名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年08月

花見れば 咲かせた根元の わざを知れ 天恵地恩
ゆめゆめ忘るな
             作者不明

(はなみれば さかせたねもとの わざをしれ てんけい
 ちおん ゆめゆめわするな)

意味・・きれいな花を見ると、我々はその美しさや香りに
    魅了され、うっとりしてしまうが、それだけに終ら
    せずに、咲かせた根っこの働きや、丹精こめて育
    てた人のこと、また天の恵みや大地の恩のある事
    を決して忘れてはならない。

    今の自分は、一人で何もかもやってきたつもりで
    いるが、家族を含め多くの人々の支えがあった事
    を忘れてはならない。

 注・・わざ=技。業。技能、仕事。
    ゆめ=下に禁止の語がつき、決して。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生の
     極意」。
 

晴るる夜の 星か川辺の 蛍かも わが住む方の
海人の焚く火か
            在平業平 (新古今・1591)

(はるるよの ほしかかわべの ほたるかも わがすむ
 かたの あまのたくひか)

意味・・あれは晴れた夜空の星か、川辺を飛ぶ蛍か、そ
    れとも私が住んでいる芦屋の里方角に見える、
    海人の焚く漁火(いさりび)だろうか。

    伊勢物語87段に出て来る歌で「芦屋の里に行き
    て住みけり」とあるので、芦屋の里の方向にあ
    る漁火と分っていながら、明滅するその光を夜
    空の星や川辺の蛍に見立てて、疑ってみせてい
    ます。

 注・・漁火(いさりび)=漁をするためにつける火。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。従
     四位上・美濃権守。六歌仙の一人。「伊勢物
     語」。

叩くとて 宿の妻戸を 開けたれば 人もこずえの
水鶏なりけり
           詠み人しらず (拾遺和歌集・822)

(たたくとて やどのつまどを あけたれば ひとも
 こずえの くいななりけり)

意味・・戸を叩く音がすると思って、家の戸を開けて
    みたら、待つ人が訪ねて来たのではなくて、
    梢の水鶏の鳴く声だった。

    水鶏の声を、待つ人が叩くのかと思い、期待
    外れで落胆を詠む。

 注・・妻戸=開き戸。引き戸の対。
    人もこずえ=「梢」に「人も来ず」を掛ける。
    水鶏=水辺に住む鳥で、鳴き声が戸を叩く音
     に似ている。


もののふの 草むすかばね 年ふりて 秋風寒し
きちかうの原
             加藤宇万伎 (静舎集)

(もののうの くさむすかばね としふりて あきかぜ
 さむし きちこうのはら)

意味・・武士たちが戦って死んだあと年月がたっている
    が、今通り過ぎると秋風が寒いことだ。ここ桔
    梗が原は。

    中仙道を通って大阪に行く旅の途中、塩尻から
    洗馬へ通じる高原で、1553年武田信玄と小笠原
    長時の戦った古戦場で、戦死者の塚も残ってい
    ると聞いて詠んだ歌です。
    武士として古戦場の跡に立ち、戦い死んだ武者
    たちをしのんでいます。

 注・・きちかう=ききよう。桔梗。秋の七草で紫色の
     花が咲く。

作者・・加藤宇万伎=かとううまき。1721~1777。幕府
     の大番騎士。賀茂真淵の門下で上田秋成の師。

何か思ふ 何をか嘆く 世の中は ただ朝顔の
花の上の露
           詠み人知らず (新古今・1917)

(なにかおもう なにをかなげく よのなかは ただ
 あさがおの はなのうえのつゆ)

意味・・何を思い煩うのか。何を嘆くのか。この世の中は
    ただ朝顔の上に置いた露のようにはかないのだ。

    参考歌です。

消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ
世を嘆くかな           
             紫式部(紫式部集)

(きえぬまの みをもしるしる あさがおの つゆとあらそう
 よをなげくかな)

意味・・朝顔はまたたくまにしぼんでしまう。それは知って
    います。それを知りながら、露と長生きを争ってい
    るようなもので、世の中のはかなさを思わずにいら
    れない私なのです。

    顔の美しさを誇りにしていた友人が、疱瘡にかかり
    顔にみにくい痘痕(あばた)が残り、生きる気力を無
    くしたので励ますために贈った歌です。

    人間は、しょせん短い命なので、争わず(恥を気に
    せずに)自分なりに力一杯生き抜いて欲しいという
    気持の歌です。

    以下は参考です。
    「不幸」についての考え方の一つ、二つです。
    
    童門冬二の小説「山本常朝」より。

    「人間の生き方には二通りあると思う。
     つまり、自分が経験した不幸を、その後の生き
     方にどう活用するかということだ。
     ひとつは、自分の不幸を世の中への対抗要件に
     して、仕返しをしてやろうとか、報復してやろ
     うと思う生き方だ。しかしこれは自分の不幸の
     活用ではない、悪用だ。つまりその動機はすべ
     て私心だからだ。私欲だ。自分がこれだけ不幸
     な体験をしたのだから、世の中のあらゆる人間
     にも不幸をばらまき、汚染させてやろうという
     考えだ。これは間違っている。
     反対にもうひとつの生き方は、自分の不幸をバ
     ネにして、正しく生きようと努力することだ。
     そして、自分が体験した不幸は絶対に他人に味
     わせてはならない。そのために自分は自分の不
     幸を押し隠して、あくまでもそれを忍び、耐え、
     世の中の人を喜ばせようとだけ 考えることだ。
     これは自分の不幸を活用している事になる。」



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