名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年10月

美しく 粧ふけふの 月の顔 詠めあかさで
ぬるはおしろい
              腹唐秋人

(うつくしく よそおうきょうの つきのかお ながめ
 あかさで ぬるはおしろい)

意味・・美しく化粧している今夜の明月の顔を、ながめ
    明かすこともしないで、早く寝るのはまことに
    惜しいことである。

    おしろいを塗ってきれいに化粧した顔にかかわ
    らず、風流を解しない心の持ち主を、あざけっ
    て詠んでいます。

 注・・ぬる=「寝る」と「塗る」を掛ける。
    おしろい=「白粉」と「惜し」を掛ける。

作者・・腹唐秋人=はらからのあきひと。1758~1821。
     日本橋の商家の番頭。洒落本作家。書家。

業平に泣面作らする都鳥
                 烏山猫角

(なりひらに べそつくらする みやこどり)

意味・・「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ
    人はありやなしやと」と、都の名が懐かし
    く、恋人を思い出した業平は、隅田川まで
    たどり着いた時、都鳥を見て泣きべそをか
    いたのだろう。

    「伊勢物語」には、「舟こぞりて泣きにけり」
    とあり、詠んだ当人も泣いたに違いない。

    古典の「雅(みやび)」を「べそ作る」と卑近
    にして滑稽さを詠んでいます。

作者・・烏山猫角=伝未詳。江戸時代初期の川柳作歌。

出典・・鈴木勝忠校注「川柳」。
    

道知らば 摘みにもゆかむ 住江の 岸に生ふてふ
恋忘れ草
                  紀貫之 

(みちしらば つみにもゆかん すみのえの きしに
 おうちょう こいわすれぐさ)

意味・・道がわかりさえすれば、摘みにだって行くものを。
    住江の岸に生えているという恋を忘れさす草を。

 注・・住江=大阪市住吉付近の入江。

作者・・紀貫之=872年頃の生まれ。古今集の撰者の一人。
     
出典・・古今和歌集・1111。

夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に 
こほろぎ鳴くも
          湯原王 (万葉集・1552)

(ゆうづくよ こころもしのに しらつゆの おく
 このにわに こおろぎなくも)

意味・・月の出ている夕暮れ、心がしんみりするよう
    に、庭の草にしっとりと白露が置いている。
    さらに寂しさを添えるように秋の虫が鳴いて
    いる。

 注・・心もしのに=心がうちしおれるばかりに。
    こほろぎ=秋鳴く虫のすべてをいう。

作者・・湯原王=ゆはらのおおきみ。生没年未詳。
     志貴の皇子の子。

月さえて 野寺の鐘の 声すなり いまや草葉の
霜もみつらん
                木下長嘯子

(つきさえて のでらのかねの こえすなり いまや
 くさばの しももみつらん)

意味・・空には月が冷え冷えと輝いていて、遠い野の果
    てにある寺院の鐘が静かに聞こえて来る。もう
    すぐ夜の霜が降りて草の葉も白く染められてし
    まうだろう。

    張継の漢詩「楓橋夜泊」の詩情を念頭に入れた
    歌です。

    参考です。

    楓橋夜泊 (ふうきょうやはく)  張継

     月落烏啼ないて 霜天に満みつ  
        (つきおちからすないて しもてんにみつ)
     江楓漁火 愁眠に対す
        (こうふうぎょか しゅうみんにたいす)
     姑蘇城外の寒山寺
        (こうそじょがいのかんさんじ)
     夜半の鐘声 客船に到る
        (よわのしようせい かくせんにいたる) 

   (月が西に沈んだ闇夜に、烏の鳴き声が響きわたり、
    あたりは凛とした霜の冷気に満ち満ちている。
    岸辺の楓と明るく輝く漁火が、眠れず物思いにふ
    ける私の目に映る。姑蘇城の外れの寒山寺からは
    夜半を知らせる鐘の音が、この客船まで聞こえる)

  
注・・さえて=冴えて。冷えて。
    霜満天=霜の降りるような寒さが一面に満ちわたる
    江楓=川のほとりのかえで。
    漁火=夜、魚をとるために船でたく火。
    愁眠=旅の寂しさから、寝つかれずうつらうつらし
    ていること。
    姑蘇=蘇州の別名。
    寒山寺=蘇州市の郊外にある寺。

作者・・木下長嘯子=きのしたちょうしょうし。1569~16
    49。秀吉に仕えたが関が原の戦い後幽居。細川幽斎
    と親交。

出典・・後藤安彦著「日本史群像」。

なかば来て高根ながめの一休み
                 新渡戸稲造 (修養)

(なかばきて たかねながめの ひとやすみ)

意味・・自分は今まさに三十五才。人生の半ばを過ぎた
    から、ここで一休みしょう。しかしその休みは
    放蕩に用いるのではない。のらくらする積もり
    でもない。高い所に目をつけて修養しよう。

