名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年04月

うちなびく 春来るらし 山の際の 遠き木末の
咲き行く見れば 
                 尾張連

(うちなびく はるきたるらし やまのまの とおき
 こぬれの さきゆくみれば)

意味・・春が今まさにやって来たらしい。山あいの遠く
    の梢の花が次々と咲いて行くのを見ると。

    山の低い所から咲き始めた花が、次第に高い所
    へ咲き移って行く時間的経過を表し、春はいよ
    いよたけなわだと感慨を詠んでいます。

 注・・うちなびく=「春」の枕詞。

作者・・尾張連=おわりのむらじ。伝未詳。

出典・・万葉集・1422。
    

遠景の 桃花うるめり 家系図の 餓死てふ記述
簡明にして 
                武下奈々子

(えんけいの とうかうるめり かけいずの がしちょう
 きじゅつ かんめいにして)

意味・・ある日、蔵でも開けたのか、垢にまみれた家系図
    をまぶしい春光のなかに広げて見ている。遠く桃
    畑の花は潤んだように桃色にけぶり、田園は長閑な
    景色をなしている。平穏な、潤沢な、暮らしのゆと
    りが、春の豊饒さを大地の香りとともに感じさせら
    れる。ただ、古い家系図の中の古びた古筆の記載は、
    きびしく、鋭く、訴えるように、一人の人名の傍注
    に「餓死」という表現を残している。簡潔なその一語
    を取り巻く状況を想像するのはこわい。「餓死」と
    記入することによって、後世を生きる者たちに伝え
    たかったことを考えれば、この簡明な記入の意志の
    かげにあった哀切な万感は胸に迫る。

    明るくうるむ遠景の桃花は、祖たちの農に生きた現
    実を継いで、眼前の農村は変化に変化を重ねている。
    古き日の忘却を誘いながら、かえって「餓死」のあ
    った春を忘れがたく記憶にさせるにちがいない。

 注・・うるめり=潤めり。潤っている。

作者・・武下奈々子=たけしたななこ。1952~ 。香川県生
    まれの歌人。

出典・・馬場あき子著「歌の彩事記」。

春霞 流るるなへに 青柳の 枝くひ持ちて
うぐひす鳴くも 
              詠み人知らず

(はるがすみ ながるるなえに あおやぎの えだくい
 もちて うぐいすなくも)

意味・・春霞が流れ棚引いている。うぐいすは青柳の
    枝をくわえてしきりに鳴いている。

 注・・なへに=前後の状態が同時に進行する意。
    枝くひ持ちて=枝をついばみながら次々に枝
     移りしている状態。

出典・・万葉集・1821。

槍投げて 大学生の 遊ぶ見ゆ 大きなるかな
この楡の樹は 
               土岐善麿

(やりなげて だいがくせいの あそぶみゆ おおき
 なるかな このにれのきは)

意味・・遠くで槍投げをして運動している大学生がいる
    のが見える。その視野の近景にある楡の樹は何
    と大きいことだろう。

    はつらつと若さを発揮している大学生。堂々と
    した楡の木。共に素晴らしいものだ。

 注・・楡=楡科の落葉高木である。高さ20m、周囲3
     mに達する。寒地に自生する。

作者・・土岐善麿=ときぜんまろ。1885~1980。早稲田
    大学卒。新聞記者。若山牧水・北原白秋・石川
    啄木らと交流。

出典・・谷馨著「現代短歌精講」。

綿入りの 縫い目に頭 さし入れて ちぢむ虱よ
わが思ふどち
                 橘曙覧

(わたいりの ぬいめにかしら さしいれて ちぢむ
 しらみよ わがおもうどち)

意味・・綿入れの着物の縫い目に頭をさしこんで縮まっ
    ている虱よ、私の親愛な仲間だ。

    冬になると貧乏であまり着替えもなく綿入れを
    着たきりでいるために、虱がわくのだが、虱は
    きらわれ者であることを自分で知っていて、小
    さくちぢこまっている。自分も家業を捨て貧し
    い生活をしてちぢこまっている身だから、お前
    は親しい仲間だ、と虱をあわれんだ歌です。

注・・どち=親しい人、仲間。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙商
    の長男。早く父母に死別。家業を異母弟に譲り
    隠棲。福井藩主から厚遇された。

出典・・橘曙覧全歌集・94。

塵泥の 数にもあらぬ 我ゆえに 思ひわぶらむ
妹がかなしさ
                中臣宅守

(ちりひじの かずにもあらぬ われゆえに おもい
 わぶらん いもがかなしさ)

意味・・塵や泥のようにつまらない、物の数にも入ら
    ない私のために、辛い思いをしているあなた
    が愛しいことだ。

    越前の国(福井県)に流罪される途中で詠んだ
    歌です。自分が上手く立ち回らないばかりに
    罪を被って流罪になってしまった。自分の為
    にこのような辛い思いをさせるのがすまない
    と若妻に詠んだ歌です。

