名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年05月

春日野の 若紫の 摺り衣 しのぶの乱れ
かぎり知られず
               在原業平

(かすがのの わかむらさきの すりごろも しのぶの
 みだれ かぎりしられず)

意味・・春日野の若い紫草で染めたこの衣の模様が乱れ
    ているように、私の心もあなたを見て、かぎり
    なく乱れに乱れています。

    伊勢物語の一段に出て来る歌です。一段の内容
    です。
    元服式のあとの開放感に、男は、京の都から今
    は古都となった奈良へ、鷹狩に行った。
    その春日の里に美しい姉妹が住んでいた。男は
    垣間見て胸をときめかした。こんな田舎にこれ
    ほどの美人がいるのか。それに都ふうのとりす
    ました美人ではなくて、なにか心をほぐすよう
    なやさしさに充ちた美人なのだ。若い日の恋は
    性急である。彼は一刻も早く、我が想いを相手
    に知らせたいと思った。彼は着ていた狩衣の裾
    を切って、歌を書きつけた。「春日野の若紫の
    摺り衣しのぶの乱れかぎり知らず」。

 注・・春日野=奈良市の若草山の麓に続く台地。
    若紫=若い紫草。紫草(むらさき)はムラサキ科
     の草。根は太く紫色をしている。
    摺り衣=忍草の模様を彫った型に、紫草の根か
     ら採った染料を塗り、それに布を押して乱れ
     模様に摺り染めたもの。
    しのぶの乱れ=「忍草の乱れ模様」の意に「忍
     ぶ恋の心の乱れ」の意を掛けている。
    元服=成人式。当時の男子は15歳で大人ふうの
     髪に改めて成人の儀式をした。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。
    相模権守・従四位上。

出典・・新古今和歌集・994、伊勢物語一段。

たなぞこに 掬ひしけむり 身にふりかけ 息災願ふ
かたはらを行く
                    清水房雄

(たなぞこに すくいしけむり みにふりかけ そくさい
 ねがう かたはらゆく)

意味・・手のひらで掬った香の煙を、身にふりかけて無事
    を願っている人々のかたわらを通り過ぎている。

    浅草観音を参詣する情景を詠んでいます。手のひ
    らで煙を掬い息災を願う庶民たちの信仰。この願
    いを持つ人々への愛惜。また、そういう願いを持
    つという人間の悲しさに心を寄せて詠んだ歌です。

 注・・たなぞこ=たなごころ。手のひら。掌。
    息災=仏の力で災難をなくすこと。

作者・・清水房雄=しみずふさお。1915~ 。東京文理大
    卒。土屋文明に師事。

出典・・歌集「風谷」(武川忠一篇「現代短歌鑑賞辞典」)

思い遣る すべの知らねば 片もいの 底にぞ吾は
恋ひなりにける 
                 粟田女娘子

(おもいやる すべのしらねば かたもいの そこにぞ
 われは こいなりにける)

意味・・私、あなたを恋してしまったんですけど、そ
    の気持ちをあなたが察してくださらないので、
    とてもさびしく、憂うつなんです。だから、
    ごらんなさい、私、こんな片もいになっちゃ
    たんです。

    自分の手で土をこね、作った蓋のない茶碗の
    底に、この歌を書いて大伴家持に贈ったもの
    です。恋の思いを、信頼関係がまだ築けてい
    なくとも、心をひらいて、まず意思表示。

    「心をひらく」、参考の言葉です。

    人生をひらくとは
    心をひらくことである。
    心をひらかずに
    固く閉ざしている人に、
    人生はひらかない。
   「ひらく」には、開拓する、耕す、
    という意味もある。
    いかに上質な土壌も
    コンクリートのように固まっていては、
    よき種を蒔いても実りを得ることはできない。

