名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年05月

かれ果てむ 後をば知らで 夏草の 深くも人の
思ほゆるかな
                 凡河内躬恒 

(かれはてん のちをばしらで なつくさの ふかくも
ひとの おもおゆるかな)

意味・・枯れ果ててしまう先の事など知らずに、夏草が
    深く茂るように、心が冷えて離れてしまうかも
    知れない先の事など考えないで、深くあの人が
    恋い慕われる事です。

 注・・かれ=「枯れ」と「離れ」を掛ける。

作者・・凡河内躬恒=おおしこうちのみつね。生没年
     未詳。平安時代の前期の人。「古今集」撰者
     の一人。

出典・・古今和歌集・686。

花束の 流れに浮かぶ ごとくにも 君は記憶の
中に華やぐ
           村野次郎 (村野次郎歌集)

(はなたばの ながれにうかぶ ごとくにも きみは
 きおくの なかにはなやぐ)

詞書・・時は流る。

意味・・川の流れに浮かんでその花束は流れて行く
    ように、「君」は私の記憶に華やかな存在
    であるが、現時点では過去のものとなりつ
    つある。

    「君」は「花束」に比喩され、華やかだっ
    た存在は作者にとって価値あるものである
    が、時代の推移の中に「君」なる人はかっ
    ての座を失いつつある。

作者・・村野次郎=むらのじろう。1894~1979。早   
     大商学部卒。貿易商を経営。白秋と諸雑
     誌を出す。


たらちめは かかれとてしも むばたまの わが黒髪を
なでずやありけむ
                    遍照 

(たらちめは かかれとてしも むばたまの わが
 くろかみを なでずやありけん)

意味・・私の母はよもやこのように出家剃髪せよと
    言って、私の黒髪を撫でいつくしんだので
    はなかったろうに。

    詞書により、出家直後に詠んだ歌です。
    出家直後の悔恨に近い複雑な心情が、母親
    へのいとおしさとともに詠まれています。

 注・・たらちめ=母の枕詞。母。
    かかれ=斯かれ。このような。
    出家=家庭生活をも捨てて仏門に入る事。
     仏門では5戒とも250戒とも言われる戒
     を修行して解脱への道を求める。

作者・・遍照=へんじょう。814~890。僧正。36歳
     の時に出家。

出典・・後撰集・1240。

人知れぬ 大内山の 山守は 木隠れてのみ 
月を見るかな
          源頼政 (千載集・978)

(ひとしれぬ おおうちやまの やまもりは こがくれ
 てのみ つきをみるかな)

意味・・人に知れない大内山の山守である私は、木に
    隠れた状態でばかり月を見ることです。

    大内山の山守,つまり内裏守護番の私はいつも
    物陰からひっそりと帝を拝見するばかりです。

    内裏守護の役にありながら昇殿を許されない
    無念さを、帝を月に、我が身を賎(いや)しい
    山守になぞらえて表現しています。

    「平家物語」はこの歌によって頼政は昇殿を
    許されたという。

 注・・大内山=皇居、宮中。
    山守=山を守る事、山の番をする事。ここで
     は内裏の守護番。
    木隠れて=表立たない状態の比喩。
    昇殿=清涼殿の殿上の間の出入りが許される
     事。

作者・・源頼政=みなもとのよりまさ。1104~1180。
     平氏に叛(そむ)き宇治河合合戦に破れ自害。
従三位。


ながむべき 残りの春を かぞふれば 花とともにも
散る涙かな
            俊恵法師 (新古今・142)

(ながむべき のこりのはるを かぞうれば はなと
 ともにも ちるなみだかな)

意味・・花を眺める事の出来る、自分に残された春
    を数えると、花は身に沁みて哀れに感じら
    れ、落花とともに、こぼれる涙である。

    「残りの春」は桜の咲くのを、一年単位に
    見ての残りの年で、余命。死を意識する時
    全ての物の存在は、面目を改めるという。
    この歌も、花の美しさが身に沁み、思わず
    涙がこぼれ落ちる涙であった事が知られる。
    我が命も惜しまれる境地である。

作者・・俊恵法師=生没年未詳。表記の歌は1278年
     詠んだ歌。65歳くらい。東大寺の僧。



われはもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ
安見児得たり
                 藤原鎌足 

(われはもや やすみこえたり みなひとの えがてに
 すとう やすみこえたり)

意味・・私は安見児を妻にした。誰もが皆妻とする事が
    出来ないという安見児を妻にしたのだ。うれし
    くてたまらない。

 注・・われはもや=「も」+「や」は感動の意を表す。
    安見児(やすみこ)=采女(うねめ)の一人の名。
     采女は容姿美しい女性達で宮中に仕えた女官。

作者・・藤原鎌足=ふじわらのかまたり。614~669。蘇
     我氏を滅ぼし内大臣となる。大化改新を推進。

出典・・万葉集・95。


たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝に
恋ふべきものか
            詠み人知らず (万葉集・2391)

