名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年05月

春のめだか 雛の足あと 山椒の実 それらのものの
一つか我が子
            中城ふみ子 (乳房喪失)

(はるのめだか ひなのあしあと さんしょうのみ それらの
 ものの ひとつかわがこ)

意味・・ほんのり赤く身を染めた小さな春のめだかは、小さ
    いながら鋭く強い敏感な動きをみせて、水中に小気
    味よい元気さを発散している。
    また、親鶏の後を懸命について歩き、見よう見まね
    で餌らしいものを見つけついばもうとするひよこの
    姿も、生まれてすぐ、自力で餌を得なければならな
    い厳しい定めを負ったけなげさを持っている。
    ひよわに見えてもぴりっとした力を持っている点で
    は、小さな山椒の実も同じだ。
    それらのものに並べて我が子を置くと、幼い命は可
    憐で頼りなげだが、弱いのではない。これからぐん
    ぐん伸びてゆく力を秘めたけなげな幼い命なのだ。

作者・・中城ふみ子=なかじょふみこ。1922~1954。31歳。
     東京家政学院卒。乳癌で亡くなる。

    

春なれば 愉しむごとし 野に土手に 人は草摘む
糧となる草
                  中村正爾 

(はるなれば たのしむごとし のにどてに ひとは
 くさつむ かてとなるくさ)

詞書・・大いなる飢え。

意味・・野原や土手には青草が萌え出ている。そこには
    人々は三々五々草摘みをしている。いかにも春
    の草摘みを楽しんでいる風景なのだが、人々の
    摘んでいる草は今日の食糧にしなければならな
    い草なのである。

    昭和21年の作です。国民一人残らず飢渇感に耐
    えていた時代であり、食べられる草なら少しで
    も多く摘み取って持ち帰りたいと、生きるため
    真剣になっている気持ちを詠んでいます。

作者・・中村正爾=なかむらしょうじ。1897~1964。新
     潟師範卒。北原白秋に師事。

出典・・中村正爾歌集(東京堂出版「現代短歌鑑賞辞典)。


(5月18日 名歌鑑賞・2207)


轟々として 夜の海 荒れいたり 貧も希ひも
思へばかすか
          長沢一作 (條雲)

(ごうごうとして よるのうみ あれいたり ひんも
 ねがいも おもえばかすか)

意味・・轟きをあげて夜の海が荒れている。黒いその
    怒涛の叫びはもの凄い音を立てて荒れ狂う。
    我が生活の貧しさ、我が希(ねが)いなども、
    思えば何とかすかな、ささやかなものか。

作者・・長沢一作=ながさわいっさく。1926~。慶応
     義塾中退。佐藤佐太郎に師事。


かぎろひも にほうばかりに 岩間照り 尾照り峰照り
つつじ花咲く
                   和田厳足 

(かぎろいも におうばかりに いわまてり おてり
 みねてり つつじはなさく)

意味・・立つ陽炎も色美しく見えるほどに、岩のはざ
    まにも、山の尾根にも峰の上にも、色を映し
    つつ、つつじの花が咲いている。

    山一面に咲くつつじの美しさを、陽炎を通し
    て見た歌です。

 注・・かげろひ=陽炎。春や夏などに、ちらちら地
     面からたちのぼる、暖められた空気。
    にほふ=鼻で匂う意味ではなく目に照り映え
     て見えること。
    尾=山の稜線のこと。

作者・・和田厳足=わだいずたり。1787~1859。熊本
     藩士。

出典・・和田厳足家集。

水の味 空気の味と 身にしみて われの読むもの
この人の歌
          長谷川銀作 (夜の庭)

(みずのあじ くうきのあじと みにしみて われの
 よむもの このひとのうた)

意味・・物の味はさまざまで、歌のもつ味も同様で
    あるが、この人の歌は水や空気の味で、そ
    れを身に沁ませて読んでいる。

    水や空気の味は淡いし、人間はひとしく水
    や空気を不可欠のものとして生きている上
    では、無二尊いものであるが、平凡とい
    べきである。作者はこの淡く平凡と思われ
    る味わいの歌に、永遠な最高の価値を認め
    ているのである。
    師である牧水を心に置いた歌です。

    牧水の歌、参考です。

    「幾山川越えさりゆかば寂しさのはてなん
    国ぞけふも旅ゆく」

    (自分の心の中には深く寂しさがひそんで
    居り、その寂しさに耐え兼ねてこうして今
    日も旅を続けているが、いったいどれだけ
    多くの山や川を越えて行けばこの心にひそ
    む寂しさが影をひそめる国に出られるのだ
    ろうか)

作者・・長谷川銀作=はせがわぎんさく。1894~
     1970。東京商業卒。牧水夫人の妹と結婚。
     牧水の「創作」の編集・経営に参加する。

朝夕の 餉も誰か すすむべし 我が病みぬれば
かなしき背子よ
               杉浦翠子 

(あさゆうの かれいもたれか すすむべし わがやみ
 ぬれば かなしきせこよ)

意味・・朝夕の食事も、誰が心をこめて作ろうか。作り
    はしない。妻である私は病んでいて、あなたの
    食事の事さえしてあげられないでいる。可哀そ 
    うな夫よ。

    病む身のわびしさと夫恋いの思いを詠んでいま
    す。

 注・・餉(かれい)=携行食、食糧。
    すすむ=勧む。飲食物を献上する。
    背子=妻が夫を女性が恋人を呼ぶ語。

作者・・杉浦翠子=すぎうらすいこ。1891~1960。北
     原白秋に師事。夫は画家の杉浦非水。

出典・・歌集「寒紅集」。

診断を 今はうたがはず 春まひる 癩に堕ちし
身の影をぞ踏む
            明石海人 (白描)

