名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2013年12月

何事もなきを宝に年の暮れ
                
(なにごとも なきをたからに としのくれ)

意味・・年の暮れに何事もなく過ごせるという事は宝物
    を得たように大変ありがたい事だ。

    昔はお中元や暮れには商店が勘定書きを持って
    来るので、特に大晦日は支払いに大変でした。
    支払いや何かを沢山しなくてはならないのに、
    支払うお金がなくて逃げ回ったりする人もいた。
    そういう年の暮れを何事もなく、無事に過ごせ
    てお正月を迎える事が出来るのはありがたい事
    だ。

    何かいい事がないかなあ、胸がときめく事がな
    いかなあと期待しつつ、今日も普通の日と変わ
    らず過ぎた。今年を振り返って見ると、やはり
    平々凡々な同じ日の繰り返しで暮れを迎えた。
    考えて見ると、平々凡々でも生活の出来た事は、
    大きな病気や怪我もなく、水害や地震などの天
    災にも遭遇しなかったためである。もしリスト
    ラにでも会っていたならば、このような生活は
    したくとも出来ないのである。何事もなかった
    という事は宝物のように有難い事である。

出典・・鎌田茂雄著「菜根譚」。




西上人 長明大人の 山ごもり いかなりけむ年の 
ゆうべに思ふ
               佐々木信綱

(さいしようにん ちょうめいうしの やまごもり いかなり
 けんとしの ゆうべにおもう)

意味・・昔の西行法師や鴨長明の山居の生活はどんなふうで
    あったのだろうか。年の暮れに思う。

    自分も年老いて一人で山荘生活をしているものの、
    現代文明の恩恵をこうむって何不自由のない生活を
    している。日が暮れて暗くなれば電気がある。寒く
    なれば暖房があり、暑ければ冷房もある。けれど西
    上人、長明大人(うし)の時代は違う。電気もなけれ
    ばガスもない。それがどれ程住みにくかっただろう
    かと、思いやった歌です。

 注・・西上人=西行法師。崇(あが)めて上人といった。
    長明大人(うし)=鴨長明のこと。長明は僧でないので、
     大人といった。「大人」は師匠・学者・先人の敬称。
    年のゆうべ=年の暮れ。

出典・・佐々木信綱歌集・遺詠(前川佐美雄著「秀歌十二月」)



丈父の 君に言うべき ことならず 今日の想いは
ひとり書きとむ
                 山北幸子

(ますらおの きみにいうべき ことならず きょうの
 おもいは ひとりかきとむ)

詞書・・結婚二日目に出征。

意味・・男であり、軍人である君に言うべき事ではない
    と思い、この今日の寂しい想いは、自分だけの
    日記帳にそっと書きしたためておこう・・。

    夫は陸軍の軍医であり、遠く赤い夕陽の満州に
    出征して行ったのである。
    その出征は「赤紙」により、ある程度予定され
    ていたもので、本人達も周囲のものも、愛する
    二人のために、とにかく、華燭の典だけは出征
    前に挙げたものである。
    戦地に赴く夫に「寂しい、つらい、心配だわ」
    と、泣きわめく事は、かえって夫をよりつらい
    立場に追いやるにすぎない。その夫の心を想い
    やり、悲しみに堪え、離別の苦しみを、あから
    さまに夫に告げる事なく、独り寂しく日記帳に
    書き綴る事により、自分の心を処理しています。

 注・・丈父(ますらお)=勇猛な男子。ここでは旧日本
     軍の軍人をさす。

出典・・新万葉集・巻八(荻野恭茂著「新万葉愛歌鑑賞」)。


晴着二枚と 替へたるいもは 宝なり 麦とかゆにして
いく日つながむ
                  金井規容子

(はれぎにまいと かえたるいもは たからなり むぎと
 かゆにして いくひつながん)

意味・・買出しに行って農家で晴着二枚と芋とを交換して
    来た。この芋は貴重なもので我が家の宝物である。
    この芋を麦のお粥にして食べて行くのだが、何日
    食いつなげるであろうか。

    昭和18年頃詠んだ歌です。当時、農家では闇値だ
    けでは米や野菜を売ってくれず、晴着や石鹸、地
    下足袋などと交換しなければならなかった。

    昭和18年頃の時代の背景です。
    戦争突入とともに経済体制は統制され、国民生活
    は破壊された。主食を自給出来ない日本は、外米
    の輸入にたよっていたが、戦局の悪化に伴い、外
    米の輸入が止まり、食料不足をまねいた。当然米
    飯中心の食事は維持出来ず、さまざまな代用食に
    頼らざるをえなくなった。

作者・・金井規容子=かないきよこ。生没年未詳。昭和
     19年2月号の「アララギ」に載る。

出典・・歌集誌「アララギ・19・2」(島田修二編「昭和
     万葉集秀歌)。

あさなあさな 霜おく山の をかべなる かり田のおもに
かるるいなくさ
                   二条為忠

(あさなあさな しもおくやまの おかべなる かりたの
 おもに かるるいなくさ)

意味・・毎朝毎朝、霜が降っている山の岡のほとりにある、
    刈り田の跡の田の面にはすっかり枯れた稲の茎が
    見える。

    初冬の田園風景を詠んでいます。

 注・・いなくさ=稲草。水田の雑草。ここでは稲を刈っ
     た後に芽を出した茎。

作者・・二条為忠=にじょうためただ。?~1373。従二位
     中納言。南北朝期の歌人。    

出典・・新葉和歌集・442。


帰るべき みちしなければ これやこの 行くをかぎりの
あふさかの関
                   源具行

(かえるべき みちしなければ これやこの ゆくを
 かぎりの おうさかのせき)