 
    三十五才の時、七、八年は仕事が出来ないとい
    う病気にかかった。この頃に詠んだ句です。
    大病という逆境に陥って、生きる望みを失うの
    ではなく、大病は人生において、一休みなのだ
    と自分に言い聞かせた句です。

    健康な時は雑務で忙殺され、静かに思う機会が
    ない。病床にあって、天井を眺めている時を善
    用すれば何か得る所があるだろう。健康な時に
    知る事の出来ぬ何かを得る事が出来るだろう。

    この一休みの間に、「農業本論」とか「武士道」
    という本を書いています。
    我々も本は書けなくとも、本を読む事は出来る。

 注・・高根=高い峰。

作者・・新渡戸稲造=にとべいなぞう。1862~1933。札幌
     農学校卒。農学者、教育学者。東京女子大初代
     学長。「武士道」。
    

急ぎ行く足に踏まるる露の珠
                新渡戸稲造 

(いそぎゆく あしにふまるる つゆのたま)

意味・・時は夏、庭に生い茂った草に朝露が降りて、朝日に
    輝いて珠のように輝いている。生垣の外では人々が
    忙しげに往来している。あの人達は朝早くから活動
    しているのに、自分はむなしく病床にて何の役にも
    立たぬ。いま露の珠のような自分も、彼らに踏み倒
    されるばかりである。置く露の果敢(かかん)なさが
    ひしひしと胸にきざまれて無念でたまらない。

    35歳の時、医師から全快まで7,8年かかる、いっさい
    仕事をしないように言われて、札幌農学校に辞表を
    提出。「男盛りでこれが無念でならない。夜中にこれ
    を思い枕を濡らした」と述懐して詠んだ句です。

作者・・新渡戸稲造=にとべいなぞう。1862~1933。札幌農
     学校卒。札幌農学校教授。農学者、教育者。著書
     「武士道」「修養」。

出典・・修養。

きりぎりす 声はいづくぞ 草もなき しらすの庭の
秋の夜の月
             永福門院 (風雅和歌集・556)

(きりぎりす こえはいずくぞ くさもなき しらすの
 にわの あきのよのつき)

意味・・こおろぎよ、お前の声はどこから聞こえて来る
    のか。草もない白洲の庭に輝く秋の夜の月光の
    もとで。

 注・・きりぎりす=現在のこおろぎのこと
    しらす=白洲。白い砂を敷いた庭。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。伏見
     天皇の中宮。


いづくにて いかなることを 思ひつつ こよひの月に
袖しほるらん
                 建礼門院右京大夫
              
(いずくにて いかなることを おもいつつ こよいの
 つきに そでしおるらん)

詞書・・寿永二年(1183年)の秋、月明るい夜、風も雲の
    様子もことに悲しく感ぜられるのを眺めて、都
    の外にいる人(資盛・すけもり)の事に思いはせ
    て詠みました歌。

意味・・あの人は、どこで、どんな事を思いながら、今夜
    のこの月を眺めて、涙で袖を濡らしている事でし
    よう。

    平家の没落期で、源氏に追われて都落ちしている
    恋人の平資盛(すけもり)を思い、悲しみにくれて
    詠んだ歌です。
    歌を詠んだ二年後の1185年に、壇の浦の戦いで、
    資盛ら平家一族は滅亡します。

作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうきよう
     のだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の中宮・
     建礼門院に仕えた。平資盛との恋愛の悲しみの
     日々を「建礼門院右京大夫集」に書き綴る。

出典・・玉葉和歌集。 
  

来や来やと 待つ夕暮れと 今はとて 帰る朝と
いづれまされり
             元良親王 (後撰和歌集・510)
(こやこやと まつゆうぐれと いまはとて かえる
 あしたと いずれまされり)

待つ宵に 更けゆく鐘の 声聞けば あかぬ別れの
鳥はものかは
            小侍従 (新古今・1191、平家物語)
(まつよいに ふけゆくかねの こえきかけば あかぬ
 わかれの とりはものかは)

意味・・来るか来るかと思いつつ恋人を待ちわびる夕暮
    れと、一夜をともにして帰って行く男を見送る
    朝とでは、どちらがつらさがまさっているでし
    ようか。

意味・・来ぬ人を待つ宵に、夜明けを知らせる鐘の音を
    聞くあわれの深さを思えば、暁の別れを促す憎
    い鳥の聞くあわれなどとうてい及ぶものではあ
    りません。

 注・・当時の貴族社会は一夫多妻制で、夫は妻の家に
     通っていた。
    今はとて=今はこれでお別れ、の意。
    いづれまされり=辛さという点でどちらが勝っ
     ているだろうか。
    待つ宵=通ってくる人を待つ夜。
    あかぬ別れ=辛い別れ。

作者・・元良親王=もとよしのみこ。889~943。三人の
     妻の他五人の側女がいた。
    小侍従=こじじゅう。1201~?。八十歳前後生
     存。高倉院に仕えたに女房。上記の歌を詠み、
     待宵の小侍従と呼ばれた。


このページのトップヘ