(たまゆらに きのうのゆうべ みしものを きょうの
 あしたに こうべきものか)

意味・・昨日の夕べ、ほんのちらと、偶然めぐりあった
    あの人なのに、もう今朝は、あの人の面影が胸
    に棲(す)みついて、私はあの人を恋し始めてい
    る。こんな事があるものだろうか。

 注・・たまゆら=珠と珠が触れあつてかすかな音をた
     てるその瞬間の事。束の間の短い時間。


うちしめり あやめぞかをる 時鳥 鳴くや五月の
雨の夕暮れ
              藤原良経 (新古今集・220)

(うちしめり あやめぞかおる ほととぎす なくや
 さつきの あめのゆうぐれ)

意味・・しっとりと湿って軒に葺(ふ)いたあやめが、一段
    と香り高く薫って来る。折りから時鳥が鳴く五月
    雨の降る夕暮れ時に。

    「あやめ」は五月五日端午の節句に軒に挿した菖蒲
    の事。香りが強く、蚊などの害虫や邪気を払うも
    のとされた。
    あやめの香りが分るほど静かな気分になっている
    気持ちを詠んでいますが、次の歌の本歌取りなっ
    ていて、作者は楽しい恋をしている気分も含めて
    います。

    本歌です。

    「時鳥鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ
    恋もするかな」
            詠み人知らず(古今集・469)

    (ほととぎすの鳴く五月、その五月を彩(いろど)
    るあやめ草、そうしたさわやかな季節に、私は
    この草のようなあやめも分らぬ(事の分別もつか
    ない)恋をしている)

 注・・あやめも知らぬ=文目も知らぬ。物の条理、筋
     道の分別もつかない(ほど恋に夢中になってい
     る)。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1169~1206。
     37歳。従一位太政大臣。新古今集の仮名序を
     執筆。

(5月22日 名歌鑑賞)


水伝ふ 磯の浦みの 岩つつじ 茂く咲く道を
またも見むかも
          皇子尊の宮の舎人
          (万葉集・185)
(みずつたう いそのうらみの いわつつじ もくさく
 みちを またもみんかも)

意味・・水が伝い流れている水ぎわの曲がり角に、岩
    つつじが盛んに咲くこの道を、再び見る事が
    出来るだろうか。

    草壁の皇子が亡くなって悲しんで詠んだ歌で
    す。
    草壁の皇子に仕えていた舎人達は、皇子の死
    の一周忌には解任される。
    岩つつじが、赤く輝いて咲き満ちている道を
    通って、宮の前に参上していた日々は、なん
    と幸福であった事か。もう、あの日も来ない。
    そう思った時、舎人はその岩つつじを目に焼
    きつけ、思い出のよすがにしたことだろう。

 注・・磯の浦み=「磯」は海や湖などの水辺で岩の
     多い所。「浦」は曲がって陸に入り込んだ
     所。
    茂(も)く=草や木の盛んに成長するさま。
    皇子尊(みこのみこと)=ここでは草壁の皇子。
    宮=宮殿。
    舎人(とねり)=天皇や皇族の雑用をする下級
     官人。


ほととぎす おれよかやつよといふ 歌のありき 満々といま
田に水入るる
                 石川不二子 (牧歌)

(ほととぎす おれよかやつよという うたのありき まんまんと
 いま たにみずいるる)

意味・・鏡のように輝く水を満々とたたえた田に早苗を下ろ
    した爽快さ、早苗の柔らかな緑が微風にそよぎ、さ
    ざめいている清々しさ。
    清少納言が「枕草子」で田植え歌を聞く場面が出て
    来る。賀茂に参詣する道で、始めて田植えをする所
    を見たのである。多くの女達が田植え歌を歌ってい
    る。田の中の女達は折れ伏すように腰を曲げて後ず
    さりをして行く。その唄は「ほととぎす、おれ、か 
    やつよ、おれ鳴きてこそ、われは田植うれ」
    (ほととぎすよ、お前が鳴くから、つらい田植えも
    せにやならぬ)
    と、歌っている。作者はこの「枕草子」の事を思い
    ながら、重い労働の田植えをしながら、その喜びを
    かみ締めている。

 注・・おれよ=おのれよ、お前は。
    かやつよ=彼奴よ。この奴め。
    おれよかやつよ=清少納言の「枕草子」の226段の
     話に出て来る田植え唄「ほととぎすおれかやつよ
     おれ鳴きてこそわれは田植うれ」。ほととぎすの
     鳴き始めが田植えの始まりとなっていた。

作者・・石川不二子=いしかわふじこ。1933~ 。東京農工
     大卒。開拓農として島根県で農牧を行う。
    

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