(しんだんを いまはうたがわず はるまひる かたいに
 おちし みのかげをぞふむ)

意味・・癩だという診断を疑い、そんな事はあり得ない、
    信じたくない。しかし今ははっきりと断定され
    た診断をもう疑わない。あたりはうららかな春
    日である。その暖かい日射しの中を、地獄に堕
    ちた我が身の影を踏んで歩いている。

    「癩に堕ちし」の「かたい」は癩病の事。かっ
    てはこのように言った。「堕ちし」に、もう再
    び、普通の生活には復帰出来ないと。

    もし、あなたが突然不治の病だと宣告されたら
    あなたはどう生きるだろうか。
    嘆き悲しみ、自分の運命を呪いながら生きるだ
    ろうか。あるいは、絶望のあまり発狂してしま
    うだろうか。生きている価値がないと諦めて、
    自ら命を断ってしまうだろうか。
    明石海人は、不治の病に冒され、一時は発狂し
    てしまうという過酷な運命にもてあそばれなが
    ら、やがて立ち直り、光輝く芸術世界を築き上
    げた人です。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。商業
     高校を卒業して画家を志して上京。結婚して
     二女があったが、癩病と診断される。「新万
     葉集」収載歌によって脚光を浴びる。歌集「
     白描」。  


母の齢 はるかにこえて 結う髪や 流離に向かう
朝のごときか
            馬場あき子 ()

(ははのとし はるかにこえて ゆうかみや りゅうりに
 むかう あさのごときか)

意味・・亡き母をふと思いなが髪を結う。すでにはるかに
    母の齢を越えてしまった。それを思うと、今朝は、
    こうして髪を結い、よるべない漂泊に出る朝のよ
    うに思われる。

    短い生涯であった母に比べて、いつしか自分は母
    の齢をはるかに越えた。すでに母と別れた日は遠
    い昔となった。考えて見ると、母の短い生涯にも
    安息は無かっただろうが、自分にもまだ安心出来
    る安らかな生はない。「流離にむかう朝のごとき
    か」には、親などに頼らず寂しいが、全てから離
    れて孤りになりながら、なおかつ一人の生を歩む
    といった思いがある。
    「結う髪」に焦点を集め、瞑想の一つの世界が始
    まるという事を自然に引き出している。

 注・・流離=流浪、さまよい歩く。親や人に頼らずに
     迷いながらも歩いて行く。

作者・・馬場あき子=ばばあきこ。1928~。昭和女子大卒。
     日本芸術院会員。「かりん」創刊。

出典・・歌集「飛花抄」。

    

我も見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名の
奥城ところ
                山部赤人 

(われもみつ ひとにもつげん かつしかの ままの
 てごなの おくつきところ)

意味・・私もこの目で確かに見た。人にもこの事を語
    り伝えたい。勝鹿(葛飾)の真間の手児名のお
    墓のあった所はここだと。

    赤人は都にいた時から手児名の話を聞いてい
    て、葛飾の真間を訪れた時に詠んだ歌です。

    真間の手児名の伝説は高橋虫麻呂が万葉集・
    1807で長歌で以下のように詠んでいます。

    この東の国に、昔々本当にあったこととして
    今までずっと語り伝えられて来た真間の手児
    名の話である。
    手児名は、粗末な麻の着物に青い衿(えり)を
    つけ、麻ばかりで織った裳(も)をはいて、髪
    を櫛でとかすこともせず、沓さえ履かず、裸
    足で歩いているような村の娘。でも、錦や綾
    につつまれて、大事にかしずかれた箱入りの
    娘君も、この手児名の美しさに及ぼうか。
    彼女が、その整った美しい顔に、花のような
    微笑みを浮かべて立っていると、男達はまる
    で夏の虫が灯を慕って飛び込んで来るように、
    叉、船が港に入ろうと漕ぎ集まって来るよう
    に、彼女のまわりに焦がれて寄って来るのだ
    った。
    手児名は、こうまで男達を惑わす我が身を嘆
    き悲しみ、身の行く末を思い知って、波の音
    騒ぐ真間の海に身を投げた。そうでなくとも、
    どうせ長く生きられないこの束の間の人生に、
    どうして自殺などしたのだろうか。
    今、波の音するこの港の墓に、可愛い人は眠
    っているのか。遠い昔にあった事だけど、ほ
    んの昨日見た事のように、身にしみて思われ
    る事だ。

 注・・勝鹿=葛飾と同じ。東京都・埼玉県・千葉県
     にまたがる江戸川下流一帯の地。
    真間=千葉県市川市真間のあたり。
    手児名=伝説上の乙女。
    奥城(おくつき)=墓場、墓所。
    高橋虫麻呂=たかはしのむしまろ。生没年未詳。
     奈良時代初期の人。

作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没年未詳。奈
     良時代中期の宮廷歌人。

出典・・万葉集・432。


我が恋は み山隠れの 草なれや しげさまされど
知る人のなき
                小野美材 

(わがこいは みやまがくれの くさなれや しげさ
 まされど しるひとのなき)

意味・・私の恋は人が知らぬ奥山の草なのだろうか。
    恋心が増しても、知ってくれる人はいない。

    好きな人と恋慕っているけれど、相手は知
    ってくれないもどかしさを歌っています。

 注・・しげさ=繁さ。草木の茂み。「草・恋」の
     繁さを掛ける。

作者・・小野美材=おののよしき。902年没。従五位
     下。

出典・・古今集・560。   
    

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