名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年01月

つけ捨てし 野火の烟りの あかあかと 見えゆく頃ぞ
山はかなしき
                   尾上柴舟

(つけすてし のびのけぶりの あかあかと みえゆく
 ころぞ やまはかなしき)

意味・・つけ捨てられたままの野火の煙が、日の暮れる
    につれて赤々と空を染め上げていく。その野火
    の赤い煙を眺めていると、実に物悲しい気分に
    なってくる。

    誰がつけた火か、村の人が山焼きをしているの
    に違いありません。その火は昼も夜も燃え続け、
    遠くから見ていると、筋を引くように、あるい
    は糸のように、ある時は少し幅もみせて、右
    にも左にも燃え移って行きます。それをじっと
    見ていいる作者には、いつしかいいしれぬ悲し
    みが染み渡ってきます。

    悲しみの理由は分りません。時がくれば、次の
    準備を整えて行かねばならない人々の生活のけ
    わしさを感じたのか、燃えつつやまぬ勢いの火
    にも、いつかは消えてしまう時のあるのを思う
    ためか、それとも、春を待つ心のしのびよって
    くる頃の感傷によるものか、あるいはまた、大
    きい山の自然に比べてそれにいどむ火に象徴さ
    れた人の営みを小さくはかなく思う心のためか。

    窪田空穂の批評は「自らを愛し、自らの完成を
    願う心を持っている我々に、どうして悲しみが
    なくていられよう。悲しみとは願いのまたの名
    である」といっています。
    燃えている野火を見、その煙のなびく方を見て
    いると、その美しい赤い色の鮮やかさにもかか
    わらず、なにがしの悲しさが心のうちにいっぱ
    い広がり、心は山に引き寄せられるのです。
    その悲しみは、空穂の言葉のように生きるため
    の切実な願いと裏腹となっている.

注・・野火=春の初めなどに野山の枯れ草を焼く火。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。
    東大国文科卒。仮名書道の大家。

出典・・歌集「日記の端より」(湯浅竜起著「短歌鑑賞
    十二ヶ月)。



雪催ふ琴になる木となれぬ木と
                     神尾久美子
(ゆきもよう ことになるきと なれぬきと)

意味・・今にも雪が降ってきそうな寂しい林を
    歩いててる。木々が目に入る。ふと思
    う。この中には琴の材料になる木とな
    れない木があると。
    どちらの木がいいのだろう。

    利用に適しない木は伐られないので天寿
    を全うする事が出来るが、人に役立つ木
    は伐られ早く寿命が尽きる。どちらの木
    が幸せなんだろう。
    寂寥(せきりよう)感に苛(さいな)まされ
    ながら、木の運命を考えさせられる。

    うだつの上がらない私、それにくよくよ
    しないようにしよう。

作者・・神尾久美子=かみおくみこ。1923~ 。
     京都女子高卒。野見山朱鳥(あすか)に
     師事。
出典・・メールマガジン・黛じゅん「愛の歳時記」。


いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ 人の膝の上
我が枕かむ
                   大伴旅人

(いかにあらん ひのときにかも こえしらん ひとの
 ひざのえ わがまくらかん)

詞書・・琴が娘子(おとめ)となって歌った歌。

意味・・どういう日のどんな時になったら、この声を聞き
    分けて下さる立派なお方の膝の上を、私は枕にす
    る事が出来るのでしょうか。

    旅人が藤原房前に桐製の琴を書状を添えて贈った
    時の歌です。

    書状です。
    この琴が娘子となって夢になって現れて言いまし
    た。
   「私は、遠い対馬の高山に根を下ろし、果てもない
    大空の美しい光に幹をさらしていました。長らく
    雲や霞に包まれて山川の陰に遊び暮らし、遥かに
    風や波を眺めて、物の役に立てるかどうかの状態
    でいました。たったひとつの心配は、天命の寿命
    を全うして、谷底深く朽ち果てる事でした。所が、
    幸いにも立派な工匠(たくみ)に出会い、細工され
    て小さな琴になりました。音質は荒く音量も乏し
    い事を顧みず、徳の高いお方のお側に置かれる事
    をずっと願っております」と。

    書状のなかに「雁木に出入りす」という言葉が入
    っています。荘子の言葉で、使い道のない大木は
    伐られずに天命である寿命を全う出来るが、役立
    つ木は伐られて天命を全う出来ない、という意味
    で、あなたはどちらの木を選びますか、と尋ねた
    歌となっています。

