名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年11月

奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり
物な思ひそ
                 貴船明神

(おくやまに たぎりておつる たきつせの たまちる
 ばかり ものなおもいそ)

意味・・奥山で湧き返って流れ落ちるこの貴船川の激流
    が玉となって散るように、そんなに魂が散り失
    せるほど、物を思うのではないのだよ。

    和泉式部が男に振られた時、貴船神社に参詣し、
    みたらし川に蛍が飛んでいるのを見て詠んだ歌
    の返歌です。

   「物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる
    たまかとぞみる」   (後拾遺和歌集・1164)

    (私があまりにも物を思っているので、貴船の清
    流の上を沢山飛んでいる蛍も、私の体からふらふ
    ら抜け出た魂のように思われます)

    貴船明神は「あまり思いわずらわないで、身をいた
    わりなさい」と慰めている。

 注・・滝つ瀬=わきかえり流れる急流。
    玉ちるばかり=激流のしぶきの玉が散るように。
     魂が散り失せるように。
    
    沢=水たまりの草の生えた低地をいうが、「多・
     さわ(たくさん)」を掛ける。
    あくがれ=憧がれ。上の空になる。

作者・・貴船明神=京都市左京区貴船町にある貴船神社の
     神・祭主。

出典・・後拾遺和歌集・1165。

夕暮は 松をへだてて 浦千鳥 ともよびかはす
天橋立
               頓阿

(ゆうぐれは まつをへだてて うらちどり ともよび
 かわす あまのはしだて)

意味・・日が沈むのを待って千鳥たちがやって来ます。
    松並をへだてて、互いに呼び交わすかのように
    鳴き声をたて、その千鳥たちが、砂嘴(さし)の
    水辺に遊ぶのです。天の橋立の夕暮れ時は。

    鷺(さぎ)やカモメなどが小魚や水棲虫を汀でつ
    いばむ昼間、千鳥たちはどこかに隠れている。
    この小鳥は他の水鳥がねぐらへ帰る夕暮れを待
    って現れ、水辺を遊び場にする。
    夕暮れを待ってやって来る千鳥たちは、松並に
    遮られて見えないのだから、松並の裏側、内海
    の汀に先ず群がれて友を呼び、親を呼び交わし
    ます。

    唱歌「浜千鳥」、参考です。

         作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎

     青い月夜の浜辺には
     親を探して鳴く鳥が
     波の国から生まれ出る
     濡れた翼の銀の色

     夜鳴く鳥の悲しさは
     親をたずねて海こえて
     月夜の国へ消えてゆく
     銀のつばさの浜千鳥

 注・・松=待つを掛ける。
    浦=裏を掛ける。
    砂嘴(さし)=潮流や風などの作用で、砂地が海
     岸から細長く伸びだしたもの。天の橋立も砂
     嘴。

作者・・頓阿=とんあ。1289~1372。兼好とともに二条
     派、為世の門。南北朝期の歌僧。

出典・・松本章男著「京都百人一首」。

網代には しづむ水屑も なかりけり 宇治のわたりに
我やすままし
                  大江以言

(あじろには しずむみくずも なかりけり うじの
 わたりに われやすままし)

意味・・網代には沈む水屑さえもないのだなあ。宇治
    の辺りに私は住もうかなあ。

    「しづむ水屑」は身が沈む事を意味されており、
    うだつがあがらない、落ちぶれる事を意味して
    いる。
    宇治は次の歌により、憂し・辛いとされる地で
    あった。

    「我が庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と
    人は言うなり」     (意味は下記参照)

    宇治に住めば落ちぶれずに今まで通りの事が出
    来るので、いっそ宇治に住もうかと思うが、し
    かしそこは「憂し」の地。さて、住んだものか、
    どうしたものかと迷ってしまう。

 注・・網代=川に竹や木を組み立てて網の代わりにし、
     魚を捕らえる仕掛け。
    しづむ=身が沈むの意が含まれている。うだつ
     があがらない事。
    水屑=川に流れる屑、ゴミの類。
    宇治=憂し・辛い地の意を含む。