    心をひらき、心を耕す──
    人生をひらく第一の鍵である。

 注・・思ひ遣る=「思ひ」に、行かせたり、進めた
     りする意味の「遣る」が付いた言葉。ここ
     では、気持ちを晴らすという意味。
    すべ=術。手段、方法、手立て。
    片もい(かたもい)=「もい」は土で作った
     茶碗。「片もい」は蓋のないもの。「片思い」
     を掛ける。

作者・・粟田女娘子=あわだめのおとめ。伝未詳。

出典・・万葉集・707。

菫咲く 春は夢殿 日おもてを 石段の目に
乾く埴土 
               北原白秋

(すみれさく はるはゆめどの ひおもてを いしきだ
 のめに かわくはにつち)

意味・・菫の花咲く春の夢殿。その八角堂を登る石段の
    石の継ぎ目に、白く乾いた土。そこにも春の日
    はさして、菫の花はひっそりと咲いている。春
    の美しさ、春の哀しみをここに取り集めたよう
    に・・・。

    人に踏まれる石段、しかも水分が十分ではない
    所に芽を出し花を咲かせている菫。環境の悪さ
    に菫は哀しいだろうが、不平も言わずに美しい
    花を咲かせている。こんな環境にいても幸せに
    生きている。どんな人生をもイエスと肯定して
    生きている。

 注・・夢殿=法隆寺夢殿。738年建立。八角形の伽藍。
    日おもて=日面、日表。日の当たる側、日向。
    石段(いしきだ)の目=石段の継ぎ目。
    埴土(はにつち)=粘土分を50%以上含む土。排
     水や通気性が悪く耕作に適しない。

作者・・北原白秋=きたはらはくしゅう。1885~1942。
    詩人。

出典・・歌集「夢殿」(清川妙著「つらい時、いつも古典
    に救われた」)
    

稲荷山 すぎの青葉を かざしつつ 帰るはしるき
今日のもろひと 
                 六条知家

(いなりやま すぎのあおばを かざしつつ かえるは
 しるき きょうのもろひと)

意味・・今日出会う多くの人々が稲荷山からの帰りと
    はっきり分ります。みんな、杉の青葉を頭髪
    に挿して通り過ぎて行くので。

    「いなり」は「いねなり」で本来は稲を生ら
    せる豊作の神です。杉は枝葉が稲に似ている
    から稲の代用にされる。伏見の稲荷大社では
    杉の青葉を頭髪に挿して、来る秋の豊作を願
    い、山頂に鎮座する神蹟に参拝する風習が盛
    んであった。

 注・・稲荷山=京都市伏見区と山科区にまたがる山。
    ふもとに伏見稲荷がある。
    かざし=挿頭。草木の花や枝などを髪や冠な
     どに挿すこと。
    しるき=著き。はっきり分る、明白である。

作者・・六条知家=ろくじょうともいえ。1182~1258。
    藤原定家に指導を受けた歌人。

出典・・新撰和歌六帖(松本章男著「京都百人一首」)

百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りしうぐひす
鳴きにけむかも
                山部赤人       

(くだらのの はぎのふるえに はるまつと おりし
 うぐいす なきにけんかも)

意味・・冬の頃、百済野の萩の枯れ枝の間で、じっと
    春を待っていたうぐいす。春が来て、うぐい
    すが鳴き始めたが、あのうぐいす、もう鳴い
    ただろうか。

    枯れ枝のうぐいす。そして、花ざかりの中、
    春の喜びをこめて鳴くうぐいす。二枚続き
    の絵になります。

 注・・百済野=奈良県北葛城郡百済の辺りの野原。

作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没年未詳。
    736年頃没。宮廷歌人。

出典・・万葉集・1431。

あなうれし 人込みの中を かきわけて やうやう友の
背をたたけば
                   柳原白蓮

(あなうれし ひとごみのなかを かきわけて ようよう
ともの せなをたたけば)

意味・・ああ嬉しいことだなあ。人込みの中を気づかずに
    歩いているなつかしい友、その友を追い、ようや
    っと近寄ってその背をたたくことの出来た喜びは。