    
 注・・声知らむ=音を聞きわける。「知音・ちいん」の
     故事による。琴の名手伯牙がよく琴を弾き、鐘
     子期(しようしき)はよくその音を聞いたという。
     鐘子期が死に、伯牙は自分の琴の音をよく理解
     してくれる者がいなくなったと嘆き、琴の糸を
     切って二度と弾かなくなった。そこから、自分
     を知ってくれる人や、親友を知音というように
     なった。
    枕か=動詞「枕く」の未然形。枕にしょう。
    桐製の琴=膝に乗せて弾く六絃の日本琴。
    藤原房前=ふじわらのふささき。681~737。正
     三位太政大臣。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。大宰
    帥(そち)として九州に下向、その後従二位大納
    言に昇進。   

出典・・万葉集・810。

頬あつく 頸すじさむし むきかへて 背中あぶれば
幼もならふ
                  上田三四二

(ほおあつく くびすじさむし むきかえて せなか
 あぶれば おさなもならう)

意味・・朝霜が置く頃、孫を連れて庭の落葉を掃き
    ためて、焚き火をしている。直接火の当た
    る部分の頬は熱いが、首すじは寒い。そこ
    で向きを変えて背中をあぶることにした。
    すると幼い孫も真似して背中をあぶりだし
    た。

作者・・上田三四二=うえだみよじ。1923~1989。
    京大医学部卒。医学博士。

出典・・歌集「鎮守」(玉井清弘著現代短鑑賞「上田
    三四二」)。



とにかくに あればありける 世にしあれば なしとても なき
世をもふるかも
                     源実朝

(とにかくに あればありける よにしあれば なしとても
 なき よをもふるかも)

詞書・・落ちぶれた人が世の中に立ちまじり歩いているのを
    見て詠んだ歌。

意味・・(どんな事情があっても)とにもかくにも生きていれ
    ば世を過ごして行けるこの世なのだから、何も無く
    ても、ないままに世を送っている事だなあ。

    世の中には、価値のあるもの、立派なものがあり、
    その一方、無価値なもの、つまらないものがある
    が、すべて相対的なものであり、それに執着する
    に足りないと、詠んだ歌です。落ちぶれて気弱に
    なっていも、「落ちぶれる」といっても、これは
    相対的な事で自分より下の者が見れば、羨ましい
    状態なのかもしれない。だから悲観せずに元気を
    出して生きて行こうという歌。    

 注・・わび人=気落ち、気弱になった人。みすぼらしく
     落ちぶれた人。
    あればありける=有れば在りける。生きていける。
    ふる=古る。年月がたつ。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
     源頼朝の次男。鎌倉幕府三代将軍。鶴岡八幡宮
     で暗殺された。歌集「金槐集」。

出典・・金槐和歌集・611

ありとだに よそにても見む 名にし負はば われに聞かせよ
みみらくの島
                     藤原道綱母

(ありとだに よそにてもみん なにしおわば われに
 きかせよ みみらくのしま)

意味・・亡き母上の姿が見える、そんな嬉しい話で耳を
    楽しませるという、その名の通りのみみらくの
    島なら、どこにあるのか私に聞かせてほししい。
    せめて遠くからでも母上の姿を見たいから。

    
    「亡くなった人の姿がはっきり見える所がある。
    そのくせ、近寄って行くと、消え失せてしまう
    そうだ。遠くからなら、亡者の姿が見えるとい
    う事だ」「それは何と言う国だね」「みみらく
    の島という所だそうだ」。
    母が死んで喪に服している時、僧侶達が話して
    いるのを聞いて詠んだ歌です。

    母親は何よりの心の支えであった。母がそばに
    いるだけで私は心じょうぶであった。その掛け
    がえのない母が亡くなった。亡くなって見ると
    いっそう母のありがたみがしみじみと分る。
    余人では替えられない母ならではの海のような
    大きな温かみ、気強さがあった。ワッとすがり
    つけるものがすっと無くなってしまった感じが
    する。 
    これから先、どうして行けばいいのだろう。
    死者が行き着く所というのが本当ならば、その
    みみらくの島が、どこにあるかだけでも教えて
    ほしい。遠くからでも、母上がおいでになる所
    だと思って眺めていたいから。

 注・・よそにても=余所にても。かけ離れた所からでも。
    みみらくの島=長崎県五島列島の福江島の三井楽。
     遣唐使の一行は必ずここで、飲料水や食料を積
     みこんでいた。夜になれば死んだ人が現れると
     いう伝説もあった。「みみらく」の地名に嬉し
     い伝説が耳を楽しませる意味を含んでいる。

作者・・藤原道綱母=ふじわらみちつなのはは。937~995。
    関白藤原兼家と結婚。道綱(右大将)を生む。「蜻蛉
    日記」の作者として有名。

出典・・蜻蛉日記。


年頃の 除目にもれて 老いしれし 博士が家の
鶯の声
                 服部躬治

(としごろの じもくにもれて おいしれし はくしが
 いえの うぐいすのこえ)

