名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年09月

あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに
なりぬべきかな
              藤原伊尹
          (拾遺和歌集・950、百人一首・45)

(あわれとも いうべきひとは おもおえで みの
 いたずらに なりぬべきかな)

詞書・・語らっていた女性が、その後冷淡になって、
    少しも逢わなくなってしまったので。

意味・・ああ気の毒だと言ってくれそうな人は思い
    浮かばないまま、恋に敗れた我が身はこの
    ままむなしく死んでしまいそうです。

    失恋の痛手に身も心も弱り果てた男の心の
    状態を詠んでいます。

 
 注・・あはれ=気の毒だ、ふびんだ。
    身のいたづら=身をむだにすること、死ぬ
     ことをいう。

作者・・藤原伊尹=ふじわらのこれまさ。924~972。
     正二位太政大臣。

秋風やむしりたがりし赤い花

               一茶 (おらが春)

(あきかぜや むしりたがりし あかいはな)

詞書・・さと女三十五日墓。

意味・・秋風も立つようになった。あの赤い花は
    死んだ「さと」がいつもほしがり、むし
    りたがっていた花だったよ。

    疱瘡で死んだ長女の「さと」の五七の忌
    (三十五日)に際して墓参りをした時の句
    です。

 注・・秋風=凋落のきざしを象徴し、身にしむ
     哀れをそぞろ掻き立てるものと意識さ
     れている。

作者・・一茶=いっさ。1763~1827。信濃(長野)
     の農民の子。三歳で生母に死別し、継母
     と不和のため、十五歳で江戸に出て、奉
     公生活に辛酸をなめた。夏目成美の庇護
     を受ける。

朝顔は下手の描くさへ哀れなり
                   
               芭蕉 (いつを昔)

(あさがおは へたのえがくさえ あわれなり)

詞書・・嵐雪が描きしに、賛望みしに。

意味・・はかない物としてしばしば和歌や漢詩に
    詠まれる朝顔であるだけに、下手な人が
    描いた絵であっても、哀れを感じさせる
    ものだ。

    朝顔は、朝咲いて夕方にはしぼむので儚
    (はかな)いイメージが、次の漢詩や歌のよ
    うに、平安朝から持たれるようになった。
 
    白居易の漢詩には、

   「松樹千年終(つい)にこれ朽ちぬ、槿花(
    きんか)一日己づから栄をなす」があり、

    (松は千年の齢をたもつというけれども、
    朽ちはてる時がある。朝顔の花は悲しい
    花だとはいうけれども、自然彼らなりに
    一日の栄えを楽しんでいる。他をうらや
    まず己の分に安ずべきことをいう。)

    また、藤原道信は拾遺和歌集に次の歌を
    詠んでいる。

   「朝顔を なにはかなしと 思ひけむ 
    人をも花は いかが見るらむ」

                
    (朝顔の花を人はどうしてはかないものだ
    と思っていたのだろう。人間こそはかな
    いものではないか、花はかえって人間を
    どのように思って見るだろうか。)

    このように、花の命の短さは無常観とが
    結びつき「哀れなり」のイメージとなる。

    嵐雪が描いた朝顔の絵は優しく、はかない
    朝顔の本情をのがさず見事に捉えている
    ので、下手でも味わいのある絵だと褒め
    た画賛句です。

 
 注・・嵐雪=服部氏。蕉門十哲の一人。1707年
     没。

作者・・芭蕉=ばしよう。1644~1695。

よそなれど おなじ心ぞ 通ふべき 誰も思ひの
一つならねば
            藤原実資

(よそなれど おなじこころぞ かようべき たれも
 おもいの ひとつならねば)

意味・・離れて住んでいるけれど、あなたと私はきっ
    と同じ心が通っているに違いあいません。
    こんなに悲しい思いをするのは、たぶん私達
    二人だけでしようから。

    実資(さねすけ)の妻が病死してしまい、やる
    せない思いをしているちょうどその頃、藤原
    為頼(紫式部の叔父)の妻が亡くなったと聞い
    て為頼に贈った歌です。

    平安の貴族達は日常のやり取りは歌で行って
    いた。

    為頼が応えた歌です。

   「一人にもあらぬ思ひはなき人も旅の空にや
    悲しかるらむ」

    (私だけでなく、あなたも同じ悲しみを味わっ
    ていられると知って、私の妻も死の旅空で悲
    しく思っていることでしょう。)

 注・・よそ=余所。かけ離れた所。ほかの場所。
    思ひ=心配、悲しみ。願い、望み。

作者・・藤原実資=ふじわらのさねすけ。957~1046。
     従一位右大臣。日記史料「小右記」。

出典・・後藤安彦著「日本史群像」。

盗人も とられるわれも もろともに 同じ蓮の 
うてななるらむ
            放牛

(とうじんも とられるわれも もろともに おなじ
 はちすの うてななるらん)

意味・・お金を盗んだ人も、取られた私も、また人々も
    いつかは同じ蓮の上に座る身となるものである。

    放牛は道端で説教・説話をしながら、浄財を集
    めました。その貴重なお金を用いて石仏を建立
    していたのですが、盗られたことがあったので
    しょうか。

    せっかく集めた貴重なお金を、盗人にとられて
    しまった。これではお地蔵様の建立が遅れてし
    まう。しかし、盗られたお金もいつの日か、人
    の役に立つかもしれない。ひょっとして、盗人
    の家族が飢え死にしないのかもしれない。

    考えてみれば、この世界は汚れきった池のよう
    なものだ。そのような中で、私たちは一生懸命
    生活をしている。汚れた池であっても、あのよ
    うにきれいなハスの花が咲くではないか。

    盗人も人々も、そして私もいづれは仏に仕える
    身になるのである。

 注・・うてな=台。蓮台。極楽往生したものが座ると
     いう蓮の花の形をした台。

作者・・放牛=ほうぎゅう。生没年未詳。1722年頃に
     地蔵菩薩の建立に活躍した僧。

出典・・インターネット「放牛地蔵」より

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