名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年08月

六十七歳の 老のよろこびを 誰に告げむ 剣岳の上に
けふ岩を踏む
                    松村英一 

(ろくじゅうななさいの おいのよろこびを たれにつげん
 つるぎのうえに きょういわをふむ)

意味・・老いを自覚しだした67歳になる中で、念願の剣岳の
    頂上の岩を今日踏んだ。この嬉しさは誰が分かって
    くれるだろうか。

    英一が三千メートル級の山に登りだしたのは六十歳
    を過ぎてからで、やっと待望の剣岳の登頂を、老い
    を自覚する六十七歳になって出来た事と、長年の憧
    れが只今実現したという喜びを詠んでいます。

 注・・剣岳=北アルプス北部の立山連峰にある2999mの山。
     日本百名山の一つ。一般登山者が登る山で、多く
     の岩場があり危険度の最も高い山とされている。

作者・・松村英一=まつむらえいいち。1889~1981。高等小
     学校中退。窪田空穂に師事。

出典・・歌集「雲の座」。

猫を飼はば その猫がまた 争ひの 種となるらむ
かなしきわが家
             石川啄木 (かなしき玩具)

(ねこをかわば そのねこがまた あらそいの たねと
 なるらん かなしきわがや)

意味・・もし猫を飼ったら、その猫がまた母と妻の争い
    の原因となることだろう。なんと悲しいわが家
    よ。

    普通の家庭では猫はペットであるのに、我が家
    ではトラブルの原因になると訴えることで、異
    常な安らぎのない家庭を嘆いています。
    この当時は母と妻との円滑を欠いていた。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
     歳。盛岡尋常中学校中退。代用教員・新聞校
     正係と転々。「一握の砂」「かなしき玩具」。

楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは
たかきいやしき
                  島津忠良 

(ろのうえも はにゆうのこやも すむひとの こころに
 こそは たかきいやしき)

意味・・立派な家に住んでいても、みすぼらしい草葺の
    家に住んでいても、人間の価値には関係がない。
    心掛けが立派であれば、その人は尊敬されるの
    である。

 注・・楼(ろ)=楼(ろう)。二階建て以上の高い建物。
    はにふの小屋=埴生(はにゆう)の小屋。草葺
     のみすぼらしい小屋。

作者・・島津忠良=しまづただよし。1492~1568。薩摩
     ・島津家の初代武将。

出典・・日新公いろは歌。

仏蘭西語 片言にいふ 児がこえの 涼しきかもよ 
「ぼんじゅる・むっしゅ」
            金子薫園 (新万葉集・巻二)

(ふらんすご かたことにいう こがこえの すずしき
 かもよ 「ぼんじゅる・むっしゅ」)

詞書・・長男暁星小学校入学。

意味・・フランス語を片言に言う児の声が、涼しく響い
    て聞こえてくる。「ぼんじゅる・むっしゅ」と。

    東京にある暁星学園では、小学校の正課中にも
    フランス語の授業が組み込まれていた。
    「ぼんじゅる・むっしゅ」は「こんにちは」の
    意味で、それが朝のうちに使われれば「お早う」
    ともなる。

作者・・金子薫園=かねこくんえん。1876~1951。落合
     直文に師事。尾上柴舟と「叙景詩」を共編。

蝉鳴くや行者の過ぐる午の刻
                  蕪村 

(せみなくや ぎようじゃのすぐる うまのこく)

意味・・真昼時の暑いさ中、鳴きしきる蝉の下を
    おし黙った修行者の一行が通り過ぎて行
    く。

    炎天下を気合を入れて歩く姿が思い浮か
    ばれます。

 注・・行者=山伏などの修行者。
    午の刻=昼の12時。

作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。南宗画でも
     大家。

出典・・蕪村全句集・1243。

朝露によごれて涼し瓜の泥
                 芭蕉 (笈日記)

(あさつゆに よごれてすずし うりのどろ)

意味・・夏の朝、裏の畑に出てみると、露がしっとりと
    降りている。地面にころがっている瓜も露に濡
    れて、肌に黒い泥が少しついて汚れているが、
    かえってそれが涼しげである。