意味・・帰るという事の出来る道がないので、この旅
    は、今行くのを最後とした逢坂の関になるの
    だ、哀れだなあ。

    1331年の元弘の乱で捕えられて護送されなが
    ら逢坂の関を越える時、死を覚悟して詠んだ
    歌です。
    蝉丸が「これやこの行くも帰るも別れては
    知るも知らぬも逢坂の関」と詠んでいるが、
    私が一度この関所を通り過ぎたならば、他
    の旅人と違って、再び帰って来れないと悲
    しさを詠んでいます。

 注・・元弘の乱=1331年、後醍醐天皇を中心とし
     た倒幕計画が発覚し鎌倉幕府により厳し
     い追求が行われた。後醍醐天皇は壱岐へ
     流罪となり、腹心の具行も捕えられ護送
     の途中で斬られて死んだ。

作者・・源具行=みなもとのともゆき。1290~1332。
     従二位権中納言。元弘の乱の時、鎌倉幕
     府によって斬首。

出典・・新葉和歌集・538


参考歌です。

盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば 
また還り見む
           有間皇子(万葉集・141)

(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
 あらば またかえりみむ)

意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行く
    が、もし無事であった時には、再びこれを見よ
   う。

    有間の皇子は反逆を企て捕えられ、紀伊の地に
    連行され尋問のうえ処刑されたが、この道中で
    詠んだ歌です。
    松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を
    祈るまじないです。

 注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名
    真幸(まさき)く=無事で(命が)あったなら


いくさ畢り 月の夜にふと 還り来し 夫を思へば
まぼろしのごとし
                  森岡貞香

(いくさおわり つきのよにふと かえりこし おっとを
 おもえば まぼろしのごとし)

意味・・太平洋戦争が終わり、ある月の夜に夫が帰還した。
    その事を、帰って来た夫を思うとまぼろしのよう
    な気がする。

    夫は終戦の年の末、中国戦線より戻ったのだが、
    明けて二月に急逝(きゆうせい)した。戦争が終わ
    り、これからという時である。せっかく帰還した
    のに・・。本当に短い日々であった。帰還した喜
    びは実感とならない。

 注・・畢(おわ)り=終わり。尽くす。ことごとく。

作者・・森岡貞香=もりおかさだか。1916~2009。「女人
     短歌」創刊。

出典・・歌集「白蛾」(篠弘・馬場あき子編著「現代秀歌
    百人一首)。


空をあゆむ朗々と月ひとり
                 荻原井泉水

(そらをあゆむ ろうろうとつきひとり)

意味・・さえぎるもののない夜空には、月があたかも
    朗らかに声をあげながら歩いているようだ。
    月は孤独で一人ぽっちのようだが、なんと自
    由で楽しそうなんだろう。

    月もひとり、私もただ一人、自ら信じるわが
    道を歩いて行こう。

    井泉水は自由律句を推進して、季語がなくて
    もよい、五七五でなくてもよい、自分の感動
    を表現出来ればよいという立場で句作を続け
    た。俳句の世界からは異端者扱いで孤独だが、
    自分の気持ちを詩として表現した時は、なん
    と明るい気持ちになれるのだろう、と上の句
    は歌っている。

 注・・空をあゆむ=雲間から出たり入ったりする時
     月が動いている感じがする、これを歩むと
     表現。また、「月ひとり我ひとり、我が歩
     めば月も歩む」ということ。
    朗々=声がほがらかに聞こえるようす。月の
     澄み切ったさまもいっている。

作者・・荻原井泉水=おぎはらいせんすい。1884~1976。
     東大文学部卒。機関紙「層雲」を発行。

出典・・歌集「原泉」(尾形仂編「俳句の解釈と鑑賞辞典」)。

世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ
我は勝れり
                   良寛

(よのなかに まじらぬとには あらねども ひとり
 あそびぞ われはまされり)

詞書・・自画自賛。

意味・・世の中の人々と、付き合わないというのでは
    ないが、心のままに独りで楽しんでいる事が
    私にとってはよい事と思われるのだよ。

    行灯(あんどん)の下で読書する良寛画像に描
    いた歌です。

    自分の消息として画を描いて弟の由之(よしゆ
    き)に贈ったものです。

 注・・ひとり遊び=独りで楽しむ事。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・1236。

(12月22日 名歌鑑賞)


かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も
見せましものを
                   大伴家持

(かからんと かねてしりせば こしのうみの ありその
 なみも みせましものを)

詞書・・長逝(ちょうせい)せる弟を哀傷(かな)しぶる歌。

意味・・こんな事になると前から分っていたなら、この越
    の国の、荒磯にうち寄せる波の有様も見せてやる
    のだったのに。

    海のない奈良の都に育った弟には、この日本海の
    荒々しい波はさぞ珍しかったであろう。一度ここ
    に連れて来て見せてやりたかった。越の海の荒波
    の風景をどんなに珍しがり、喜んでくれただろう
    に。

    参考歌です。

    かくありと 兼ねて知りせば せん術(すべ)も 
    ありなましもの かねて知りせば 
                      良寛

    世の中はこのようなものであると、前もって分かっ
    ていたならば、とるべき方法もあったろうになあ。
    前もってそれが分かっていたなら良かったのに。  

 注・・長逝=死去。
    弟=家持の弟の書持(ふみもち)。
    かからむと=こんな事になるとは。弟の死をさす。
    越の海=越中国府のそばの富山湾をさす。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。大伴
     旅人の長男。小納言。万葉集の編纂をした。

出典・・万葉集・3959。

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