 注・・思いわぶらむ=気力を失い打ち沈んでいるだ
     ろうの意。
    かなしさ=愛しさ。いとおしい。

作者・・中臣宅守=なかとみのやかもり。生没年未詳。
    740年越前の国に流罪された(罪状不明)。

出典・・万葉集・3727。
  

よき日には 庭にゆさぶり 雨の日には 家とよもして
児等が遊ぶも
                   伊藤左千夫

(よきひには にわにゆさぶり あめのひには いえ
 とよもして こらがあそぶも)

意味・・天気のよい日には庭でブランコ遊びをし、雨の
    日には家中をとどろかして大騒ぎしながら遊ぶ
    子供等よ。

 注・・とよもして=響して。なりひびかせて。声高く
     騒いで。

作者・・伊藤左千夫=いとうさちお。1864~1913。
    正岡子規に傾倒。「アララギ」の中心になる。
    小説「野菊の墓」は特に有名。

出典・・歌集「増訂左千夫歌集」(本林勝夫篇「現代名歌
    鑑賞辞典」)

帰り来ぬものを 轢かれし子の 靴をそろえ 破れし服を
つくろう
                     作者不明

(かえりこぬものを ひかれしこの くつをそろえ やぶれし
 ふくをつくろう)

意味・・自動車に轢かれて亡くなった我が子がその時
    履いていた靴をそろえてやり、服も破れを繕
    (つくろ)っている私。二度と自分の元へは帰
    って来ないというのに。戻せるものなら時間を
    戻したい、不幸な結末など無かったことにした
    い。そんなことは絶対に出来るはずがないのに。
    それでも、愛する我が子が帰って来た時に。

    母親の痛ましい心情、これ以上にない悲しさが
    切実に伝わり、涙を誘う。

出典・・インターネット・中学受験学習資料短歌。

靴下の ぬれしをぬぎて われはをり かくひそかなる
生と思はむ
                  大河原惇行

(くつしたの ぬれしをぬぎて われはおり かく
 ひそかなる せいとおもわん)

意味・・雨に濡れて帰って来て、今、一人でもくもくと
    濡れた靴下を脱いでいる。わびしい思いである
    が、ふとこれが自分の人生の時間の集積なんだ
    ろうかと思う。

    濡れた靴下を脱ぐ行為は生産性のある積極的な
    ものではない。生活の中で取るに足りない密度
    の低い時間である。このように自分の人生も密
    度の低い時間を生きているのかも知れない。

    参考歌です。

    玉ぐしげあけぬくれぬといたづらに二度もこぬ 
    世をすぐすかな         木下長嘯子
          (意味は下記参照)

 注・・ひそか=秘か。こっそりと。人に隠れてする様子。

作者・・大河原惇行=おおかわらよしゆき。1939~ 。
    昭和33年アララギに入会。

出典・・佐々木幸綱著「短歌に親しむ」。

参考歌です。

玉ぐしげ あけぬくれぬと いたづらに 二度もこぬ 
世をすぐすかな
                   木下長嘯子
           
(たまぐしげ あけぬくれぬと いたづらに ふたたびも
 こぬ よをすぐすかな)

意味・・夜が明けた、日が暮れたといって、何をなすこと
     もなく、二度と来ないこの世を過ごすしている。

     何事も成し得ない無力な自分を嘆いた歌ですが、
    「今に見ていろ」と、いつかは日の目を見てやるぞ
     と決意をしている。

 注・・玉くしげ=「あけ」に掛かる枕詞。
    あけぬくれぬ=夜が明けた、日が暮れたと言って年月を
     過ごすこと。

作者・・木下長嘯子=きのしたちょうしょうし。1569~1649。
    秀吉の近臣として厚遇される。若狭小浜の城主。関が原
    合戦の前に伏見城から逃げ出し隠とん者となる。

出典・・歌集「林葉累塵集」(古典文学全集・中世和歌集) 。   


世は春の 民の朝けの 煙より 霞も四方の
空に満つらし
               後水尾院

(よははるの たみのあさけの けむりより かすみも
 よもの そらにみつらし)

意味・・世は春を迎え、民の朝の炊事の煙が豊かに立ち
    のぼるのを始めとして、その煙と一体となった
    霞も四方の空に満ちている。

    民の生活の安定の象徴である煙と、春の到来の
    しるしである朝霞とが空で融合し、安穏でめで
    たい春を祝福している。為政者の立場で詠んだ
    歌です。

 注・・朝け=朝の炊飯。
    煙より霞も=煙を始めとして霞も。

作者・・後水尾院=ごみずのおいん。1596~1680。

出典・・歌集「御着到百首」(日本古典文学全集「近世
    和歌集」)

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