名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年06月

親もなし 妻なし子なし 版木なし 金もなけれど
死にたくもなし
            林 子平

(おやもなし つまなしこなし はんぎなし かねも
 なけれど しにたくもなし)

意味・・私はもう高齢なので両親もいない。結婚もし
    ていないので妻も子もいない。版木も没収さ
    れて無いので収入が入らず金も無い。でも、
    大きな夢があるので死にたくはない。

    子平は高山彦九朗・蒲生君平と並んで「寛政
    の三奇人」と呼ばれながら蘭学者と交際した。
    国の将来を書いた本「三国通覧図説」「海国
    兵談」を著す。これは、16巻三分冊の版木を
    自分で彫ったもの。この二著は政府に意見を
    したかどで、政府の言論統制にひっかかり、
    版木が没収された。このため抗議の意味あい
    でこの歌を詠んでいます。

 注・・版木=木版に絵や文字を彫り木版印刷に使う。

作者・・林子平=はやししへい。1738~1793。経世家。
     仙台藩士。表記の歌に「なし」が六つある
     ので六無斎と号した。

出典・・赤瀬川原平著「辞世の言葉」。 
     

人問はば 山を川とも 答ふべし 心と問はば
如何に答えん
                             放牛

(ひととわば やまをかわとも こたうべし こころと
 とわば いかにこたえん)

意味・・人々がいろんな事を尋ねて来る時がある。場合
    によっては、山を指してあれは川だと言う事も
    出来る。生きて行く為には、私もウソをつく事
    もある。このように苦しい生活をしていれば、
    それも仕方がない事である。しかし、私の本心
    はと聞かれれば何と答えようか。

    地蔵菩薩を路傍に建立するのは、全ての人々が
    極楽浄土に往生するようにと願っているもので
    ある。しかし、本当は政治がよくなり、人々の
    暮しが楽になる事を願っているのである。

    放牛という僧は1722年から11年間に107体の地蔵
    菩薩を、熊本市を中心に菊池・玉名・阿蘇近辺
    に建立した。その地蔵の多くに、この歌のよう
    な道歌が彫られている。

作者・・放牛=ほうぎゅう。生没年未詳。1722年頃に
     活躍した僧。

出典・・インターネット「放牛地蔵」より。

植えてみよ 花の育たぬ 里はなし 心からこそ
身は癒しけれ
            福沢諭吉 (良寛?)

(うえてみよ はなのそだたぬ さとはなし こころ
 からこそ みはいやしけれ)

意味・・種を植えてみれば花の育たない土地はない。
    心さえ込めれば花の命は満足に育つものだ。

    どこに住んでいても楽しい場所になるもの
    だ。いやな人だと思っていても、先ず心を
    込めて交際しなさい。きっと花は育つもの
    だ。花を見れば人々の笑顔があふれ、優し
    い心を取り戻すであろう。

 注・・癒し=病気、苦しみを治す。満足のいく物
     にする。

作者・・福沢諭吉=1834~1901。「西洋事情」。
     作者は良寛とも言われている。

出典・・菊池明著「幕末百人一首」。
    

雨だれに くぼみし軒の 石見ても 堅きわざとて
思いすてめや
            
(あまだれに くぼみしのきの いしみても かたき
 わざとて おもいすてめや)

意味・・長い間、雨だれに打たれて軒の石に窪みが
    出来ている。そのありさまを見るにつけて
    も、何事でも不可能な事だと諦めててしま
    ってよいのか。諦めてはいけないのだ。

    80歳の三浦雄一郎がエベレスト登頂に成功
    した。下山した時の言葉は「エベレストの
    頂上は、夢を見て諦めなければ出来るとい
    う事を教えてくれた。これが僕の宝物です」。

出典・・斉藤亜加里著「道歌から知る美しい生き方」。


下見れば 我に勝りし 者もなし 笠取りて見よ
天の高さを
          
(したみれば われにまさりし ものもなし かさとりて
 みよ てんのたかさを)

意味・・下を見たら自分より勝る人はいない。だからと
    いって満足をしてはいけない。笠を脱いで天の
    高いのを見ることだ。自分より勝っている者は
    多い。常に向上心に心がけることだ。