    冷たい西瓜は味覚に涼しい。風鈴は聞いて涼し
    い。視覚に涼しいのは氷の塊とか流水、洗い立
    ての肌着、果物、朝顔の花・・・。それに朝の露。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

夕ぐれを 花にかくるる 小狐の にこ毛にひびく
北嵯峨の鐘
                与謝野晶子 

(ゆうぐれを はなにかくるる こぎつねの にこげに
 ひびく きたさがのかね)

意味・・まだ明るく静けさの漂う夕暮れ、京、北嵯峨
    の野、飛び廻り飛びまわりして遊びほけてい
    たかわいい小狐、折りから近くの寺で撞き鳴
    らす「ゴーン」という重々しい力のこもった
    入相の鐘。それを聞いたとたんびっくりして
    草花のかげに身を隠してしまった。その晩鐘
    の音響の余韻は、小狐の背のふっくらと柔ら
    かな毛をも微かに震わせています。

 注・・にこ毛=和毛。繊細な毛。
    北嵯峨=古都・京都の大覚寺のあたり。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。堺
     女学校卒。

出典・・歌集「みだれ髪」。

ひぐらしは 時と鳴けども 片恋に たわや女我は
時わかず泣く
             詠み人知らず (万葉集・1982)

(ひぐらしは ときとなけども かたこいに たわやめ
 われは ときわかずなく)

意味・・ひぐらしは今こそ時が来たとばかり鳴いている
    けれど、か弱い女であるこの私は、片思いに一
    日中泣き濡れている。

 注・・ひぐらし=かなかな蝉。甲高い鳴き方をする。
    たわや女我=自分を、か弱い女としてとらえた
     表現。
    時わかず泣く=時を分(わか)たず常に、の意。
    

風雪に身を屈するは快し

               瀧春一 

(ふうせつに みをくっするは こころよし)

意味・・風雪に耐え忍ぶ事は、困難や苦労が重な
    る事を意識する時は、力が湧いて来るも
    のだ。

    「風雪」という言葉は、風や雪というより、
    「風雪に耐えて生きる」というように、艱
    難辛苦の歳月を指す事が多い。風雪が何故
    艱難辛苦を表す言葉になったのか。吹雪の
    中にいて風雪に耐える事は正に艱難辛苦で
    あるからである。
    「身を屈する」は、すなわち苦難の試練を
    受けて耐える姿を言っている。
    寒さが厳しかったり、雪に真向かねばなら
    ない時、むしろ身体の芯が熱くなって来て
    力が湧き上がってくるような昂ぶりを覚える
    事がある。だらけた状態にあるよりも、む
    しろ身体が引き締まって生きる勇気が湧いて
    来るものである。
    経済的な事や私生活の事での苦悩、他人か
    らの悪評、このような逆境、これらから逃
    げるのではなく、耐えようと意識する時、
    身の芯から力が湧き生き甲斐を感じる。

 注・・風雪=雪や風。艱難辛苦。苦労、逆境。
    身を屈する=くじける、負けて服従する。
    快し=気持ちがよい、楽しい。

作者・・瀧春一=たきはるいち。1901~1996。水原
     秋桜子に師事。

出典・・句集「瓦礫」。

耳もなく 目なく口なく 手足無き あやしきものと
なりはてにけり
            若山牧水 (路上)

(みみもなく めなくくちなく てあしなき あやしき
 ものと なりはてにけり)

意味・・何を聞く気持ちにもならない。何を見るという
    気持ちにもならない。また何を言おうという気
    持ちもないし、何をなし、どこに行こうという
    ような事も考えない。自分は全くあやしい奇妙
    なものになってしまった。

    若さに満ち溌剌として、希望に燃えていた少し
    前までの自分を思い浮かべ、恋愛にも仕事にも
    失敗し、希望も意欲もすっかり失ってしまった
    現在の自分のみじめな姿に対して自嘲して詠ん
    だ歌です。

 注・・耳もなく=何も聞かない、何も聞きたくない。
    目なく=何も見ない、
    口なく=何も言わない。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。早
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

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