作者・・大江以言=おおえのもちこと。生没年未詳。従
     文四位下・文章博士。   

出典・・詞花歌集・366。

参考歌です。

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 
人はいふなり           
                 喜撰法師

(わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと
 ひとはいうなり)

意味・・私の庵(いおり)は都の東南にあって、このように心
    のどかに暮らしている。だのに、私がこの世をつら
    いと思って逃れ住んでいる宇治山だと、世間の人は
    言っているようだ。    

 注・・庵=草木で作った粗末な小屋。自分の家をへりくだ
      っていう語。
    たつみ=東南。
    しかぞすむ=「しか」はこのように。後の「憂し」に
      対して、のどかな気持というていどの意。
    うぢやま=「う」は「宇(治)」と「憂(し)」を掛ける。

作者・・喜撰法師=きせんほうし。経歴未詳。

出典・・古今集・983、百人一首・8。

年月は 昔にあらず 成りゆけど 恋しきことは
変わらざりけり
                紀貫之

(としつきは むかしにあらず なりゆけど こいしき
 ことは かわらざりけり)

意味・・年月は経過して、物事は変化して昔のようでは
    なくなって行くが、昔を恋しく思う心だけは昔
    と変わらない事だ。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。872頃~945頃。従五位・
     土佐守。古今集の撰者。古今集の仮名序を執
     筆。

出典・・拾遺和歌集・471

忘るなよ ほどは雲井に 成りぬとも 空行く月の
廻りあふまで
                   詠み人知らず

(わするるなよ ほどはくもいに なりぬとも そらゆく
 つきの めぐりあうまで)

意味・・私の事を忘れないでくれ。我々二人の間は、大空
    遥か遠くに隔たっても、空を行く月が巡るように
    また再びめぐり逢うまで。

    駿河守として赴任する時に、恋人と別れる時に
    贈った歌です。

 注・・ほど=程。間、間柄。
    雲井=空、遠い所。
    廻りあふ=「再会する」と「月の運行する」の意を
     掛ける。

出典・・拾遺和歌集・470

世の中の 憂きも辛きも 今日ばかり 昨日は過ぎつ
明日は知らず             

(よのなかの うきもつらきも きょうばかり きのうは
 すぎつ あすはしらず)

意味・・世の中には嫌な事もあれば辛い事もある。だが、
    嫌な事や辛い事をいつまでも引きずっていても
    どうしようもない。どんなに大変な事でも今日
    だけの事であり、時とともに過ぎて行く。そし
    て明日の事は誰にも分らない。いつまでもくよ
    くよしないで、嫌な事や辛い事はぱっと忘れて、
    ケセラセラで行こうじゃないか。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生
     の極意」

参考歌です。   

世の中を 何にたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の
跡の白波
          沙弥満誓(拾遺和歌集)
    
(よのなかを なににたとえむ あさぼらけ こぎゆく
 ふねの あとのしらなみ)

意味・・この世の中を何にたとえようか。夜明け方に
    漕ぎ出して行く舟の跡に立つ白波のように、
    立ってはすぐに消え行くはかないものだ。

    人の噂も75日という。悪い噂をたてられて
     も、せいぜい75日ぐらいだから、噂を気に
     するなと言っている。このように良きにしろ、
     悪しきにしろ、嬉しいこと苦しい事も思い出
     になり、忘れられ、そしていつかは消えてなく
     なって行く。

 注・・世の中を何にたとへん=無常な世を比喩で示そ
     うとしたもの。
    朝ぼらけ=夜明け方の物がほのかに見える時分。
     春の「曙」に対して秋・冬の季節に用いる。
    漕ぎ行く舟の跡の白波=舟の航跡はすぐに消える。

作者・・沙弥満誓=さみのまんぜい。生没年未詳。美濃守・
     従四位下。721年に出家。大伴旅人・山上憶良
     らと親交。
    

思ひつつ 経にける年の かひやなき ただあらましの
夕暮れの空
                  後鳥羽院

(おもいつつ へにけるとしの かいやなき ただ
 あらましの ゆうぐれのそら)