    馬術の師匠である細野次雲が70歳ばかりの頃、
    その弟子が彼に向かい、「今の世に名人とい
    われる馬術家はどなたか」と尋ねると、「今
    の世に名人と申すは身でおじゃる」と、きっ
    ぱり言って、また、「ただし油断はなり申さ
    ぬ。もしも他に同じような者もあろうかと、
    今日も昼夜の修行工夫を重ねて、やめぬこと
    でおじゃる」と言い添えたという。
    (昔話より)

出典・・木村山治郎編「道歌教訓和歌辞典」。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし
大和魂
                   吉田松陰 

(みはたとい むさしののべに くちぬとも とどめ
 おかまし やまとだましい)

意味・・身はたとえ、武蔵の野辺で朽ち果てようが、
    大和魂だけは朽ちさせることなく、留め置い
    ておこう。
    正しいと信じた事は、死を覚悟してでも断固
    としてやらずにはおれない。これが日本人の
    魂であり、この意志と覚悟を忘れずに持ち続
    けよう。

    どのような困難が待ち受けていても、成し遂
    げる気迫。周りから何と言われようが、やる
    と決めたらやる。阿保になってこそ志が成就
    し誠意が天に通じる。

 注・・大和魂=日本固有の気概のある精神。困難が
     待ち受けていても成し遂げる心意気。明治
     になって、国家への犠牲精神とともに他国
     への排外的・拡張的な姿勢を含んだ語とし
     て用いられ、昭和の初期より軍国主義的な
     色彩を強く帯び、現状を打破し突撃精神を
     鼓舞する意味で使われた。

作者・・吉田松陰=よしだしょういん。1830~1859。29
     歳。幕末の志士、思想家。

出典・・留魂録。

鳥のかげ 窓にうつろふ 小春日に 木の実こぼるる
音しづかなり
            金子薫園 (叙景詩)

(とりのかげ まどにうつろう こはるびに このみ
 こぼるる おとしづかなり)

意味・・部屋の障子には小春日の光が射している。小鳥
    の影が時折障子をよぎって行き、木の実のこぼ
    れる音が時々静かに聞こえて来る。

    小鳥のついばんでいる木の音、時々枝移りして
    いるさま、その影が障子に映って、ついばみこ
    ぼした木の実の音が聞こえて来る。    

作者・・金子薫園=かねこくんえん。1867~1951。東京
     府尋常中学中退。尾上柴舟と共「叙景詩」を
     刊行。

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
          
(なにしょうぞ くすんで いちごはゆめよ
 ただくるえ)

意味・・何になるだろう。真面目くさってみても。
    しょせん、人間の一生は夢のようにはか
    ないものだ。ただひたすらに楽しみ遊べ。

    後から振り返ると、人間の一生は短いも
    の。つらい思いの毎日を過ごしている時
    こそ、狂ったように無責任に振る舞う気
    持ちで人生を楽しむべき・・。

 注・・くすむ=きまじめである、陰気である。
    一期=人の一生、生涯。
    夢=不確かなもの、はかないこと。

出典・・閑吟集。

後れなば 梅も桜に 劣るらん 魁てこそ
色も香もあれ
                           河上弥市

(おくれなば うめもさくらに おとるらん さきがけて
 こそ いろもかもあれ)

意味・・梅は春に先駆けて桜よりも早く咲くから、色や
    香りが人々に愛されるのだ。桜より送れて咲い
    たなら、華やかな桜に見劣りしてしまう。人の
    行動も先駆けてこそだ。

      梅は早く咲くからこそ色香が素晴らしいと感じ
    る。桜の後では桜の美しさにかすんでしまう。
    人の行いも先陣を切るからこそ、価値があるの
    だ。誰もが手掛けていないことに、勇気をもっ
    て恐れず進んでいくことが大事なのである。

作者・・河上弥市=かわかみやいち。1843~1863。20歳。
     幕末の志士。但馬の変で形勢不利になり自決。

出典・・斉藤亜加里著「教訓歌」。
    

冬至夏至けふは夏至なる月日かな
                   及川 貞

(とうじげし きょうはげしなる つきひかな)

意味・・一年中で一番日が短いのが冬至で、長い
    のが夏至である。その繰り返しで年月は
    過ぎ、人は齢(よわい)を重ねてゆく。
    今年の夏至は6月21日。今日は夏至だと
    思うと感慨を催す。

 注・・夏至=太陽が夏至点を通過する時で、北
     半球では昼が最も長く、夜は最も短く
     なる。

作者・・及川 貞=おいかわてい。1899~1993。
     水原秋桜子に師事。家庭の主婦に終始。

出典・・村上護著「今朝の一句」。

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