意味・・その年毎に行われる除目にも、この数年は
    洩れた。、もうすっかり年をとった博士の、
    侘びしい住居にも、季節はやはりめぐって
    来て春になった。そして、美しい声で鶯の
    鳴く声がする。

    この歌は王朝時代を想定して詠んでいます。
    「除目」は王朝時代に、諸官職を任命する
    儀式で、秋には京官を任じ、春には地方官
    を任じた。博士は学者の事で、上の階級か
    ら、文章博士、明経博士、明法博士、書博
    士、算博士と多くの階級があった。

    除目に洩れ、不遇な老いぼれた博士とその
    侘び住居の姿。学者なので権門にも媚(こ)
    びず、ついに忘れられてしまって、年毎の
    除目に洩れていくその境遇に、作者は同情
    しいます。

    不遇の侘び住居にも、季節だけはめぐって
    きて鶯も鳴くという詩情を詠んでいますが
    作者の心境でもあります。

作者・・服部躬治=はっとりもとはる。1875~1925。
     落合直文の「浅香社」に参加。    

出典・・歌集「迦具土・かぐつち」(永田義直編著「
    短歌鑑賞入門」)



正倉院 大きくかまえる さくの向こう 静かにつつむ
遠い日の風
                   井上ゆかり

(しょうそういん おおきくかまえる さくのむこう
しずかにつつむ とおいひのかぜ)

意味・・柵の向こうに大きな建物である正倉院を観て
    いると、遠い日の出来事が静かに想われてく
    る。

    正倉院は東大寺にある校倉造(あぜくらづく
    り)の倉庫。奈良時代を中心とした9000点も
    の工芸美術品が収蔵されている。国宝でも
    あり、東大寺とともに世界遺産となっている。
    高さ14m、奥行き9.4m、全長33mの大きさであ
    る。
    710年に平城京(奈良市)が都となり、752年に
    東大寺の大仏が完成する。756年聖武天皇が亡
    くなり、遺愛の品々が大仏に献納された。こ
    れが正倉院宝物の誕生である。

    1180年源平の戦いで奈良は火の海となり、大仏
    殿を初めとする堂塔の多くが焼失した。
    1190年東大寺が再建された。
    1567年の戦国時代に三好・松永の戦いの兵火で
    再び東大寺の主要堂・塔は焼失した。
    1709年三代目の現存の大仏殿が再建された。

    平穏に見える正倉院ではあるが、戦禍に生きなが
    らえた姿に、遠い日の事が想われる。    

作者・・井上ゆかり=’91当時夢の台高校(兵庫県)一年。

出典・・東洋大学「現代学生百人一首」(大滝貞一編「短歌
    青春」)。


鶴岡の 霜の朝けに 打つ神鼓 あな鞳々と
肝にひびかふ
               吉野秀雄

(つるおかの しものあさけに うつじんこ あな
 とうとうと きもにひびかう)

詞書・・乙酉年頭吟(きのとりねんとうぎん)

意味・・霜の降りた朝明け時に、鶴岡八幡宮の神事に
    用いる太鼓を打つ音がどどどん、どどどんと
    肝を揺り動かように鳴り響いて来る。

    神社から響いて来るどどどん、どどどんとい
    う太鼓の音を聞いていると、厳粛な気分にな
    り正月の新鮮さをいっそう引き立ててくれる。

 注・・乙酉年頭吟=昭和二十年正月に詠んだ歌。
    朝け=朝明け、明け方。
    あな=ああ。痛切な感動から発した叫び声。
    鞳々(とうとう)=太鼓の音を模した語。単に
     どどどんと描写するのと異なり、神事の荘
     重な響きを表す。

作者・・吉野秀雄=よしのひでお。1902~1967。慶応
     義塾を病気中退。会津八一に師事。

出典・・歌集「寒蝉集」

あらたまの 年たちかへる 朝より 待たるるものは
鶯の声
                 素性法師

(あらたまの としたちかえる あしたより またるる
 ものは うぐいすのこえ)

意味・・新しい年に改まった、その朝から、ひたすら
    待たれるのは鶯の鳴く声である。

    元旦の朝の晴れ渡っているのは気持ちがいい。
    大晦日の、それも除夜の鐘の音に向かって高
    まっていた世間の物音が、この朝ばかり申し
    合わせをしたかのようにいっせいにひそまっ
    て明ける。あの動から静への移り変わりが、
    快よさで迎えられるように、青空の正月にも
    また、その都度の新鮮さがある。まして、朝
    のうちに鶯の鳴き声を聞こうものなら、めで
    たさもひとしおに思われる。

 注・・あらたまの=「年」の枕詞。
    たちかへる=立ち返る。繰り返す。

作者・・素性法師=そせいほうし。生没年未詳。父は
     遍昭。890年頃活躍した人。
 

出典・・拾遺和歌集・5

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