名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年03月

老いてこそ 春の惜しさは まさりけれ いまいくたびも
逢はじと思へば

                   橘俊成

(おいてこそ はるのおしさは まさりけれ いま
 いくたびも あわじとおもえば)

意味・・年老いてからの方が、春の去る惜しさはつのる
    のだなあ。もうあと幾度も春には廻りあわない
    だろうと思うと。

作者・・橘俊成=たちばなとしなり。生没年未詳。従五
    位・越中守。

出典・・詞花歌集・49。

わが宿の 梢ばかりと 見しほどに よもの山辺に
春はきにけり
                  源顕基

(わがやどの こずえばかりと みしほどに よもの
 やまべに はるはきにけり)

意味・・わが家の梢だけに花が咲いて、春が来ている
    と思っているうちに、あちこちの山のあたり
    に山桜が咲き春が来たことだ。

 注・・梢ばかりと=(桜の)木の枝先に(花が咲いて春
     が来た)と。
    よもの山辺=四方の山辺。あちらこちらの山の
     あたり。

作者・・源顕基=みなもとのあきもと。1000~1047。
    従三位権中納言。

出典・・後拾遺和歌集・106。

薄く濃き 野べの緑の 若草に 跡まで見ゆる
雪のむら消え
               宮内卿

(うすくこき のべのみどりの わかくさに あとまで
 みゆる ゆきのむらぎえ)

意味・・濃淡さまざまな野辺の緑の若草によって、雪の
    消え方に遅速のあった跡までがよく知られる。

作者・・宮内卿=くないきょう。生没年未詳。1204年頃
    20歳くらいで亡くなる。後鳥羽院に仕えた女房。

出典・・新古今和歌集・75。

萌え出づる 木の目を見ても 音をぞ泣く かれにし枝の
春を知らねば
                    兼覧王女

(もえいずる このめをみても ねをぞなく かれにし
 えだの はるをしらねば)

詞書・・かれにける男のもとに,住みける方の庭の木の
    枯れたりける枝を折りてつかはしける。

意味・・春になって萌え出る木の芽を見るにつけても、
    私は声を上げて泣いております。枯れた枝は
    春になっても萌え出ることがないのと同様に、
    あなたに離(か)れられた私に春は関係ありま
    せんので。

 注・・かれ=「枯れ」と「離れ」を掛ける。

作者・・兼覧王女=かねみのおおきみのむすめ。伝未詳。

出典・・後撰和歌集・14。

をとめごが 真袖につめる つぼすみれ 野に見るよりも
なつかしきかな
                   源有房

(おとめごが まそでにつめる つぼすみれ のにみる
 よりも なつかしきかな)

意味・・どこで摘んで来たのか、乙女子が両袖につぼみ
    すみれの花を集め抱いている。愛らしい花だなあ。
    野に咲くところを見るよりも心を引きつけられる。

    可愛いね。どこで積んで来たのと、少女に声を
    かけたくなる。

 注・・真袖=両袖。
    つめる=「摘める」と「集(つ)める」の掛詞。
    つぼすみれ=立壷すみれ。紫色の花が3月から
     4月にかけて咲く。
    なつかし=懐かし。心ひかれる。そばに引き付
     けておきたい。親愛の情をおぼえてそばへ近
     づく形容。

作者・・源有房=みなもとのありふさ。生没年未詳。

出典・・歌集「有房集」(松本章男著「花鳥風月百人一首」)

いのちながらへて 還るうつつは 想はねど 民法総則と
いふを求めぬ
                     吉野昌夫

(いのちながらえて かえるうつつは おもわねど みんぽう
 そうそくと いうをもとめぬ)

意味・・大学生も招集という事態にとなり、学業を捨てて入隊
    する事になったため、帰還を望むという情況ではない
    のだが、縁があって「民法総則」を買い求める事が出
    来た。

    学徒出陣の時は、東大農業経済学科の学生であった。
    当時は書店に本が並んでいる状態ではなく、教授に頼
    んでやっと買えたものです。

 注・・うつつ=現。現実、現にあること。

作者・・吉野昌夫=よしのまさお。1922~2012。東大農業経済
    学科卒。木俣修に師事。

出典・・歌集「遠き人近き人」(馬場あき子篇著・現代秀歌百人
    一首」。

野に山に よしや飢ゆとも 葦鶴の 群れおる鶏の
なかにや入らん
                 高橋泥舟

(のにやまに よしやうゆとも あしたづの むれおる
 とりの なかにやいらん)

意味・・もし野や山で飢える事があっても、鶴である自分
    は、群れて飼われている鶏の中には入らない。

    自分は金も名誉も欲せず、野に住む気高い鶴と
    して生きていく、それでいいのだ。

 注・・よしや=たとえ、かりに。
    葦鶴=鶴。葦の茂る水辺にに多くいることから
     いう。

作者・・高橋泥舟=たかはしでいしゅう。1835~1903。
    将軍・徳川慶喜が水戸へ下る時に護衛した。
    勝海舟・山岡鉄舟とともに「幕末三舟」と呼ば
    れた。

出典・・菊池明著「幕末百人一首」。

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿に
変わらざりけり
                  山岡鉄舟

(はれてよし くもりてもよし ふじのやま もとの
 すがたに かわらざりけり)

意味・・晴れている時の富士山の姿は美しい。曇って
    山の姿が見えない事もあるが、それも時には
    よい。富士という山の姿は、もともとの素晴
    らしさに変わらないのだから。

    立派なものは立派なのである。人に見えよう
    が見えまいがそんな事に関係なく立派なので
    ある。

作者・・山岡鉄舟=やまおかてっしゅう。1836~1888。
    明治元年に西郷隆盛と会談をして、江戸無血
    開城へと導いた。

出典・・菊池明著「幕末百人一首」。

国守る 大臣は知るや 知らざらむ 民のかまどの
ほそき煙を
                 勝安芳

(くにまもる おとどはしるや しらざらん たみの
 かまどの ほそきけぶりを)

意味・・国家を守護する重責を担っている筈の大臣等
    よ、貴公等は承知しているのか、多分承知し
    ていないのだろう、民のかまどから立ち昇る
    炊煙が細々として哀れなる有様なのを。

作者・・勝安芳=かつやすよし。1823~1899。通称
    勝海舟。

出典・・川田順著「愛国百人一首」。

賃銭の どれいならざる 誇りもて はたらきしことを
われは謝すべし
                 小名木綱夫

(ちんぎんの どれいならざる ほこりもて はたらき
 しことを われはしゃすべし)

意味・・いくら働いても貧しい生活ではあるが、金のため
    奴隷となって働いては来なかったことを誇りにし
    よう。そして、それが出来たことに感謝しょう。

    死の前日に詠んだ歌です。
    働く事に面白さ価値を見出して働いて来た。賃金
    が高い安いを基準にして働いて来たのではない。
    これが私の誇りであった。そのように自分の思う
    ように働けた事に感謝したい。

作者・・小名木綱夫=おなきつなお。1911~1948。37才。
    府立工芸学校卒。新日本歌人協会の創立に加わる。
    14歳で印刷見習い工として働き始める。持病の喘息
    で工場を辞め、以降たびたび健康を害して働いては
    辞めるという生活を送る。

出典・・歌集「太鼓」(本林勝夫篇「現代短歌鑑賞辞典」)

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