名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年07月

これやこの 名に負ふ鳴門の 渦潮に 玉藻刈るとふ
海人娘子ども
              田辺秋庭 (万葉集・3638)

(これやこの なにおうなるとの うずしおに たまも
 かるとう あまおとめども)

意味・・これがあの、あの有名な鳴門の渦潮の玉藻を刈
    っているという、海人乙女ですね!

    阿波の鳴門の渦潮だけでなく、山口県の大島の
    鳴門の渦潮も有名であったばかりでなく、そこ
    で舟に乗りワカメなどの海藻を採る海人乙女た
    ちも有名であったらしい。
    都では、「大島の鳴門の渦潮はすごいぞ。しか
    もな、その激しい渦潮の所で、なんと乙女たち
    が玉藻を刈っているらしいぞ」と話題になって
    いたのであろう。
    旅行の楽しみといえば、知らない土地に行って
    知らないものを見る、ということに尽きる。そ
    してもう一つの楽しみは、聞いた事はあるけれ
    ども、行った事のない土地に行く事である。    

 注・・名に負ふ=有名な。
    鳴門=詞書により、山口県柳井市の大島の鳴門。

作者・・田辺秋庭=たなべのあきにわ。生没年未詳。遣
     新羅使の人。

抜けば散る 抜かねば乱る あしひきの 山より落つる
滝の白玉
             藤原長能 (千載和歌集・1036)

(ぬけばちる ぬかねばみだる あしひきの やまより
 おつる たきのしらたま)

意味・・玉を連ねる糸を抜けば散るし、抜かねば乱れる。
    山から落ちる滝の白玉は。

    滝の水しぶきを白玉にたとえ、滝の心地よさを   
    詠んでいます。

 注・・抜けば散る=玉を貫く糸を抜けば散り。
    あしひきの=山の枕詞。

作者・・藤原長能=ふじわらのながよし。949?~1012?。従
     五位上・伊賀守。

待つといふ 一つのことを 教へられ われ髪しろき
老に入るなり
             片山広子 (野に住みて)

(まつという ひとつのことを おしえられ われかみ
 しろき おいにいるなり)

意味・・髪が白くなり、「老いに入る」と自覚を感じる
    年頃になった。人生を振り返ってみると、とど
    のつまりは、「待つ」という事を繰り返して来
    たように思われる。

    人生は「待つ」事の連続だと言っている。
    女性は年々歳々、誰かを、あるいは何かを待ち
    ながら老いを迎える。主人が仕事から帰ってく
    るのを、食事の用意をして待つ。子供が生まれ
    ると、成長するのを手助けしながら待つ。良い
    学校に入る事を待ち、就職する事を、結婚する
    事を待つ。この「待つ」の中に喜びがあり楽し
    みもあるのだが・・。自分自身の力を発揮させ
    るためには何をしただろうか・・。

作者・・片山広子=かたやまひろこ。1878~1957。東洋
     英和女学校卒。佐々木信綱に師事。アイルラ
     ンド文学の翻訳家。

思ひきや 深山の奥に 住まひして 雲井の月を
よそに見んとは
           建礼門院 (平家物語)

(おもいきや みやまのおくに すまいして くもいの
 つきを よそにみんとは)

意味・・このような深山の奥に寂しく住んで、昔宮中で
    楽しく眺めた月を、落ちぶれた者として眺める
    身の上になろうなどと思ったであろうか。全く
    思いがけないことであった。

    昔は、平清盛の娘として、高倉天皇の皇后とし
    て振舞っていたが、源平の壇ノ浦の戦いで負け、
    出家して寂光院で尼の姿になった。その昔は錦
    などの立派な織物を着ていたが、今では麻の衣
    や紙で作った寝具。あの宮中にいた頃はこんな
    身にまで落ちぶれるとは思っていただろうか。

 注・・雲井=皇居、宮中。
    よそ=余所。かけ離れた所。

作者・・建礼門院=けんれいもんいん。1155~1213。平
     清盛の娘。高倉天皇の皇后。壇ノ浦の戦いで
     入水するが、助けられて寂光院で尼になり質
     素な生活をする。

まかりきて ちゃみせにたてど 門院を かたりしこえの
みみにこもれる
               会津八一 (鹿鳴集)

(罷り来て 茶店に立てど もんいんを 語りし
 声の 耳に籠もれる)

詞書・・大原に三千院寂光院を訪ふ。

意味・・寂光院を辞して茶店に来たが、建礼門院の
    身の上を語った尼僧の声が未だに耳に残っ
    ている。

    寂光院には尼僧が住んで居り、訪れる人に
    幕(とばり)をかかげて建礼門院の像を見せ、
    涼しい声で平家の哀史「大原御幸」の巻を
    語ってくれる。その声が、寺の側らの茶店
    に来て立つ時、耳底に響いてくる、と言っ
    ている。

    
 注・・まかり=罷り。高貴の所から退出する。「帰
     る」の謙遜語。
    門院=建礼門院。平清盛の娘。高倉天皇の
     皇后。安徳天皇の母。1185年壇ノ浦で海
     に身を投げたが、救われて京都に還り、
     出家して寂光院に住む。
    大原=京都の北方約12キロの地にある村落。
     寂光院・三千院などのお寺があり、大原
     女で名高い。
    寂光院=建礼門院平徳子の遺跡があり、平
     家物語「大原御幸」の巻で名高い。

