名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年04月

灯影なき 部屋に我あり 父と母  壁のなかより
杖つきて出づ
            石川啄木 (一握の砂)

(ほかげなき へやにわれあり ちちとはは かべの
 なかより つえつきていず)

意味・・いつの間にか日は暮れ沈んでいたが、電灯も
    つけるのも忘れて物思いにふけっていた。す
    ると暗い壁面から年老いた両親が杖をついて
    出てくるような気がした。

    文学に志しているが、それでは家族を養う事
    が出来ない。まともな仕事にもありつけない
    ふがいない自分を見ていると、両親が心配し
    ている姿が浮かんでくる。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
     26歳。盛岡尋常中学を中退。与謝野夫妻に
     師事すべく上京。母校の代用教員、新聞校
     正係の職を転々とする。歌集「一握の砂」。
    

いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの
春ゆかんとす
             正岡子規 (竹の里歌)

(いちはつの はなさきいでて わがめには ことし
 ばかりの はるゆかんとす)

詞書・・しひて筆をとりて。

意味・・いちはつの花が咲き出して、病む自分の目に
    は今年だけに終わる春が今過ぎて行こうとし
    ている。

    不治の病の為に限られた命と感じて、再びと
    は逢いがたい「今年ばかりの春」だと嘆いた
    歌です・・が。
    「しひて筆をとりて」はいやいやながら無理
    に筆を取ったのではなく、限られた余命なの
    で出来る限り歌を詠もうと作歌行動にかられ、
    歌わずにいられなくて筆を取ったものです。

 注・・いちはつの花=一八の花。あやめ科の多年生
     草木。葉は剣状で、晩春4・5月に薄紫や白
     の花をつける。かきつばた・あやめ・菖蒲
     などとよく似た形である。
    我目には=「は」は特示の助詞。病に臥して
     いる自分には。
    今年ばかりの=来年の春までは生きられない
     生命と思う心がこめられている。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35歳。
     東大国文科中退。結核で客血に苦しみ、脊
     髄カリエスで歩行困難になる。歌集「竹の
     里歌」。    
    

今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と
出で立つわれは
            火長今奉部与曾布 
            (万葉集・4373)

(きょうよりは かえりみなくて おおきみの しこの
 みたてと いでたつわれは)

意味・・今日からは家をも身をも顧みすることなく、大君
    の強い御楯となって、私は出立するのである。

    防人の歌です。大友家持に兵役の心構えを聞かれ
    て詠んだ歌です。
    火長というのは十人の兵士の長(兵士五人をもって
    一伍とし、二伍をもって一火とした)。部下をまと
    めて一心に任務に励む頼もしい兵士であろう。
    この歌の思想は、長くわが国の軍国主義精神、愛
    国心として国により推奨された。

 注・・顧みなく=一身上のことを考慮しない。
    醜(しこ)=頑強なこと。
    御楯=戦場で立てて敵の矢などを防ぐ武具。「御」
     は敬意の接頭語。

作者・・火長今奉部与曾布=かちょういままつりべのよそふ。
     生没年未詳。防人。 


遠近の 鶯の音も のどかにて 花の咲き添ふ
宿の夕暮れ
         永福門院 
         (永福門院百番御自歌合・16)

(おちこちの うぐいすのねも のどかにて はなの
 さきそう やどのゆうぐれ)

意味・・鶯の声も増えてきて、あちらこちから、のど
    かな声が聞こえて来る。家のあたりは花もい
    ろいろ咲き始め、この春の夕暮れはいいもの
    だ。

    「花の咲き添ふ」は、何かの花の咲いている
    所に、他の花も咲いて、花が増えていく様子。
    桜に続き、山吹、そして山つつじというふう
    に。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
     伏見天皇の中宮(后と同じ意)。

    

越え行くも 苦しかりけり 命ありと また問はましや
小夜の中山
             後深草院二条 (とはずがたり)

(こえゆくも くるしかりけり いのちありと また
 とわましや さやのなかやま)

意味・・越えて行くのも苦しい小夜の中山です。もし命
    があるとしも、またここに来て越える事がある
    でしようか。あの西行のように、その歌のよう
    に。

    後深草院の寵愛を受けた二条は、また同時に他
    の男性達と関わりをもち、宮廷女性として華や
    かな、しかし悩み多い生活をした。30歳頃宮廷
    を出て尼姿になり、憧れていた旅と歌に生きた
    西行の生活を自らも送り、後にその愛欲と旅の
    半生の記録を「とはずがたり」に綴る。
    旅の途次、小夜の中山に至って、西行の「年た
    けてまた越ゆべしとおもひきや命なりけり小夜
    の中山」を思い出して詠んだ歌です。

 注・・小夜の中山=静岡県掛川市にある坂路。古く東
     海道が通じ、歌枕として有名。

作者・・後深草院二条=ごふかくさいんのにじょう。1258
     ~?。幼時より後深草院の許に育つ。恋愛に
     悩み、のち出家し諸国遍歴の旅に出る。半生
     の記録「とはずがたり」。

参考歌

年たけて また越ゆべしと おもひきや 命なりけり
小夜の中山
             西行 (新古今・987)

意味・・若かった日、小夜の中山を越えた折、年老いて
    再び越えることがあると思っただろうか。命が
    あるから今越えて行くのである。

    東大寺再建のため、砂金勧進を目的として、藤
    原秀衝(ひでひら)を平泉に訪ねた時の歌。
    「命なりけり」に求道の年月を経て今日に至っ
    た自分の命によせる、激しく、しかもしみじみ
    と深い思いが、よく表現されている。

このページのトップヘ