意味・・あの人を思い続けて過ごして来た月日の効き
    目もなく、またあの人を忘れようと忘れ貝を
    拾った効き目も著れてこない。今日もまた逢
    える見込みはなく、この恋の将来はどうなる
    事かと空しく思い煩ううち、気づいてみれば、
    早くも夕暮れになってしまった。

 注・・かひ=「甲斐」と「貝」を掛ける。貝は忘れ
     貝を意味して、これを拾うと恋しい人を忘
     れる事が出来ると思われていた。
    ただ=「直・早くも」と「徒・むなしい」を
     掛ける。
    あらまし=将来についてあれこれと思いを巡
     らす事。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。高倉天
     皇の第四皇子。1221年承久の乱の企てが失
     敗して隠岐に流される。「新古今和歌集」の
     撰集を下命。
  
出典・・松本章男著「歌帝後鳥羽院」

ありがたし 今日の一日も わが命 めぐみたまへり
天と地と人と
                 佐々木信綱

(ありがたし きょうのひとひも わがいのち めぐみ
たまえり あめとつちとひとと)

意味・・じつに有難い事である。今日の一日も自分の生命
    が無事に過ごす事の出来たのは、天と地と人との
    恩恵によるものである。

    雨が降り水の恵が与えられ、日が照り光の恵を与
    えてくれる天の恵み。米や野菜の農作物の恵を与
    えてくれる地の恵。食べる物や着る物も全部人に
    頼っている人の恵。

    生きていく事は自分一人の力によるものでないと
    へりくだって、感謝の気持ちを詠んでいます。

作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。東大
     古典科卒。国文学者・歌人。

出典・・佐々木信綱歌集。

大工町 寺町米町 仏町 老母買う町
あらずやつばめよ
            寺山修司

(だいくまち てらまちこめまち ほとけまち ろうぼ
 かうまち あらずやつばめよ)

意味・・大工町があり、寺町があり、米町があり、仏町
    があり、其の他いっぱい町がある中で、私の老
    いた貧しい母を買ってくれる町はないだろうか。
    つばめさんよ。

    前世代の名称を引きずっている町の名(大工町・
    寺町・米町・仏町)を平面に並べ、最後に架空
    の町(老母買う町)を述べで地獄絵を描き、年老
    いた母の介護をする大変さを詠んでいる。

    介護施設のない時代は、老母を介護するために
    会社を辞めて世話をする事もあり、当人にとっ
    ては地獄を味わう苦しさである。

    老母を買う町があれば売ろうという地獄を描い
    た歌です。

 注・・大工町、寺町、大工町、米町、仏町=これらの
     名のついた町は全国にいくつかあります。
     茨城県水戸市大工町、京都市寺町、北九州小
     倉米町、石川県白山市法仏町など。

作者・・寺山修司=てらやましゅうじ。1935~1983。
     早稲田大学中退。   

出典・・歌集「田園に死す」。

大そらを 静かに白き 雲はゆく しづかにわれも
生くべくありけり
                相馬御風

(おおそらを しずかにしろき くもはゆく しずかに
 われも いくべくありけり)

意味・・青い大空を白い雲がゆったりと流れている。
    あの雲のように静かに生きるべきである。

    流れる雲のように、人生を生きようと強い
    決意を歌っています。
    雲にはやさしい風ばかりではない。吹きち
    ぎり吹き飛ばす風がある。長い人生もまた
    然りである。人生は順風満帆ばかりなんて
    ありえない。人生に起きる風雨や嵐、どん
    な苦楽も取捨せず、ありのまま受け入れて
    人生の肥やしとして大らかな心になろう、
    と詠んでいます。

作者・・相馬御風=そうまぎょふう。1883~1950。
    早稲田大学卒。詩人・歌人。早大講師。

出典・・御風歌集。


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