747年相模守になる。

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の
いやしけ吉事
          大伴家持 (万葉集・4516)

(あたらしき としのはじめの はつはるの きょう
 ふるゆきの いやしけよごと)

意味・・新しい年のはじめの初春の今日の雪。この雪
    がしんしんと降り積もるように、めでたい事
    もどんどん積もってくれ。

    正月の大雪は豊作の前兆と考えられていた。

 注・・初春の=上二句の新春のめでたさを強調する
     ために重ねたもの。
    いやしけ=弥頻け。ますます重なる。いよい
     よ盛んになる。
    吉事(よごと)=めでたい事。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
     大伴旅人の長男。越中守。  
    

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