作者・・柳原白蓮=やなぎはらびゃくれん。1885~1967。
    東洋英和女学校卒。佐々木信綱に師事。菊池寛の
    ベストセラー小説の「真珠夫人」のモデル。

出典・・湯浅竜起著「短歌鑑賞十二ヶ月」。

みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば
君ぞ知りける 
                 中宮定子

(みなひとの はなやちょうやと いそぐひも わが
 こころをば きみぞしりける)

意味・・世間の人が皆、花や蝶やといそいそと美しい
    ものに浮かれる日も、あなただけは私の本当
    の気持ちを知ってくれているのですね。

    落ちぶれた自分を捨てて、皆が、今をときめ
    く人のもとに走り寄る日も、清少納言よ、そ
    なただけは、私の心の底を、誰よりも知りぬ
    いているのですね、と詠んでいます。

    時代の背景。
    平安時代(794~1192)は藤原氏が摂政関白と
    して政権をにぎった時代である。彼等は始め
    他の氏族を政界から追放して一門の繁栄をは
    かったが、それが達成されると、次いで一門
    の中で露骨な政権争奪が行われた。彼等が政
    権獲得のために取った手段は、外戚政策、す
    なわち自分の娘を妃に立てて皇室と親戚関係
    を結ぶことにあった。この政権争奪の最後の
    勝利者は藤原道長である。兄の藤原道隆の勢
    力をくじいて政権をにぎったのである。そし
    てこれに伴い、道隆の娘定子は、一条天皇の
    妃としての幸福な生活から、たちまち悲運の
    皇后としての暗く寂しい境遇におちいった。
    この頃、定子の女房である清少納言のなぐさ
    めの歌に返歌として詠んだ歌です。

作者・・中宮定子=ちゅうぐうていし。975~1000。
    25歳。一条天皇の后。清少納言は定子の女房
    (女官のこと)。

出典・・枕草子・225段。

雲雀より空にやすらふ峠かな
                    芭蕉

(ひばりより そらにやすろう とうげかな)

詞書・・臍峠(ほぞとうげ)。

意味・・峠の風に吹かれていると、下の方から雲雀
    の鳴く声が聞こえて来た。なんと雲雀より
    高いところで休息しているのだなあ。

    雲雀は雀よりやや大きく褐色の地味な色を
    しているが、鳴き声が良く、高空をさえず
    りながら飛ぶ。雲雀が鳴く高いところより
    上で休息しているので、臍峠からの眺望の
    素晴らしさが暗示されている。その眺望を
    目の前にした時の愉快な気持ちが「やすら
    ふ」という言い方になっている。峠の頂上
    まで歩いて来たという旅の心地よい達成感
    や疲労感まで詠んだ句です。

 注・・臍(ほぞ)峠=奈良県桜井市と吉野郡吉野町
     との境にある峠。標高467m。上下とも
     峻坂である。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。松尾芭蕉。

出典・・笈の小文。
 

学びたきに 学べざりにし わが父母を 心につれて
講義受けいる 
                   飯田有子

(まなびたきに まなべざりにし わがふぼを こころに
 つれて こうぎうけいる)

意味・・自分の幸せは父母の与えてくれた幸せ。その父母は
    学びたい希望を持っていながら果たせなかったので
    ある。その父母の思いを胸にたたんで今授業を受け
    ている。

    多くの学生の中にはさまざまな境遇の人がいる。親
    許を離れて学校に通う人、家から通える人、アルバ
    イトに頼らなければやっていけない人等々。その置
    かれている立場は人によってみな違う。だが、多か
    れ少なかれ親の助けなしではやっていけないのであ
    る。その親への思いを作者は感謝と至福の気持ちを
    こめて詠んでいる。

作者・・飯田有子=いいだゆうこ。’88年当時東京女子大学
    一年生。

出典・・短歌青春(大滝貞一編「東洋大学現代百人一首」)

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