    
参考・・平家物語「大原御幸の巻」の要旨です。

    八島を追われた平家は、長門の国、壇ノ浦
    まで落ちのびたが、ついに武運尽きて、平
    知盛以下多くの人々が海底に沈んだ。1185
    年3月24日のことであった。清盛の妻二位
    の尼も安徳天皇を抱いて入水し、建礼門院
    もその後を追った。しかし建礼門院は、源
    氏の軍に救われて京都に連れ戻された。そ
    の後、建礼門院は京都東山の麓・吉田の里
    に住まわれたが、その年5月、29歳で出家、
    9月の末に京都の北郊大原の里の寂光院に
    お入りになり、念仏三昧の生活を送られる
    ようになった。翌年、後白河法皇が建礼
    門院を訪れてその御心を慰めようとなさっ
    たのが「大原御幸」の巻である。建礼門院
    の落ちぶれた姿を見て涙を流すばかりであ
    った。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早
     大文科卒。仏教美術史研究家。文学博士。
     歌集「鹿鳴集」。
    

ふくる夜の 灯のかげを おのづから 物のあはれに
むかひなしぬる
            花園院

(ふくるよの ともしのかげを おのずから ものの
 あわれに むかいなしぬる)

意味・・夜がふけてきたため、部屋の片隅に灯してある
    燭台の明りが際立って見えるようになった。
    それでいてその際立ち方がなんとなく寂しくて
    物の哀れを誘う。私はその哀れにひきつかられ
    るようにその前に黙然と座っている。

    南北朝の対立、大火災の続発、地震などで世間
    が騒然とした空気のもとに詠まれています。

    
 注・・あはれ=寂しさ、悲しさ。

作者・・花園院=はなぞのいん。1297~1348。第95代の
     天皇。1335年出家。

出典・・後藤安彦著「短歌で見る日本史群像」。

馬は足 扇はかな目 舟は舵 人は心を
用いこそすれ
          細川幽斎 (幽斎公御掟)

(うまはあし おうぎはかなめ ふねはかじ ひとは
 こころを もちいこそすれ)

意味・・皆それぞれに大切なものがあり、それがなけ
    れば何の値打ちもなくなるものである。馬で
    言えば足であり、扇では要である。舟では舵
    がなければ用をたさない。人も同じで真心が
    なければ人として生きられないのだ。

作者・・細川幽斎=ほそかわゆうさい。1534~1610。
     熊本細川藩の祖。剣術・茶道・和歌など武
     芸百般に精通。


現在の 口先だけの 自然保護 「もののけ姫」観て
一から見直す
                新井悠子

(げんざいの くちさきだけの しぜんほご 「もののけ
 ひめ」みて いちからみなおす)

意味・・自然保護が叫ばれているが、現在の様子を見て
    いると、口先だけのように感じられる。映画「
    もののけ姫」を観て、自然保護を一から見直す
    ようになった。

    「もののけ姫」は宮崎駿原作・脚本・監督によ
    る映画。この物語は、中世から近世に移行しょ
    とする日本を舞台に展開する。人間が増える事
    により、次々と原生林が切り拓かれていったが、
    そこにはまだ人間を寄せ付けない太古の原生林
    が残っていた。生きるために森を拓こうとする
    人間、逆に生きるために森を守ろうとする神々、
    この両者の壮絶な戦いに巻き込まれていく主人
    公のアシタカ。まさに波乱に満ちた一大叙事詩
    といえる内容です。

    自然保護が叫ばれながら、山が崩され宅地とな
    って行く。農薬により水辺の昆虫、トンボなど
    が減っている。自然保護の大切さを改めて感じ
    て詠んだ歌です。

作者・・新井悠子=あらいゆうこ。川越西高校生。’98
     年当時、17歳。

出典・・神作光一・大滝貞一編「短歌青春」(東洋大学「
     現代学生百人一首」)
   

若ければ 道行き知らじ 賄はせむ 黄泉の使
負ひて通らせ
            山上憶良 (万葉集・905)

(わかければ みちゆきしらじ まいはせん したえの
 つかい おいてとおらせ)

詞書・・男子(おのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌。

意味・・古日は年端もいかない幼い子。どう行ってよい
    か分りますまい。贈り物をしますから、黄泉の
    国の使いよ、どうぞ、あの子を背負って行って
    やって下さい。

    我が子、古日が急病にかかり亡くなった時に詠
    んだ歌です。

    この歌の前に歌われた長歌の一節です。

    我が子の古日は、明けの明星の輝く朝には、床
    のあたりを離れず、立っていても、座っていて
    も、一緒に遊び戯れ、宵の明星の輝く夕方にな
    れば、さあ寝ようと手を引いて、あどけなく、
    こう言った。「おとうさんもおかあさんも、ぼく
    のそばを離れないで。ぼく、真ん中に寝るんだ」
    ・・・。

 注・・賄(まひ・まひなひ)=人に物を贈る、賄賂を贈る。
    黄泉(したへ)=下方。地下、あの世。黄泉(よみ)。
     人の死後、魂がが行くという所。冥土。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。遣唐使
     として渡唐。筑前守。大伴旅人と親交。


いづこにも 咲きはすらめど 我が宿の 山と撫子
誰に見せまし
              伊勢 (拾遺和歌集・132)

(いずこにも さきはすらめど わがやどの やまと
 なでしこ たれにみせまし)

意味・・どこにも咲きはするものかも知れないが、この
    素晴らしい我が家の大和撫子を、あなた以外の
    誰に見せようか。あなたた以外に見せる人はい
    ない。・・・あなたに見てもらいたい。

作者・・伊勢=いせ。874~938。宇多天皇の后・温子に
     仕える。家集「伊勢集」。
    

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